「黒木ごめんな、待たせてしまって。進路希望の紙は書けたか?」

 静寂に包まれている教室では、先生の声がより一層響いて聞こえる。
 今日は進路希望調査があったのだが、未来を左右するその紙に、文字を書き記すことができなかった。
 それを見た先生に授業後話そうと提案され、教室で一人思考を巡らせながら待っていたところだ。

 「すみません、まだ将来の目標が定まってなくて書けてないです」

 「そうか。確かに将来を決めるということは難しいことだよな。先生から見た黒木は思いやりがあって気配りができて、そして責任感がある。黒木の良いところと興味のあることが重なる何かが見つかるといいな」

 こういう大人になりたいと、担任の住田先生は心から思わせてくれる。
 住田先生は生徒一人一人に親身に寄り添ってくれる、生徒からとても人気のある先生だ。
 野球部の顧問でもあるので、としも絶大な信頼を寄せていると前に語っていたことがある。
 住田先生のように、人の良いところに目を当てられる人になりたい。

 「先生ありがとうございます。しっかり自分と向き合って、答えを探していきたいと思います」

 「わかった。自分の気持ちを隠さずに、正直にな」

 一週間後にまた面談をする約束をして教室を後にする。
 校舎の外に出ると、清々しい秋晴れが空一面に広がっていた。
 空気が澄んでおり心地よく、この穏やかで過ごしやすい秋が四季の中で最も好きだ。
 
 少し肌寒さを感じながら自転車置き場まで行き、頭の中で目的地を設定する。
 今日は部活が休みであるとしと、面談終わりに学校近くにあるカフェで話して帰ろうと約束していた。
 『今から行くね』とメッセージを送り、ペダルに載っている右足に力を込める。
 
 行き方は学校からの帰り道とさほど変わらず、夢物語の受け渡し場所である土手へと続く道には入らずに橋を渡り切り、坂を下って一つ目の信号を右に曲がったすぐのところにある。
 停まっていたとしの自転車の横に自分の自転車を停めて店内に入ると、比較的空いていたので彼の姿をすぐに発見できた。

 「お疲れ啓太!ごめん先食べてる」

 としはホットドッグとアイスココアを注文しており、半分程食べ終えていた。
 僕はお腹がそんなに空いてなかったので、アイスコーヒーのみ注文する。

 「先生との面談どうだった?」

 「住田先生はとても親身になって相談に乗ってくれたんだけど、まだ答えは出なかった」

 「そうか。まあ焦って決めることじゃないしな」

 会話が途切れたタイミングで注文していたアイスコーヒーが届き、一口啜る。
 コーヒーのフレーバーが鼻腔を刺激し、程よい苦味と酸味が口の中に染み渡った。

 「啓太は昔憧れていた職業とかないの?」

 「……特にないかな」

 その言葉とは裏腹に、実際には頭に浮かんだ職業が一つあった。
 その職業は自分の性格上無理だろうと勝手に判断し、誰にも言えずに胸の奥にしまい込んでいたものだった。

 「俺はね、もう決まってるんだ。やっぱり体を動かすことが好きで、スポーツ全般に好きだから、将来はスポーツ関係の仕事に就きたいと思ってる」

 自分のやりたいことが明確で、それを躊躇いなくはっきり伝えられるとしが、僕には眩しくて仕方なかった。

 「だから地元の体育学科がある大学に進もうと思ってる」

 「とても良いと思う。自分のやりたい事がしっかり定まってて本当にかっこいいよ」

 「いや、それほどでも……」

 満更でもない様子で、彼は頭を掻いている。

 「あとは恋愛がまとまってくれれば言う事無しなんだけどな」

 としがあまりにもあっけらかんとしているので、正直忘れかけていた。
 花火大会の日、彼が立花さんに盛大に振られていたことを。
 『付き合ってく……』ぐらいのタイミングで『無理です!』とはっきり断られたらしい。
 花火大会が終わって集合場所で初めてそれを聞いた時、心配でどう声をかけようか迷っていたが、その自分が今では馬鹿らしい。
 彼は全く悲しむ様子はなく、『絶対に諦めないから!』と皆の前で宣言したのだ。
 立花さんの困り果てた表情を、今でも鮮明に覚えている。
 ようやくふみちゃんが言っていた、結果がどうであれとしなら大丈夫という言葉の意味が腑に落ちた。

 「今度またデートに誘ってみよっと!てか啓太も頑張れよ」

 「……うん」

 僕とふみちゃんの関係は、花火大会の前と殆ど変わらなかった。
 夢物語を交換する際も指が触れ合っていたことには一切触れず、彼女の僕への態度も普通で、いつも通り他愛のない会話を楽しんでいた。
 僕も合わせて冷静さを装っていたのだが、実際には今でも右手の小指には感触の余韻が鮮烈に残っている。
 
 それから冬は四人で何をしようかという話題で花が咲き、お互い飲食が終わったところでお店を後にする。
 外に出ると、空には透き通った夕焼けが広がっており、今日一日を労ってくれているかのようだった。

 「秋はほんとに気持ちがいいな!なあ啓太、もし言葉で表しにくいことがあったらお前には文字で伝えられる人がいるだろ。その人は必ずお前の味方でいてくれるから、託してみてもいいんじゃないか?」

 やはりどんなに繕っても、としには僕の心の内が筒抜けみたいだ。
 ここまで自分のことを考えてくれる友達に、改めて感謝の念が溢れてくる。

 「うん、そうしてみる。いつも本当にありがとう。としも立花さんのデートプランとかで困ったらいつでも相談してよ!」

 「啓太に相談してもしょうがないだろ!」

 「間違いないね」

 そこでお互いに堪えきれず、思いっきり吹き出した。
 今は冗談みたいになってしまったが、いつも助けてくれるとしを、今度は僕が助けられるような存在になりたいと心から思った。