もう逃げたくはなかった。
 喉の奥が熱くなって、それでも、どうしても言いたくて。

「……ねぇ、なつくん」
 涙のあとを拭って、顔を上げる。
「なんで、避けてたの?」

 風が少し吹いて、彼の前髪を揺らす。
 夏樹は、何か言いたげに口を開いて――でもすぐ、黙り込んだ。
 その沈黙が、胸に刺さる。

「……私、なつくんに嫌われたのかと思った」
 絞り出すように言うと、彼は小さく息を呑んだ。

「別に、嫌いになんてなってねーよ」

 その言葉に、心臓が跳ねる。
 でも、どうしても聞かずにいられなかった。

「じゃあ……なんで?」
 視線が合う。
 夏樹の瞳に、揺れる光が映っていた。

 彼は少し俯いて、ぽつりとつぶやいた。

「……おまえがまた、変な噂立てられんの、嫌だったから」

「え……?」

「文化祭のとき……手、引いただろ。あれ見てた女子、いっぱいいてさ。“また小春が夏樹にくっついてる”って、言われてた。俺が軽率だったんだ…ごめん」

 言葉を選ぶように、低く静かに続ける。

「おまえがまた、昔みたいに仲間はずれにされるのとか、絶対嫌だった」

 夕陽の色が、世界をやわらかく染める。
 小春の胸に、熱いものが広がった。