教室を出た。
 人混みの中を歩く。
 掴んだ腕の感触が、あたたかい。
 それがまだ、自分のものだと感じていたくて、離せなかった。

「……離すかよ。行くぞ」

 息が荒い。走ったせいだけじゃない。
 頭の中がぐちゃぐちゃで、胸が痛くて、それでも――心のどこかが少しだけ軽くなってた。

 秋のあの言葉が耳に残る。
「3人で聞いちゃったね、チャイム。これは、3人が結ばれるってことでいいかな?」

 あいつ、ほんとにムカつく。
 でも、あんな余裕の笑い方ができるのは、小春に気まずい思いをさせたくない優しさなんだろう。

(……俺だって、そんな顔、できたらよかったのにな)

 でも、できねぇ。
 今さら綺麗事なんて言えねぇ。

 廊下の角で、小春が小さく笑った。
「ねぇ、私と16時のチャイム、聞いちゃってよかったの?」

 からかうような声。
 でもその奥に、どこか照れたような響きが混じってて、心臓が跳ねた。

「うるせぇ。そんなジンクス、迷信だろ」

 そう言いながらも、手の力を緩められなかった。
 本当は――聞けてよかったなんて、誰よりも思ってる。
 けど、それを言葉にした瞬間、全部が崩れそうで。

「もし、本当だったら?」

 その言葉に、一瞬だけ息が詰まる。
 顔を背けながら、やっとの思いで言った。

「……仕方ねぇから、お前と一緒にいてやるよ」

 本当は逆だ。
 “お前と一緒にいたい”
 その一言が、どうしても言えなかった。

 (俺は本当にガキだな――)

 夕陽が差し込む廊下。
 小春の影と俺の影が重なっていく。
 手を繋いでることに気づいたとき、胸の奥が静かに鳴った。

「……もう、フラフラすんなよ」

 言いながら、幼い頃の記憶がふっと蘇る。
 あの日、泣いて迷子になった小春の手を掴んで離さなかった。
 帰り道、小さな声で言ったんだ。

 ――「もう絶対、俺から離れたらだめだよ、小春」

 小春は涙目で、でもどこか嬉しそうに笑って、
 「うん!ずっとなつくんと一緒にいる!」
 そう言って、ぎゅっと俺の手を握り返してきた。

 その感触が、今もちゃんと残ってる。
 あのときと同じように、俺はまた、小春の手を掴んで離せずにいる。

 廊下の窓から射す夕陽が、二人の影を重ねて染めていく。
 チャイムの音はもう止んでいるのに、俺の胸の中ではまだ、鼓動が早く鳴っていた。
 俺はただ、指先から伝わらないようにと、願っていた――