小春が言った。
「ごめん、私、行かなきゃ」

 胸の奥が、嫌な音を立てた。
 あのときの顔、少しだけ迷ってた。けど、その目はどこかもう決まってるように見えた。

「どこ行くんだよ」
 気づけば、声が勝手に出てた。
 軽い理由であってほしいって、願ってた。
 けど――沈黙。
 その一瞬で、全部わかった。

「……秋か」

 小春の肩が、ぴくりと震えた。
 否定する言葉が出る前に、俺の中の何かが、ぷつんと切れた。

「……行くな」
 喉の奥から漏れた声は、自分でも驚くくらい低かった。
 止めたい。でも、言えば言うほど離れていく気がして。
 怖かった。

「行ったら、もう戻ってこねぇ気がする」

 心の底から出た言葉だった。
 それなのに――小春は「ごめん」と言って、頭を下げた。
 その瞬間、視界が滲んだ。

 気づけば、走ってた。
 校舎の廊下を駆け抜ける。
 心臓がうるさい。何度も、あの「ごめん」が頭の中で反響する。

 チャイムまであと少し。
 階段を駆け上がって、息を切らしながら教室の扉を開けた。

 ――見えた。
 カーテンの中、小春と秋。
 柔らかな光の中で、ふたりの距離が、近すぎて。

 何も考えられなかった。
 カーテンを勢いよく開けて、名前を叫んだ。

「小春!」

 小春が驚いたように振り向く。
 その瞳の中に、自分の姿が映った瞬間、全部どうでもよくなった。
 腕を掴んで、引っ張る。

 振り払われたらどうしよう、なんて一瞬思ったけど――
 あいつは、されるがままだった。

 小春の顔を見て、俺はこいつのことが好きなんだと改めて思い知らされた。