だけど、時計の針はもう15時を過ぎている。
 胸の奥がざわざわして、喉が乾いた。

(……行かなきゃ)
 秋に、ちゃんと伝えなきゃ。
 “チャイムは一緒に聞けない”って。
 そうしなきゃ、秋をずっと傷つけたままになってしまう。

「……なつくん」
「ん?」
「ごめん、私、行かなきゃ」

 立ち止まってそう言うと、夏樹がこちらを振り向いた。
 表情が、わずかにこわばる。

「どこ行くんだよ」
「ちょっと……用があって」
「誰と?」

 一瞬、言葉が詰まる。
 その沈黙だけで、夏樹の目が細くなった。

「……秋か」
「ち、違っ――」
 否定しようとしたのに、声が震えていた。
 夏樹の眉がわずかに寄る。
 焦りと、何かをこらえるような息づかい。

「……行くな」
 低く、押し殺したような声。

「でも、行かないと――」
「行ったら、もう戻ってこねぇ気がする」

 夏樹の言葉が、心の奥に刺さった。
 それでも、私は――

「ごめん」
 そう言って、軽く頭を下げた。

 足が震えていた。
 でも、行かなきゃ。
 ちゃんと、自分の気持ちに答えを出すために。

 時計の針は、15時20分。
 あと10分で、秋との約束の時間。
 その背中を見送る夏樹の視線が、痛いほど熱かった。