「はい。終わったよ。どこも異常はなし。まめ君は健康だよ」
「良かった。ありがとうございます」
土曜日。半年に一度、優君のお父さん、優作おじ様にまめ蔵の健康診断を頼んでいる。温和な口調はペットだけでなく、飼い主の緊張も和らげてくれる。
「まめ君は今年で九歳?」
「はい。私が小学校一年生のときに連れて来たので」
「あぁそうだったね。雨の日で泥だらけで帰って来たっけ。あのときは焦ったよ~。優一郎は犬の姿だし、千保ちゃんに怪我でもあったらってどうしようってヒヤッとしたね」
「そうだったんですか?」
「西条寺家の大事な一人娘だもの。でも君のお父さんは、相変わらずだったよね。心配どころか、でかした!って喜んでいた」
「お父様はそういう人だから」
「ハハハ。そうそう。昔から変わらずの変人だよ」
おじ様は懐かしそうに目を細めた。滑車がついた丸椅子を少しずらし、カルテに今日の結果を記入していく。すらすらと走っていたおじ様の手が止まった。
「でも七歳か、ぼちぼち初老の仲間入りだね」
「えっもうそんな歳なんですか?」
「そうだよ。マメシバは身体が小さいからね。今まで以上にちゃんと健康に気遣ってないといけないよ」
おじ様はまめ蔵の頭を優しくなでた。嬉しそうにしっぽを振るまめ蔵。『初老』と告げられたことに少し驚いた。犬と人間の月日の感覚がこんなにも違うなんて。一日一日を過ごしていく中で、いつの間にか年を追い越されていた・・・。
「僕らと同世代だね。今のまめ君は」
「そういえば、おじ様とお父様はとどこで知り合ったの?」
「大学のサークルだよ『人面犬サークル』って言ってね、西条寺君が立ち上げたんだよ」
「人面犬って、よくそんなサークル入ろうと思いましたね。その頃は、おじ様も犬に触ると犬化してしまう体質だったんでしょう?」
「ハハハ。そうだよね。僕も最初はろくなサークルじゃないと思ってた」
若い頃はおじ様も、犬化していた。でも、ある日を境に犬に触っても大丈夫になったらしいけど。どうして改善したのかはわからないみたい。
「ただ、恐いもの見たさ、かな?少しだけ覗いてみたんだよ」
「どうだったんですか?」
「そうしたら西条寺君だけは真剣でね。人面犬についての仮説を論文にしてたよ。いやぁ~でもやっぱり、ろくなサークルじゃなかったかな。君のお父さんは立派だけど、それと同じくらい変態だから」
「そうですね。研究に没頭してくれて良かったと私も思います。おじ様に出会わなかったら、きっと法に触れそうな人体実験とかしてそうですし」
「さすが千保ちゃん、よくわかってるねぇ~。でも逆に、この体質がバレたのが西条寺君で良かったと、今なら思えるよ」
「おじ様がそう言ってくれるとお父様も泣いて喜ぶと思いますよ」
「ハハハ、参ったなぁ」
息を吐くおじ様は、眉を下げながら笑った。
「おじ様はいつ頃から犬に触っても大丈夫になったんですか?」
「ん~元々、僕の場合は優一郎ほど酷くなかったからね。思春期辺りにはかなり落ち着いていたよ。だからこそ、大学に入って油断したんだよね。後は西条寺君の作った薬が、僕には効果があったってことかな」
診察室のドアが開くと、茜さんがやってきた。窓から見える駐車場には、すでに患者さんの車が数台止まっていた。
「そろそろ夕診の時間よ」
「もうそんな時間か。じゃあ、次は半年後になるけど、心配事があったらいつでも診てあげるから」
「ありがとうございます」
まめ蔵を抱えて診察室を出る準備をした。
「あっそうだ茜、優一郎はまだ寝てるの?」
「まだ寝てるわよ。朝から犬になって超期限悪いの」
「新しく届いた薬を飲まないといけないんだけど」
「えー起こすのもうイヤよ。アイツ噛みついてくるし」
「参ったな。あっそうだ千保ちゃん、悪いけど優一郎の薬頼めるかな」
「それが、いいわね!アイツなんだかんだ千保ちゃんの言うことは聞くから」
「私で良ければ起こして来ますけど・・・でも、私も怒らせちゃいそう」
「そんなことないって!薬は台所にあるから」
おじ様も茜さんも、ああ言ってくれてるけど・・・。本当にそうかな?
□□□
まめ蔵を二階のリビングに置かせてもらい、薬を持って三階にやって来た。
部屋のドアを叩いたけど反応がない。やっぱり、まだ寝てるのかな?ドアノブをゆっくりと回した。
「優くーん、開けるよー?」
中に人の気配はなかった。見渡してみると、ベッド上に置かれた洗濯物の中に埋もれた優君の姿。
寝てる・・・。ピント伸びたヒゲが、寝息で微かに動いている。その愛くるしい姿に、ゴクリと喉を鳴らした。
「ふふふ、ちょっとだけ」
弾力のある肉球に触れると、むにっと跳ね返ってくる。首からしっぽまで続く黒い毛は、艶やかに伸びている。あぁ~モフモフしたい、モフモフしたいっ!猫吸いならぬ犬吸いをしたい!!
欲望に負け、ゆっくりと顔を近づけた。口元にふわふわの毛が触れる・・・。はずが違う感触に思わず目を開けた。
「あれ?」
目の前には人間に戻っている優君の姿。そして胸上に跨る私――。
「良かった。ありがとうございます」
土曜日。半年に一度、優君のお父さん、優作おじ様にまめ蔵の健康診断を頼んでいる。温和な口調はペットだけでなく、飼い主の緊張も和らげてくれる。
「まめ君は今年で九歳?」
「はい。私が小学校一年生のときに連れて来たので」
「あぁそうだったね。雨の日で泥だらけで帰って来たっけ。あのときは焦ったよ~。優一郎は犬の姿だし、千保ちゃんに怪我でもあったらってどうしようってヒヤッとしたね」
「そうだったんですか?」
「西条寺家の大事な一人娘だもの。でも君のお父さんは、相変わらずだったよね。心配どころか、でかした!って喜んでいた」
「お父様はそういう人だから」
「ハハハ。そうそう。昔から変わらずの変人だよ」
おじ様は懐かしそうに目を細めた。滑車がついた丸椅子を少しずらし、カルテに今日の結果を記入していく。すらすらと走っていたおじ様の手が止まった。
「でも七歳か、ぼちぼち初老の仲間入りだね」
「えっもうそんな歳なんですか?」
「そうだよ。マメシバは身体が小さいからね。今まで以上にちゃんと健康に気遣ってないといけないよ」
おじ様はまめ蔵の頭を優しくなでた。嬉しそうにしっぽを振るまめ蔵。『初老』と告げられたことに少し驚いた。犬と人間の月日の感覚がこんなにも違うなんて。一日一日を過ごしていく中で、いつの間にか年を追い越されていた・・・。
「僕らと同世代だね。今のまめ君は」
「そういえば、おじ様とお父様はとどこで知り合ったの?」
「大学のサークルだよ『人面犬サークル』って言ってね、西条寺君が立ち上げたんだよ」
「人面犬って、よくそんなサークル入ろうと思いましたね。その頃は、おじ様も犬に触ると犬化してしまう体質だったんでしょう?」
「ハハハ。そうだよね。僕も最初はろくなサークルじゃないと思ってた」
若い頃はおじ様も、犬化していた。でも、ある日を境に犬に触っても大丈夫になったらしいけど。どうして改善したのかはわからないみたい。
「ただ、恐いもの見たさ、かな?少しだけ覗いてみたんだよ」
「どうだったんですか?」
「そうしたら西条寺君だけは真剣でね。人面犬についての仮説を論文にしてたよ。いやぁ~でもやっぱり、ろくなサークルじゃなかったかな。君のお父さんは立派だけど、それと同じくらい変態だから」
「そうですね。研究に没頭してくれて良かったと私も思います。おじ様に出会わなかったら、きっと法に触れそうな人体実験とかしてそうですし」
「さすが千保ちゃん、よくわかってるねぇ~。でも逆に、この体質がバレたのが西条寺君で良かったと、今なら思えるよ」
「おじ様がそう言ってくれるとお父様も泣いて喜ぶと思いますよ」
「ハハハ、参ったなぁ」
息を吐くおじ様は、眉を下げながら笑った。
「おじ様はいつ頃から犬に触っても大丈夫になったんですか?」
「ん~元々、僕の場合は優一郎ほど酷くなかったからね。思春期辺りにはかなり落ち着いていたよ。だからこそ、大学に入って油断したんだよね。後は西条寺君の作った薬が、僕には効果があったってことかな」
診察室のドアが開くと、茜さんがやってきた。窓から見える駐車場には、すでに患者さんの車が数台止まっていた。
「そろそろ夕診の時間よ」
「もうそんな時間か。じゃあ、次は半年後になるけど、心配事があったらいつでも診てあげるから」
「ありがとうございます」
まめ蔵を抱えて診察室を出る準備をした。
「あっそうだ茜、優一郎はまだ寝てるの?」
「まだ寝てるわよ。朝から犬になって超期限悪いの」
「新しく届いた薬を飲まないといけないんだけど」
「えー起こすのもうイヤよ。アイツ噛みついてくるし」
「参ったな。あっそうだ千保ちゃん、悪いけど優一郎の薬頼めるかな」
「それが、いいわね!アイツなんだかんだ千保ちゃんの言うことは聞くから」
「私で良ければ起こして来ますけど・・・でも、私も怒らせちゃいそう」
「そんなことないって!薬は台所にあるから」
おじ様も茜さんも、ああ言ってくれてるけど・・・。本当にそうかな?
□□□
まめ蔵を二階のリビングに置かせてもらい、薬を持って三階にやって来た。
部屋のドアを叩いたけど反応がない。やっぱり、まだ寝てるのかな?ドアノブをゆっくりと回した。
「優くーん、開けるよー?」
中に人の気配はなかった。見渡してみると、ベッド上に置かれた洗濯物の中に埋もれた優君の姿。
寝てる・・・。ピント伸びたヒゲが、寝息で微かに動いている。その愛くるしい姿に、ゴクリと喉を鳴らした。
「ふふふ、ちょっとだけ」
弾力のある肉球に触れると、むにっと跳ね返ってくる。首からしっぽまで続く黒い毛は、艶やかに伸びている。あぁ~モフモフしたい、モフモフしたいっ!猫吸いならぬ犬吸いをしたい!!
欲望に負け、ゆっくりと顔を近づけた。口元にふわふわの毛が触れる・・・。はずが違う感触に思わず目を開けた。
「あれ?」
目の前には人間に戻っている優君の姿。そして胸上に跨る私――。


