国際線のロビーには多くの人が行きかっていた。日本人だけでなく、海外の人もたくさんいる。大きなキャリーバッグを、ゴロゴロと引きながら弾んだ声があちこちから聞こえてくる。向かう旅先に、ワクワクとした気持ちを馳せている。
ロビーのシートに腰を下ろし航空券を見つめた。数日前まで、浮遊していた気持ちと現実がようやく一致していた。
「ワンッ!」
「大丈夫だよ。まめ」
まめ蔵のゲージを除くと、少し緊張した様子で息をしていた。おじ様が長旅はストレスがかかると、栄養サプリをたくさん持たせてくれた。
「日本も夏休みに入る頃で良かったね。学校始まるまで少しあるから、向うでもゆっくりできそうだ。必要な物があれば、向こうでそろえよう」
「うん。お父様は向かえに来てくれるの?」
「あぁ、そう言っていたよ」
搭乗ゲートで見送りの人と抱き合う人たちに目が留まった。
「急なことで、千保も心配だろうけど、僕にできることがあればサポートするから」
「ありがとうお兄ちゃん。そういえばアレキサンドリアは友達に預けったって言ってたけど・・・。あんなにお兄ちゃんに懐いていたの、寂しがらないかな」
「アレキサンドリアⅡね。元々その予定で育てたんだよ。友人にも懐いてるいから安心して」
「そうなんだ」
「千保も知ってる人だから、機会があったら遊びに行けるさ
「私も知ってる人?」
首をかしげると、お兄ちゃんはスマホで時間を確認していた。途絶えることなく、アナウンスが流れている。
「そろそろ搭乗開始か。その前に千保なにか食べる?」
「ううん。私は大丈夫」
「コーヒーでも買ってくるよ。少し待ってて」
お兄ちゃんは近くにあるコーヒーショップへと向かった。一人になった空間に、ふぅと息が零れた。
ドンッと振動がした。ロビーの大きなガラス窓から、飛行機が飛び立っていくのが見える。
結局、優君はまだ人間に戻れていないまま・・・。みんな心配しないでって見送ってくれたけど。
「うわぁすっげぇー!!」
「大きいね」
そこには窓ガラスにへばりつく、幼い男の子と女の子がいた。着陸した飛行機にはしゃいでいる。今日は天気がいいから飛行機が良く見える。
五、六歳くらいかな。私も優君と初めて会ったとき、あのくらいの歳だったな。
「私も乗りたい」
「ノンは乗れないよ。乗るのは僕だけ」
「ノン、けいちゃんと離れたくない」
「今度ノンも遊びに来いよ!そしたらまら会える」
「うんっ絶対ぜっーたい会おうね」
二人の視線を辿りながら、後姿に知らず知らずのうちに自分と優君の幼い頃を重ねていた。
『あっ当たり前だろう。一生一緒にいるよ』
――どうしてだろう。幼い頃は素直に受け入れていた言葉が、成長するにつれて、周りの考えや他人の言葉が混ざり合って、疑うようになってしまった。
『優一郎君の痛みや、悲しみも理解できないと、お嫁さんにはしてもらえないわ』
私はまだまだ子供で、優君の本当の痛みも、悲しみも理解できていない・・・。それを分け合って生きていくには、時間も経験も足りてない。こんな私が隣にいたって、迷惑をかけるだけ。でも・・・。
スカートの裾をギュッと握りしめていた。
「お待たせ、千保。搭乗のアナウンス流れたね。そろそろ行こうか」
お兄ちゃんは私の分のカフェオレとホットドックも買って来てくれた。コーヒーとベーカリーの香ばしい香りが漂ってくる。匂いに誘われたように、まめ蔵がゲージの中で動いた。
けれど、受け取ることができなかった。お兄ちゃんが、私の前で腰を屈めた。
「千保?」
「お兄ちゃん、お兄ちゃんごめん・・・」
握りしめたスカートの上に、ぽたぽたとシミができた。震える声と肩に力が入る。
再び搭乗アナウンスが流れ、周りの人たちが腰を上げ移動していく。
「私やっぱり行けない・・・。本当にごめんなさい」
「優一郎のこと?」
涙を拭いながら大きく頷いた。
お母様が亡くなった日から私は知った。『明日』は誰にでも平等ではないって。
誰かとずっと一緒にいれることは難しい・・・。だから、大切な人と少しでも、長く一緒に入れる道を私は選びたい。
「このまま目が覚めなくても、犬のままでも。私、優君のそばに居たいの。このままアメリカに行ったら、傍にいなかったことを私きっと後悔する」
お兄ちゃんは、持っていた物を隣のシートに置いた。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい。こんな妹で・・・。自分が決めたことなのに、お兄ちゃんを振り回す結果になってしまって」
「千保・・・。千保、泣かないで。僕は君にそんな顔をさせたくて、転入の話をしたわけじゃないよ」
「転入したいと思ったのも嘘じゃない。向こうの学校でやってみたいことも、確かにあったの。だから私、わた・・・」
しゃくり上げて、呼吸がうまくできない。溢れてくる涙を何度も拭った。お兄ちゃんの手が、私の背中に触れた。そのまま落ち着かせるように、ゆっくりとなでてくれる。
「参ったな。大完敗だ」
お兄ちゃんを見ると、小さく息をついた。
「この先も、いろんな選択肢があるよ。だから知っておいて欲しかったんだ。親に決められた道だけじゃないって。優一郎を選ぶ、選ばないも千保の自由なんだよ」
そのお兄ちゃんの顔が、あのときと同じだった。お母様が亡くなって寂しくて、悲しくて、眠れなかったときと・・・。お兄ちゃんは私が眠るまで、絵本を読んでくれた。海外で言葉が通じにくいときは、必ず隣にいて私を会話に入れてくれた。
「お兄ちゃ・・・」
「ほら、来た」
ため息まじりに零れた。私の背中から手を離し立ち上がった。そして搭乗口とは逆の方を見た。
「千保っっ」
その声に、胸の奥で止まっていたときめきが、動き出した――。
ロビーのシートに腰を下ろし航空券を見つめた。数日前まで、浮遊していた気持ちと現実がようやく一致していた。
「ワンッ!」
「大丈夫だよ。まめ」
まめ蔵のゲージを除くと、少し緊張した様子で息をしていた。おじ様が長旅はストレスがかかると、栄養サプリをたくさん持たせてくれた。
「日本も夏休みに入る頃で良かったね。学校始まるまで少しあるから、向うでもゆっくりできそうだ。必要な物があれば、向こうでそろえよう」
「うん。お父様は向かえに来てくれるの?」
「あぁ、そう言っていたよ」
搭乗ゲートで見送りの人と抱き合う人たちに目が留まった。
「急なことで、千保も心配だろうけど、僕にできることがあればサポートするから」
「ありがとうお兄ちゃん。そういえばアレキサンドリアは友達に預けったって言ってたけど・・・。あんなにお兄ちゃんに懐いていたの、寂しがらないかな」
「アレキサンドリアⅡね。元々その予定で育てたんだよ。友人にも懐いてるいから安心して」
「そうなんだ」
「千保も知ってる人だから、機会があったら遊びに行けるさ
「私も知ってる人?」
首をかしげると、お兄ちゃんはスマホで時間を確認していた。途絶えることなく、アナウンスが流れている。
「そろそろ搭乗開始か。その前に千保なにか食べる?」
「ううん。私は大丈夫」
「コーヒーでも買ってくるよ。少し待ってて」
お兄ちゃんは近くにあるコーヒーショップへと向かった。一人になった空間に、ふぅと息が零れた。
ドンッと振動がした。ロビーの大きなガラス窓から、飛行機が飛び立っていくのが見える。
結局、優君はまだ人間に戻れていないまま・・・。みんな心配しないでって見送ってくれたけど。
「うわぁすっげぇー!!」
「大きいね」
そこには窓ガラスにへばりつく、幼い男の子と女の子がいた。着陸した飛行機にはしゃいでいる。今日は天気がいいから飛行機が良く見える。
五、六歳くらいかな。私も優君と初めて会ったとき、あのくらいの歳だったな。
「私も乗りたい」
「ノンは乗れないよ。乗るのは僕だけ」
「ノン、けいちゃんと離れたくない」
「今度ノンも遊びに来いよ!そしたらまら会える」
「うんっ絶対ぜっーたい会おうね」
二人の視線を辿りながら、後姿に知らず知らずのうちに自分と優君の幼い頃を重ねていた。
『あっ当たり前だろう。一生一緒にいるよ』
――どうしてだろう。幼い頃は素直に受け入れていた言葉が、成長するにつれて、周りの考えや他人の言葉が混ざり合って、疑うようになってしまった。
『優一郎君の痛みや、悲しみも理解できないと、お嫁さんにはしてもらえないわ』
私はまだまだ子供で、優君の本当の痛みも、悲しみも理解できていない・・・。それを分け合って生きていくには、時間も経験も足りてない。こんな私が隣にいたって、迷惑をかけるだけ。でも・・・。
スカートの裾をギュッと握りしめていた。
「お待たせ、千保。搭乗のアナウンス流れたね。そろそろ行こうか」
お兄ちゃんは私の分のカフェオレとホットドックも買って来てくれた。コーヒーとベーカリーの香ばしい香りが漂ってくる。匂いに誘われたように、まめ蔵がゲージの中で動いた。
けれど、受け取ることができなかった。お兄ちゃんが、私の前で腰を屈めた。
「千保?」
「お兄ちゃん、お兄ちゃんごめん・・・」
握りしめたスカートの上に、ぽたぽたとシミができた。震える声と肩に力が入る。
再び搭乗アナウンスが流れ、周りの人たちが腰を上げ移動していく。
「私やっぱり行けない・・・。本当にごめんなさい」
「優一郎のこと?」
涙を拭いながら大きく頷いた。
お母様が亡くなった日から私は知った。『明日』は誰にでも平等ではないって。
誰かとずっと一緒にいれることは難しい・・・。だから、大切な人と少しでも、長く一緒に入れる道を私は選びたい。
「このまま目が覚めなくても、犬のままでも。私、優君のそばに居たいの。このままアメリカに行ったら、傍にいなかったことを私きっと後悔する」
お兄ちゃんは、持っていた物を隣のシートに置いた。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい。こんな妹で・・・。自分が決めたことなのに、お兄ちゃんを振り回す結果になってしまって」
「千保・・・。千保、泣かないで。僕は君にそんな顔をさせたくて、転入の話をしたわけじゃないよ」
「転入したいと思ったのも嘘じゃない。向こうの学校でやってみたいことも、確かにあったの。だから私、わた・・・」
しゃくり上げて、呼吸がうまくできない。溢れてくる涙を何度も拭った。お兄ちゃんの手が、私の背中に触れた。そのまま落ち着かせるように、ゆっくりとなでてくれる。
「参ったな。大完敗だ」
お兄ちゃんを見ると、小さく息をついた。
「この先も、いろんな選択肢があるよ。だから知っておいて欲しかったんだ。親に決められた道だけじゃないって。優一郎を選ぶ、選ばないも千保の自由なんだよ」
そのお兄ちゃんの顔が、あのときと同じだった。お母様が亡くなって寂しくて、悲しくて、眠れなかったときと・・・。お兄ちゃんは私が眠るまで、絵本を読んでくれた。海外で言葉が通じにくいときは、必ず隣にいて私を会話に入れてくれた。
「お兄ちゃ・・・」
「ほら、来た」
ため息まじりに零れた。私の背中から手を離し立ち上がった。そして搭乗口とは逆の方を見た。
「千保っっ」
その声に、胸の奥で止まっていたときめきが、動き出した――。


