家に帰る途中、あの公園で足が止まっていた。優君とよく遊んだ、あの公園。夕方を過ぎた公園は物淋しい風景だった。忘れ物のボールが転がっている。自然と足が向かっていた。 
 土がついたブランコに制服のまま座った。汚れるって頭に過ったけど、もうどうでもよかった。
 
『しつこいわね。そんなんだから犬神に嫌われんのよ!』
『だいたい犬神の気持ちも、考えずに許婚って言いふらしといて――』

 滲んだ視界に、零れ落ちないように私はしばらく空を見上げた。

「あら、千保ちゃん?どうしたの、こんなところで」

 フェンスの向こう側に優君のお母さんがいた。大きめのレジ袋を、両手に持ちながらこちらへやってきた。

「ふふふ、珍しい。ブランコに乗ってるの?」
「はい。なんだか懐かしくて」

 慌てて目尻に溜まりかけた涙を、隠すように拭った。

「よく優一郎と遊んでたものね。あ、これ今スーパーで買ってきたの食べる?」
「ありがとうございます」

 おば様は隣のブランコに座ると、少しだけ冷めた、たい焼きをくれた。

「こないだは優一郎の面倒みてくれてありがとうね。大変だったでしょう」
「優君は目を覚ましましたか?」
「ぼちぼちねぇ。犬のまま目は覚ましたけど、寝ている時間の方が長いし・・・。全く、あの子は迷惑ばっかりかけてね」

 たい焼きを頬張りながら、おば様はどこか遠くの方を見つめていた。
 私もたい焼きを一口だけ口に含んだ。甘い、優しい味がする。

「千保ちゃんを不安にさせるようじゃダメね。愛想憑かされないか心配だわ~。あ、でも愛想つきたらキッパリと捨ててやっていいんだからね」
「いえ・・・そんな」
「アメリカの学校への転入が決まったんでしょう?昂君に聞いたわ。良かった。おめでとう」
「でも私、まだ優君に言えてなくて・・・」

 食べさしのたい焼きを膝の上に乗せた。

「優一郎のことなら心配しなくていいのよ」

 隣にいるおば様を見ると、目を細めながら優しく微笑んでいる。たい焼きを食べ終え、空になった白い包み紙を綺麗に畳み始めた。小さくなっていく包み紙をぼんやりと見ていた。

「実のところ、千保ちゃんが聖マリアンヌに決めたこと、少しだけ心配だったの・・・。そりゃぁ日本では優秀な学校だけど、優一郎と同じ中学に通いたいってだけで決めてしまったでしょう?千保ちゃんが決めてくれたことだから、尊重したいとは思ったけど」

 電線に止まっていた数羽のハトが飛び立っていった。パタパタと乾いた音を立てながら夕日に向かい飛んでいく。電線には二羽だけ取り残されている。

「呉羽さんなら、どうしただろうって・・・。千保ちゃんのお父さんと、ウチの旦那のバカな口約束のせいで、千保ちゃんの未来を摘んでしまうのだけは阻止しなきゃ。そうしないと、呉羽さんに合わせる顔がないもの」
「・・・私どうしていいかわからなくて」
「大丈夫よ。どうしていいかわからないのはみんな同じ。千保ちゃんがこうしたい、って思ったことが答えでいいの。・・・きっとそれを、呉羽さんもの望んでいるわ」

 おば様が、たい焼きを持っている私の手を握りしめた。その温かい微笑みに、小さく頷いた。
 電線に止まっていた二羽のハトが飛び立った。少し遅れて、みんなと同じ方へ向かって行った。
 

 その後、家に帰る前に、優君の部屋に立ち寄らせてもらった。
 中に入ると、優君は点滴に繋がれていた。点滴の液体が脈拍に合わせゆっくりと落ちている。

「優君」

 眠る優君の身体を、そっと撫でるとピクリと微かに動いた。
 良かった。こないだより呼吸は落ち着いてる・・・。でも、このまま戻らなかったらどうしよう。
 枕元にはミカンが置いてあった。前に優君が風邪をひいたとき食べていたのを思い出した。その横に、ラッピングされた小さな袋が置いてあった。茜さんの誕生日プレゼントを買ったお店と同じ袋だった。

「これ・・・」

 そこには、あのとき私が可愛いと言っていた犬のブレスレットが透明の袋にラッピングされていた。
 どうして、これが・・・?
 胸の奥がきつく締め付けられる。鼓動が早くなっていく中で、寝ている優君を見た。けれど起きる気配はない。

「優君。お願い起きてっ・・・。目を覚ましてよ。私、私――」

 たくさん聞きたいことがある。聞いて欲しいこともたくさんあるのに。
 私はベッドに顔を埋めシーツを握りしめた。すすり泣く声を誰にも聞かれたくなくて。