夏の空気が街を包み込むころ、学校の掲示板に貼られた花火大会のポスターが目に入った。
色鮮やかな花火の写真。
胸の奥に、あの夜の記憶が鮮明に蘇る。

――手を握った温もり。
――浴衣越しの照れ笑い。
――そして、別れの言葉。

思い出すたびに胸が痛むのに、どうしても忘れられない。

「ひな、大丈夫?」
隣で友達が心配そうに覗き込む。
「うん、なんでもない」
そう答えたけれど、頬の奥がじんわり熱くなる。切なさはまだ消えていなかった。

でも、最近は放課後に自然と悠真と帰ることが日課になっていた。
不器用で、ぶっきらぼうだけど――いつも気づけば隣にいる。

帰り道、並んで歩いた。
「そういえばさ、私と喋ってみたかったって、どうして?」
「‥‥‥それ聞く?」
「うん。ぜひ教えて欲しいです!」

じっと悠真の目を見つめると、彼は恥ずかしそうに俯いた。
「面白がってるでしょ。‥‥‥見かけたんだよ、ゴミ拾ってるの。」
「‥‥‥え?ゴミ?」

観念したように答えて、「そうだよ、ゴミ」と悠真は頷いた。
「誰かがゴミ箱蹴っ飛ばして散らばったゴミ、嫌がりもせずに1人で拾ってるのを見た。その次は、購買の最後の一個だったパン、嬉しそうに買ってたのに、弁当忘れた友達にあげてた。」

悠真の瞳は、その一つ一つの行動を映し出していた。
――こんなに自然に、誰かを思いやる姿があるんだ、と。

見ててくれて嬉しい気持ちと恥ずかしい気持ちでいっぱいになり、なんだかむず痒い気持ちだった。

「夏休み中、どこか行く予定は?」
悠真がふいに口を開く。

「特には……友達と遊ぶくらいかな」
少し考えながら答えると、彼は視線を前に向けたまま、短く言った。

「……じゃあ、どっか行かない?」

「えっ……?」
思わず立ち止まる。胸が跳ねた。
不意打ちの誘い。驚いたけれど、不思議と嫌じゃなかった。

「うん、いいよ」

答えながら、自分でも驚いていた。
まだ、晴人の思い出は消えない。けれど、悠真といる時間が、少しずつ前を向く勇気をくれる。

胸の奥に芽生えたのは、希望でもあり、期待でもあり。
過去に縛られたままじゃなく、未来を見てみたいと思えた。

――夏の空は、どこまでも広がっていた。


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夏休み。
待ち合わせ場所に向かう途中、胸が少しだけ高鳴っていた。
悠真と二人きりで出かけるのは、初めてだったから。

「……こっち」
少し離れた場所で、背の高い黒髪がひなに気づき、手を軽くあげる。
その姿に、自然と頬が熱くなった。

水族館では、悠真が不器用ながらもパンフレットを真剣に見ながら案内してくれた。
「ほら、あそこ。……ペンギン、意外と速いな」なんて、子供みたいに目を輝かせている姿に、思わず笑みがこぼれた。
「本当だね。速いね。」
「可愛いな。なんか、あのペンギン、ひなみたいだな」
悪気もなくそう言って笑うから、なんだか私が可愛いと言われているようで、勘違いしてしまいそうになった。

カフェに入れば「疲れただろ」と気を遣い、帰り道では人混みを避けるように自然にエスコートしてくれる。
どの瞬間も、優しくて、安心感に包まれた。

気づけば夕暮れ時。時間はあっという間に過ぎていった。

「今日は……楽しかったな」
自然と口からこぼれる。
悠真は少し照れくさそうに視線を逸らした。
「……なら、よかった」

帰り道。
街の向こうで、大きな音が響いた。
夜空に、色鮮やかな花火が広がっていく。
人混みからは少し離れていたけれど、その光景ははっきりと見えた。

――あの夏の夜。
晴人と一緒に見た花火。
繋いだ手のぬくもりも、最後に聞いた「別れよう」の声も、ついこの間のことのように感じられた。
胸の奥が、切なく締めつけられて、気づけば立ち止まっていた。

「……まだ、忘れられないんだろ」
振り返ると、真っ直ぐな瞳がそこにあった。
否定できずに黙り込むと、悠真は少しだけ笑う。

「いいよ。俺のこと、一番好きじゃなくても」
低い声で、まっすぐに。

「でもな……俺は絶対に後悔させない。
1%ずつでもいい。少しずつでもいい。
いつか、俺が100%にするから」

ドン、と夜空に花火が咲く。
その音に重なるように――

「ひな、俺と付き合ってくれ」

心臓が激しく打ち、息が詰まりそうになる。
こんなに誰かを意識するのは久しぶりだった。

晴人の思い出はまだ消えない。
でも、悠真といると――前に進みたいと思える。

「……うん」
震える声で返すと、悠真の目が一瞬見開かれ、そして優しく細められた。

遠くの夜空で、花火がもう一度弾ける。
それは、ひなにとって新しい季節の始まりを告げる光のように見えた。