ひなは、ケータイの履歴に並ぶ「悠真」の名前を見て、胸が締めつけられる。
けれど、もう逃げられないと分かっていた。

――待ち合わせのファミレス。
向かい合って座ると、テーブルを挟んだ距離がやけに遠く感じられた。

「……どこにいたんだよ。心配して、何度も電話した」

悠真の声は怒りというより、不安と寂しさに滲んでいる。
ひなは小さく息を吐き、視線を落としたまま言葉を探す。

「……前にね。付き合ってた人と、偶然再会したの。それで助けてもらった」

悠真の表情が曇る。
けれど、ひなは止まらなかった。

「でもね、私‥‥ずっと悠真のことを、考えてた」

沈黙が落ちる。
勇気を振り絞り、ひなは顔を上げた。

「……お互いのために、離れたほうがいいと思うの」

悠真は食い気味に、掠れた声で返す。

「やだよ。俺は……一緒にいたい。ひなじゃなきゃ、だめなんだ。体……痛かったね。本当に、ごめん」

声が震えている。
「俺、もう二度としない。あんなこと……絶対に」

伸ばしかけた手は空を切り、拳に変わって強く握りしめられる。
それでも彼の視線はひなから離れなくて、痛みと後悔が滲んでいた。

その真っ直ぐな言葉に胸が痛んだ。
でも、ひなは首を振った。

「……私じゃ、だめなんだよ。悠真を幸せにできない。私、壊れてしまって……ちゃんと笑えない。そんな私じゃ……」

言葉を詰まらせ、涙が頬を伝う。
悠真は必死に手を伸ばしかける。
けれど、その手は途中で止まった。
届く距離にいるのに、もう繋げない――そんな距離が二人を隔てていた。

「……それでもいい。俺は、ひなと……」

かすれた声が続こうとしたその瞬間、ひなはかぶせるように首を横に振った。

「だめだよ、悠真。私のことを想ってくれる気持ちに、ちゃんと応えられない。……それは、もうわかってるから」

窓の外で、子どもの笑い声が響く。
ファミレスの中で、二人の時間だけが止まっているようだった。

「私、悠真の彼女になれて幸せだったよ。楽しかったよ。――ありがとう」
最後に、ひなは小さく微笑んだ。
それが精一杯の答えだった。

悠真の肩が微かに震えた。声を絞り出そうとしたけれど、出てくるのは嗚咽に近い息ばかり。
「ひな‥‥ごめん。‥‥本当に、ごめん。幸せにしたかった」

その声が胸を刺すけれど、ひなは視線を外さず、真っ直ぐに悠真を見つめた。


悠真の肩が微かに震えた。声を絞り出そうとしたけれど、出てくるのは嗚咽に近い息ばかり。

「私、悠真の彼女になれて幸せだった。楽しかったよ。――ありがとう」
最後に、ひなは小さく微笑んだ。
それが精一杯の答えだった。

悠真は拳を机の下で強く握りしめる。震える手の甲を、涙が伝っていた。
私たちは、心の奥で、確かに繋がっているような気がした。

しばらく、二人はただ座ったまま沈黙する。
店内のざわめきや子どもの笑い声が遠く、世界が二人のためだけに止まっているようだった。

「……行くね」
ひなはゆっくりと立ち上がる。
悠真も同じように立ち上がろうとするが、力が入らないようで肩を落としたままだ。

ひなは最後に小さく手を振る。
悠真はしばらくその姿を見つめ、やがてゆっくりと深く息をついた。
「……幸せになって」
それだけを呟く声に、未練も後悔も混じっていた。

ひなは背筋を伸ばして店を出る。
扉の向こうには、まだ冷たい朝の光が差していたけれど、胸の奥には少しの温もりが残っていた。

――私たちは、これでいい。
悠真を愛していたからこそ、最後まで向き合えたからこそ。
離れることも、愛のひとつの形なのだと、ひなは静かに理解した。

その日、ファミレスの空は少し曇っていたけれど、ひなには新しい一歩を踏み出す勇気があった。