大学4年の夏。
就職活動の話が、二人の間でも自然と増えていた。

「ひなは、どんな仕事に就きたい?」
帰り道、夕焼けに照らされながら悠真が問いかける。

少し照れくさそうに、けれど迷いなく答えた。
「美容カウンセラーになりたいなって思ってる。お客さんの肌や悩みに寄り添って、一緒に綺麗を作っていける仕事だから」

「美容って……女の人ばかり、だよな?」
悠真は何気ないふうを装って笑っていた。

ひなは首を横に振る。
「ううん。男性のお客さんも来ると思うよ。職場にも、男性はいると思う。でも、仕事だから!」

その言葉に、悠真の表情がふと曇った気がした。
――ずっと、女性だけの世界だと思っていた。
だから安心していたのに。
ひなの未来に、自分以外の“男”が確かに存在していると知り、何か思い悩んでいる様子だった。

胸の奥に、黒い影が落ちた――

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休日のデート。
青空の下、悠真と手を繋いで街を歩く。
いつものように笑い合いながら、話題のカフェへと向かっていた。

「ひな! もしかしてデート?」
不意に声をかけられて振り向くと、同じ学科の男子が立っていた。

「あ、うん。そうだよ。こんなところで会うなんてね!」
自然に笑顔で返すひな。
「また明日大学でな!」
軽く手を振り、彼は去っていった。

その瞬間、悠真の手がぎゅっと強く握り締められる。

「……誰?」
低い声。鋭く張りつめた空気。

「同じ学科の友達だよ。ちょっと話しただけ」
慌てて答えるひな。

だが悠真は足を止め、ひなを自分の腕に引き寄せた。
「‥‥‥他の男に、そんな顔で笑うんだね」

ひなの胸がぎゅっと痛む。
彼の言葉は優しい響きをしているのに、その奥に潜む嫉妬の鋭さは隠しきれていなかった。

「‥‥‥ごめんなさい」
困惑を隠しきれないまま、ひなは少し俯いた。

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その夜。
二人の部屋に帰ったけれど、沈黙が重たい――

進路の話、男友達のこと。
ひなが自分の手の中から離れていく未来が、悠真の胸を締めつけていた。

「どこに行くんだよ、ひな‥‥‥俺を置いて」
ぽつりとこぼれた言葉に、ひなは首を横に振った。
「そんなことない。私は、ずっと――」

そのとき。

バリン――!

甲高い音を立てて、床にグラスが砕け散った。
二人で選んだ、お揃いのグラス。

「なんでそうなるんだよ!!!」

気づいたときには、床に倒れていた。
口いっぱいに広がる鉄の味。頬がジリジリと焼けるように痛む。
――ああ、殴られたんだ。

どうして。いつから、こんなふうになってしまったんだろう。
頬の痛みよりも、胸の奥の方がずっと痛い。
心がずたずたに裂けていくみたいに。

「どこにも……いかないでくれ」

崩れるように抱きしめられる。服を掴む腕は強いのに、その声は今にも消え入りそうに小さかった。

涙で滲む視界の中で、ひなは息を詰める。
――愛に縛られて、逃げられなくなっていく。

2人一緒にいるだけで幸せだった。
悠真が笑うだけで、心が穏やかになった。
そんな日常はどこにいったんだろう。
ボタンは、いつかけ間違えた?

私がそばにいる事で、悠真を苦しめているんじゃないか。
彼の隣にいたい。
でももう、苦しくて息ができない。

『誰か。――たすけて』

そんな時に想い出したのは、晴人の涙目で笑った、あの姿だった。