世界は違えど悪党たちの生き方は特に何も変わらない。
 そんなわけで(どんなわけだ)本作品は、そんなダークヒーローたちの中から興味深い人間をピックアップして皆様に御紹介しようという目的で書かれた。ろくな奴がいないので、真面目に読まない方が良いと思われる。ここに描かれたダークヒーローたち全員が十代であることを、あらかじめ書いておく。
 一人目。ブーメラン男(仮名)。
 この男は狩猟採集民だ。有能なハンターであり、植物性の食料を採集する能力にも秀でていたので、狩猟採集社会では尊敬に値する存在だと思われるが実際は、そうならなかった。むしろ、部族の鼻つまみ者になってしまっていた。それには理由がある。彼の部族では、権力を握っていたのが別世界から来た魔法使いだった。この魔法使いは、自分の地位を奪いそうな人間を毛嫌いした。その代表格がブーメラン男だった。
 魔法使いは自分が支配する部族の者たちに、ブーメラン男を相手にしないよう命じた。命令には絶対服従であるからして、ブーメラン男は誰からも無視されることになる。
 そうなると、悲しい。当たり前のことだ。そして当然のことだが、その元凶である魔法使いを、激しく憎むようになる。
 ここでブーメラン男には、二つの選択肢があった。一つは、この部族を去ることだ。生まれ育った部族を離れるのは、とても辛い。だが、別の部族へ移ること自体は、その部族で奨励される行為だった。他の部族と交流することで、新鮮で有益な情報が手に入るケースがあるからだ。遺伝子の偏りを防ぐ意味で血の入れ替えも必要であるので、その意味でも部族を構成する人間に変化が生まれるのは好ましかった。
 しかしブーメラン男としては、素直に他所へ移りたくない気分がある。自分を虐める魔法使いに負けて、追い払われるのは納得がいかない。出ていくのは、魔法使いの方だ! と考えたのだ。
 そこで第二の選択肢が出てくる。
 憎んでも憎み足りない魔法使いを、こてんぱんにやっつけてやるのだ!
 だが、それが簡単ではないから困る。
 別世界から来た魔法使いには、恐ろしい武器があった。
 弓矢である。
「弓矢のどこが魔法なんだよ!」
 そんな声が聞こえてきたような感じはするけれど、気のせいだろう。
 とにかく、この時代の人間にとって、弓矢は魔法のようなものだった……という説明で、納得いただけるものと確信する。
 もう少し説明しておこう。
 この頃、この異世界の人類は誰一人、弓矢を知らなかった。当然、その原理を知らない。狩猟採集民が弓矢の理屈も何もかも分からないところに、謎の人物が弓矢を持って別の異世界から現れたのだ。その人間が――つまり、この魔法使いは狩猟採集民にとって、驚くべき異能の存在となったのは頷けることと思う。弓矢の圧倒的なパワーを見て、狩猟採集民は、それが魔法だと思い込んだのだった。
 話はブーメラン男に戻る。
 ブーメランと比べ弓矢は遠くまで正確に飛んだ。威力も強い。さらに、魔法使いは矢じりに毒を塗っていた。少しの傷でも、そこから毒が体全体に回り、動けなくなるし最悪の場合、死んでしまう。これにやられたら、勝てない。
 強力な弓矢を、どうにかしなければならない……というわけで、ブーメラン男は姦計を思い付いた。
 闇討ちだ。
 敵が弓矢を使う前に殺せばいいのである。
 作戦は素朴なものだった。魔法使いが寝ている間に襲う。シンプルすぎる手法だが、これが有効だった。
 この部族は、仲間同士での殺し合いは絶対の禁忌だった。その大罪を犯した者は、死刑と決まっている。どれほど強い人間でも部族の者たち全員を敵に回しては勝てない。そのように皆が考えているからこそ、誰も殺人をしようとは考えないのだ。
 それなのに、このブーメラン男は、殺人をしてしまった。
 死に際に魔法使いがギャーギャー悲鳴を上げたので、部族の全員がブーメラン男の犯行を目撃している。言い逃れは無理な状況である。
 それなのにブーメラン男は、自分の罪を認めなかった。その理由は、簡単に書くと「魔法使いは別世界から来た他人であり、自分たちの部族の人間ではないから、自分の行為は部族の禁忌事項に該当しない」というものだった。
 筋は通っている……というわけで、ブーメラン男は無罪となった。
 それどころか、魔法使いの後釜となって、部族のリーダー格に収まったのだ。
 殺人で部族の指導者になった人間は、ブーメラン男が初だった。
 しかし、これが慣例となり、部族の指導的立場を奪う際に殺人が普通に行われるようになってしまった。
 その野蛮な風習は、他の部族にまで伝播していき、一般的なものになった。
 かくして、その根源となったブーメラン男は、後世の人間から悪しざまに罵られるようになったのである。
 だが、このブーメラン男が魔法使いから弓矢を奪い、その秘密を解明するきっかけを作った功績は、後の人間も否定しなかった。この事件以降、弓矢は、この異世界の住人たちの間に普及していったのである。
 二人目。法螺吹き男(仮名)。
 この人物も狩猟採集社会に生まれたが、ブーメラン男よりも遅い時代に誕生したので、新しい文明の段階の息吹に触れている。その新鮮な空気みたいなものとは、何か? 農耕である。野生の動植物を採集するだけでなく、栽培したり飼育することによって食料を確保しようとする民族が発生してきたのだ。ただし、自前で何もかもを入手できるわけではない。山野の産物や海・川・湖で収穫される水産物は、狩猟採集民が取ってきて、農耕民族の提供した。農耕民が田畑で育てた作物や家畜小屋で育てた動物と、物々交換するのである。
 法螺吹き男の伝説は、そういった関わりの中で出来ていったものと推察される。
 この人物は吹き矢の達人だった。自慢の毒矢で獲物を取るのである。
 その自慢が、この男に災難を招いた。
「俺の毒矢で倒せない獣はいないね。どんな猛獣も、プスッ! でコロリ! なんだ。俺の吹き矢は世界一さ!」
 ある日、農耕民族の村に山野で捕らえた鳥獣を持ち込んだ彼は、そこで振る舞われた酒――田畑で収穫された穀物を醸造したものである――に酔って、自慢話を始めた。農耕民たちが、それを聞き流せば、何も起きなかっただろう。だが、その吹き矢が何でも倒せるという部分に、農耕民たちは強い興味を抱いたのだった。
「何でも倒せるというのなら、倒してもらいたい奴がいる」
 農耕民たちに言われ、法螺吹き男は尋ねた。
「おうおう、何だいそりゃ?」
「作物を荒らす害獣だ」
「ほふ~ん、そんなのがいるのか。どんな奴だい?」
「どんな物凄く皮が固い。弓矢を弾き返す」
 そう言われて、法螺吹き男の酔いは、半分くらい醒めた。弓矢が効かない相手に、吹き矢が刺さるものだろうか?
「大きさは?」
 法螺吹き男が重ねて質問した。農耕民は答えた。
「牛馬よりも少しばかり大きいかな」
 家畜よりも大きなサイズということは、かなりの大物だ。吹き矢に塗った毒が、その巨体を倒すまでには、かなりの時間を要するだろう。いや、毒が全身に回る前に、逃げられるかもしれない……と、法螺吹き男は考えた。
 別の不安が頭をよぎる。
「そいつは、人を襲うかい?」
「前は、人を見ると逃げ出した。しかし最近は逃げない。追い払おうとすると、こっちを追いかけて来ることもある」
 唾を飲み込んで法螺吹き男は言った。
「そいつに牙や爪が生えていたら、大怪我しかねないな」
 幸いなことに、鋭い爪や牙はないとのことだった。
 それでも危険な相手だと法螺吹き男は思った。酔いは、かなり醒めてきていた。これ以上の話は、今の心地好い酔いを、どんどん失わせていくものになるのは明らかだ。
「それじゃ、そろそろ失礼するかな」
 物々交換で手に入れた酒を詰めたヒョウタンの水筒を片手に、法螺吹き男が農耕民族の村を出ようとしたら、可憐な少女が彼を呼び止めた。
「お願いです、田畑を荒らす害獣を、あなたの力でやっつけて下さい」
 根が単純な法螺吹き男は、美しく可愛らしい娘の願いをかなえてあげることにした。農耕民族の村に残り、問題となっている害獣の出現を待つ。
 現れた。村人たちが一斉に騒ぎ出す。
 法螺吹き男は早速、現場へ向かった。いた。
 それは四つ足の生き物だった。前に聞いた話の通り、全身が固い皮に覆われている。その動物は、畑の作物をムシャムシャと食べていた。農耕民たちが追い払おうとしても、動じない。弓矢が放たれたが、皮が固くて刺さらない。大きな槍でも皮に弾かれてしまった。獣は、全く動じた様子もなく、畑作物を食べていた。なすすべなし、である。
 炎の力を利用しようとする者がいた。火のついた松明を持って獣に近づく。これには獣も反応した。近づいた人間に猛ダッシュしたのだ。強烈なチャージを掛けられたものだから、その人は松明を放り投げて逃げるしかなかった。
 真っ青な顔で法螺吹き男は呟いた。
「これを相手にするのか」
 こいつをやっつけるのは、どう考えても無理だと思った法螺吹き男は、現場の混乱を利用して逃げようとした。それを見逃さなかった人間がいる。先日、村を出ようとした彼を呼び止めた、可憐で美しい少女である。
「あなた、逃げるの? あれほど大言壮語しておきながら、逃げちゃうの? それって、情けなくない? 恥ずかしくないの? みっともないったら、ありゃしないわ! あ~あ~、こんな法螺吹きを信用したあたしがバカだった。バカだった、バカみたいだった、オオバカだった! バカだったのよ~!」
 泣き叫ぶ娘に閉口した法螺吹き男は、足を止めて言った。
「分かった。やるよ」
 法螺吹き男は、ほふく前進で獣に近づいた。相手に気づかれるギリギリまで接近し、吹き矢を放つ。狙ったのは獣の目だった。柔らかな眼球なら、吹き矢が突き刺さるだろうと彼は考えたのである。
 放たれた毒矢は狙い通り、目に突き刺さった。最も繊細な箇所を射抜かれた獣は、痛みに苦しみ、暴れた。そのまま村を出て、二度と戻って来なかった。法螺吹き男は、畑を荒らす害獣を追い払うことに成功したのである。
 村の英雄となった法螺吹き男は、そのまま村に居ついて生活するようになった。畑仕事はしない。何もせず、ただ飯を食らっている毎日である。
 また害獣が現れたら困ると思い、農耕民たちは法螺吹き男を養っていたのだが、害獣が来ない日々が続くうちに、法螺吹き男が邪魔になってきた。皆で相談し、追い払うことに決める。
「出て行け!」
「何でや! 何でやねん!」
 追い払われた法螺吹き男は復讐しようと考えた。しかし、村で怠惰な暮らしをしていた彼の肉体は、すっかり衰えており、それどころではなかった。過酷な狩猟採集生活は、もう出来なくなっていたのである。
 それでも村人たち全員を殺せるだけの毒を必要とした彼は、元いた山野へ戻った。毒は、山の奥深くにある秘密の場所で採取されたものだった。そこは人里離れた土地で、足腰の弱った者には到達困難なところだったが、そこに行かないと手に入れない。体のなまった人間には無理な話だった。吹き矢に塗る毒を採取しようと山野へ向かったきり、彼は姿を見せなくなった。死んだのだろうと人々は噂した。
 それでも危険が去ったと断定するのは早い、と考える人間がいた。法螺吹き男を呼び止めた美しく可憐な少女である。娘は、法螺吹き男に似た外見の藁人形を大量に畑の周辺に立てることを、人々に提案した。皆、それに同意した。
 田畑を鳥獣から守る案山子は、これが元になったとされている。
 この伝説の元となった人物が、どうして法螺吹き男と呼ばれているのか、誰も説明が出来ずにいる。
 大口を叩いただけの働きをしたはずなのに……もしかすると、これには狩猟採集民たちに対する農耕民たちの差別意識が、根底にあるのかもしれない。
 三人目。革命男(仮名)。
 農耕民族による農耕社会が発展すると、同じ農耕民の間にも貧富の差が広がってきた。格差社会の到来である。社会の上級に位置する物質的に恵まれた富裕層と、食べる物にも事欠く不幸な貧困層の間に、摩擦が生じ始める。
 そんな状況下で登場したのが、革命男だった。
「どうして自分たちは辛く悲しい思いをしているのか? それは世の中が悪い。社会を変革しなければならない時が、遂に来たのだ。革命の時が、訪れたのだ!」
 大体そんなことを革命男は言ったらしい。社会の最底辺にいた人々が、それに同意した。革命を起こすのだ! というわけで最下級の人々は武器を持って蜂起したのである。
 体制側は、この動きに弾圧をもって応じた。武装蜂起した反乱民たちを激しい暴力の嵐が襲う。これに耐えられる者はいなかった。一人を除いて。
「この戦いには敗れたが……まだ戦いは終わっていない。命ある限り自分は戦い続ける!」
 そんな固い決意で革命男と彼の同志たちは地下に潜伏した。そして、その潜伏先で怪異現象に遭遇した。
 革命男が書き残した記述の一部を抜粋する。
『獣たちは、大きな口と、ずるずる這う巨大な丸太のように長い胴体を持つ原始的な生き物の類のように思われた。しかし数が多い。私たちに二十数体が、じりじりと迫ってきた。不気味なベチャベチャとした移動音、ビェビェという呼吸音が、呼吸に鳴り響いた。近づいてきた野獣の群れは、やがて一斉に襲いかかってきたのだ! 後ろ足で立ち上がると、歯の代わりと思しき突起が騒がしい音を立てたのだ!』
『試練は、まだ続いた。次に向かった先は、赤く縁どられた目の奥に、底知れぬ悪意と狂気を内包した生命体の巣だった。この生物には知性の欠片らしきものがあった。だが、それも脅威の一種でしかない。長い歯と鱗のある鉤爪、切れ込みの入った太い尻尾、そして鋭く長い角が生えた頭部が、私の目に今も焼き付いている。知性ある獣ほど、厄介なものはない。あの生き物の咆哮は、私たちにとっては意味あるものではなかったけれど、その同種間ではコミュニケーションの手段となっているようであった。さらに、我々を襲いかかる手法を見るに、作戦という概念も、その内部に存在しているように思われた。かくして、チームを組んだ奴らと、私たち革命家グループは戦った。激しい勝負だった』
『妖魔たちは、異能力の使い手だった。そして腹黒だった。我々と同盟を結び、地上に侵略する計画は、嘘だったのだ。信じがたいことだが、妖魔たちは憎むべき上流階級と手を結び、私たちを殺そうとしたのだ。裏切り者には、死あるのみ。私たちは妖魔と戦い、これを打ち破った。その死体から、私たちはキラリと光るものを見つけた。奴らの撒き散らした赤と黒と黄色い内蔵の中に、それはあった。同志の一人で異世界からの訪問者である活動家は、その光り輝く物体を魔石だと言った。強力な魔力を秘めた物質だと言うのである。その他にも、濃い青と緑と紫の不規則な形の大きな石も見つかった。それは妖魔の心臓なのだそうだ。その持ち主は既に死んだというのに、その心臓はまだドクドクと脈打っていた。不思議なことがあるものだ』
『地下にも王がいた。真紅と茶褐色と黄金色の衣服を身にまとった、太った二足歩行の生き物だった。これが人間とは思えないけれど、地底人たちの王は、こういうものらしい。地底の王は、私たちを見ると、ニヤリと笑って、家臣の者たちに頷いてみせた。私たちを馬鹿にしているようだった。その口元から褐色の液体が滴った。赤い絨毯に落ちた液体は、すぐに炎と化して、一筋の煙を残し、消えた。錬金術の実験をしているのかと我々は錯覚したが、それは戦いの合図に他ならなかった。魔法少女が結界を張るのが遅れたら、私たちは突然虚空に出現した巨大な鉤爪に全員が引き裂かれていたことだろう。魔性の魔法少女に栄光あれ!』
『「そいつは女ではない……ジェルグラインノレだ」と第十八異次元界から異能力戦士は分析した。金色の髪と赤い下着を身に付けた姿はセクシーな女性そのものだったが、それは実際には人間でなく、魔物なのだそうである。現実の女も魔物ではないか? と同志オーマイハニー君が言ったら、皆が笑った。女性の同志たちは笑っていなかった。ジェルグラインノレに話を戻そう。こいつらは混沌界隈の魔獣なのだそうだ。ほぼ裸で、金髪。長い髪は膝まで伸びている。それと赤い下着が、裸身を隠しているのだ。歯は見える。その奥に長い舌が見える。長く尖った歯と、チロチロ蠢く舌が、非常に不気味だった。やがてジェルグラインノレは歌を歌い始めた。これが、途轍もなく音痴なのだ! びっくりしたよ。だが、これが罠なのだ。耳が鋭い痛みに耐えられなくなる。そして、胃の腑がでんぐり返しを熾しそうになる。立っていられなくなったところを、襲い掛かってくるのだ、ジェルグラインノレは! それにやられて、私は死にかけた。私の隣にいた魔法使いの老婆が、細い腕を振り上げ、頭上に長剣を高々と掲げ、無慈悲な魔法を唱えてくれたからジェルグラインノレは逃れ、そして私は救われた』
『赤い髪をした男の名はラグラナイオールと言った。私たちと同じように、王侯貴族への反乱を起こして敗れ、地下世界に逃れたと自分で説明した。しかし、これは嘘だった。奴の正体は、地上を走る怪鳥だった。私たちを食べようとして、騙したのだ。オレンジ色の瞳を輝かせて、悪意に満ちた目で私たちを見つめて、彼は正体を露わにした。輝く羽毛は、わずかに日の光に似た煌きがあったが、だから何だというものでもない。とさかがあるから鶏に似ているようだが、羽は退化していた。翼の代わりに発達しているのは、後ろ脚だ。足の鋭い爪で私たちを切り裂こうとしてくる! 同志の召喚士は、巨大なトンボを群れで召喚した。異世界から来てくれた応援部隊は、ラグラナイオールと自称する変な生き物と戦い、勝利した。敵は八つ裂きになったのだ。万歳! 革命、万歳!』
 革命家たちの冒険は、まだまだ続いた。今も地底の奥深くで戦い続けているとの説もある。いや、既に地下世界を制覇したとの噂もあるくらいだ。そして、地上に進出する機会を狙っているそうだ。頼もしいことである。
 四人目。ネズミの被害に困った女ノイチゴ(仮名。)
 天井裏や床下そして壁の中からガサガサゴソゴソという物音が聞こえるようになって一週間になる。ノイチゴは遂に、物音の正体と顔を見合わせた。そのときの様子は、こんな具合だ。
 気配を感じて真夜中に目を覚ましたら、闇の中に小さな光が幾つも蠢いている。枕元に置いていた石油ランプの明かりで室内を照らすと「キーキー」という鳴き声が喧しい。布団から出ている素足に何かが当たった。慌ててベッドから体を起こした。石油ランプの灯が部屋の隅まで照らしだ。足の方にいた黒っぽい灰色の物体が室内を走り回っているのが見えた。それだけではない。同じような黒灰色の塊が何十匹もゴミの散らかった床の上を駆け回っている。食べ残した残飯の間を走る謎の生き物たちの正体が何か、ノイチゴには分からない。
 不思議な生物の繰り広げる大運動会を我を忘れて凝視していたノイチゴは、やがて思い出したかのように悲鳴を上げた。謎の小生物たちは寝室の壁と床の接合部に開いた小さな穴の中へ次々と入り、姿を消した。
 あれはきっとネズミに違いない、とノイチゴは思った。ネズミのような野生動物は田舎にしかいないと勝手に考えていたが、都会の高級住宅地にある自分の屋敷にも出るのだと気付き、怒りと恐怖で震える。ネズミの巣が屋敷の中か、屋敷を取り囲む林の何処かにあるのだろう。駆除が必要だ。だが、どうやって?
 そう言えば、そういった業者が郵便受けに入れた広告のチラシがあったはず……と考えたノイチゴはゴミの中から苦労して目当ての物体を見つけ出した。屋敷の中に自分以外の人間を入れるのは絶対に嫌だが、ネズミとの共同生活も御免だったのだ。この屋敷にネズミ駆除業者を招き入れるかどうか決めるのは、この業者に電話してからにしようと考える。
 電話に出た男は、ネズミが疑わしいけれど調べてみないと何とも言えないと断定を避けた。ネズミだとしたら、どういう対処法があるのかとノイチゴは尋ねる。素人がやるのならば殺鼠剤が良いと、相手は答えた。それだけ聞けば十分だった。ノイチゴは礼の言葉も言わずに電話を切った。郵便局員が届けた殺鼠剤を屋敷の中と外の敷地内のあらゆる場所に仕掛ける。
 しばらく様子を見守った。ネズミが殺鼠剤に手を付けた様子は、確かにあった。しかしネズミの死骸は見当たらない。見えないところで死んでいるのだろうとノイチゴは考えた。このまま殺鼠剤を撒き続けていれば、いつかネズミは死に絶えるはず……と思ったけれど、出没する黒灰色の塊の数は増える一方だった。
 ノイチゴは激怒した。電話で問い合わせたネズミ駆除業者に再び電話する。最近のネズミの中には殺鼠剤の効かない種類がいると電話の男は説明した。言い訳にしか聞こえなかったので、ノイチゴは「何とかしろ」と怒鳴りつけてやった。相手の男は「実際に調査しないと対策の立てようがないです。私に任せて下さい。ネズミはペストのような危険な病気の原因となります。やるからには徹底的に調べ、根こそぎ駆除しなければいけません」と答えた。それを聞いて、ノイチゴは憤然として電話を切った。しばらく怒りは収まらなかった。だがネズミとの同居はもうたくさんだった。三度、業者に電話をする。来訪の予約をした。その日が来た。
 作業服を着たネズミ駆除業者の男は色々な機材を持って屋敷を訪れた。ノイチゴの監視の下で、広大な邸内の至る所を調査する。やがて男は言った。
「ネズミの巣は寝室の壁の裏側の隙間にあるようです。床と接する部分に小さな穴が開いています。そこから出入りするのでしょう。穴の中へ魔法の小男を入れ、中を視認します。巣があれば除去します」
 ノイチゴは尋ねた。
「魔法の小男って、何?」
 ネズミ駆除業者の男は答えた。
「何って、魔法の小男です」
「だから、それは何なの?」
「名状しがたい魔術の産物です」
 そんなものに家の中を動き回られるのは迷惑な話だった。ノイチゴは規定以上の料金を支払い、業者を追い出した。後は自分でやると告げる。何も面倒なことではない。壁の穴を何かで塞げば良いのだから――と思い重い箱で穴を封じるも、出入り可能な穴は他にもあるようでネズミの出現は続いた。穴の中へ殺鼠剤を入れても効き目が無かったので、煙で燻してみようと思ったが、窓を閉め切った室内で火を起こしたら自分の方が死ぬかもしれないと考え、止める。
 壁を壊し、中の巣を除去しようとノイチゴは決意した。ツルハシやトンカチで壁を叩き壊す。なかなか手間のかかる作業だった。壁の中に隠された部屋が、やっと出て来た。ネズミの巣は、どこだ? 石油ランプの明かりで暗闇を照らす。白骨死体は見えたが、他には何もない。ネズミの巣など、どこにもない!
「やはり死体の隠し場所は、ここでしたか」
 男の声が聞こえ、ノイチゴは驚いた。いつのまにか自分の横に男が立っている。見覚えのある顔だった。
「お前は、ネズミ駆除業者!」
「それは仮の姿。本当は探偵です。失踪した貴女の御主人の捜索を御主人の御実家から依頼されまして、警察と協力して調査を進めておりました」
 男の説明が終わる前に警察が室内に入ってきた。壁の中の隠し部屋にある白骨死体を見て、刑事がノイチゴに尋ねた。
「この白骨死体について、何かご存じでしょうか?」
 ノイチゴは何も知らないと答えた。刑事は言った。
「この死体は行方不明の御主人の可能性があります。そしてノイチゴさん。実は、貴女には、御主人を殺害し死体を隠した疑いが掛けられています」
 そして刑事はノイチゴを逮捕した。
「警察署でお話を伺いますので、御同行願います」
 連行される前に、ノイチゴは探偵に苦情を言った。
「ヘボ探偵さん。ネズミの巣は、ここになかったわよ」
 ヘボと言われた探偵は肩をすくめた。
「私も不思議なんです。貴女が仰るような、ネズミがいる痕跡はどこにも見当たらなかったんですよ。貴女が目撃したのは、本当にネズミだったのですか?」
 五人目。筆者(仮名)。
 ダークヒーローとヒロインの話を書いた。やっと終わった。どうなることかと思ったが、もうすぐ一万字に到達するから不思議なものだ。こんなのを投稿しても良いのだろうかと正直、思う。でも出すことにする。辛く悲しいけれど。恥ずかしさとの戦いに勝つために。