夜と朝と君と

今までの人生を、一言で言い表すならば、
『破壊』
だった。

俺はとにかく、なにかを壊すことに夢中だった。
もちろん、最初は好き好んでやっていたわけじゃない。
暴力をふるう親父に、勝てるようになるためだ。
でも、それが、自分の力として蓄えられていることを実感した瞬間、どうしようもなく嬉しくなった。
一種の依存症状とでもいうのだろうか、人を傷つけるという行為に、どんどんはまっていってしまった。
俺の人生は、力を持ったことによって壊れ始めた。
最初は、こんな風になったのは家庭環境のせいだと、言い訳していた。
確かに、親の影響もあるのかもしれない。
でも結局、そこから変わろうとせずに、自分の人生を壊していたのは、自分自身だったことに気づいた。
気づくのが、遅すぎた。
もう、俺の手は既に血まみれになっていたし、
人の未来を壊してしまったし、
恨みの声が、背中から毎日聞こえてきた。
呪いのような、黒いものが、ずっと離れない影のように、ぴたりとくっついているようだった。
もう止まれない気がした。
止まったとしても、やり直せないことくらいは、わかり切っていた。
でも、中学生の時、俺の人生を変えてくれた人に出会った。

当時の俺は、かなりの影響力を持った存在だったと思う。
不機嫌な時は他の奴らに当たって、ストレスを発散していた。
気持ちが良かった。
廊下を歩くだけで、みんなが俺のために道を作り、首を垂れ、毎日が絶頂だった。
そんな、ある日のことだった。
道を空けずに、俺の前に立った奴がいた。
「あ?」
あからさまに不機嫌そうな、低い声を出すと、周りの奴らはびびってどこかに逃げていった。
それでも、目の前の目障りな奴は、顔色一つ変えずにそこにいた。
しばらくして、そいつは静かに口を開いた。
「お前さ、いつまでそんなくだらないことしてんの?」
体の、どこかが、ぷつんと、切れて。
血の巡りが、心臓の鼓動が、早くなって。
わかっていたはずのことを、改めて突き付けられた悔しさでいっぱいになって。
お前に何が分かるんだ、と勝手に八つ当たりをして。
気づけば、俺の手は、今までにないほどの力がこもっていた。
赤く染まった、罪の手。
目の前には、口から血を吐き、倒れているそいつがいた。
何が起こったのか理解できなかった。
ただ、覚えていたのは、殴っていた時も、そいつは少しも手を出さずに俺を見つめていたことだった。
すぐさま教師たちがやってきて、そいつは救急車で病院に、俺は警察に連れていかれた。
あとから、聞いた。
そいつの内臓は、破裂したと。
腹に、複数回殴ったからだ。
その時から、俺は人生のどん底に堕ちた。

何もない、毎日だった。
無彩色。
まさに、そんな言葉がぴったりとあてはまるような、日常。
この世界から、いなくなろうと、考えたこともあった。
でも、死んだら、弟たちを守れない。
絶対に、弟たちだけは、守りきると決めていた。
だから、どれだけつらくても、生きた。
生きてはいけない存在だとわかっていたのに、生き続けた。

そんな俺が、初めて、誰かの役に立てると思った。
会った瞬間、自分のするべきことが見つかった気がした。

初めて会ったその子は、心のどこかが壊れてしまったような表情をしていた。
もうすぐで割れてしまいそうな、硝子のようだった。
何とかしなければ、と思った。
誰かを、自分と同じ思いにはさせたくない。
これ以上、この連鎖の、犠牲者を出したくない。
だから、出会ったその日に、呼び出した。
試しに忠告はしてみたけれど、おそらくそんなもの聞かないだろうと予想はついていた。
彼女を傷つける、最も有効的な方法を、俺は知っていた。

「先生、いいんですか?うちのクラスのいじめ、放っておいて」
授業終わり、先生に、相談があると言って呼び出したのだ。
先生は、引きつった表情をした。
一歩後ずさったようにも見えた。
当たり前だ。
今の時代、自分の担当していたクラスでいじめなんて問題が起きたら、かなり大きな騒ぎになる。
教師という仕事も失う。
「いや……、夜見、急に何だ?お前、今日この学校に来たばっかりだろ?」
「……見ててわかるでしょう、クラスの雰囲気くらい」
黙り込むその様子から、おそらく知っていながらも気づかないふりをしていたことが読み取れた。
「注意喚起くらいは、しといたほうがいいとおもいますけど」
ピタリと動きが止まって、かなり効いたことが分かった。

案の定、教師はすぐさまクラスに呼びかけ、その日から、その子は、
――八乙女沙羅は、一人になった。
何かが抜け落ちたような顔になった。

その顔を見て、自分の選択は、一体正しかったのか、と不安になった。
いじめの事実を隠蔽しておけば、八乙女はいつも通りの日常を送れた。
一人になることなんて、なかっただろう。
……でも。
そうだとしても、ここで止まらなければ。
ずっと止まれなくなる。
八乙女も、止まりたいんだろう。
でも止まれないんだろう。
以前の自分の姿と、どことなく重なった。
だからここで、誰かが止めなければ。
きっと、止めるのは、汚れ役だ。
恨まれるだろうし、嫌われるだろうし、憎まれるだろう。
でも、八乙女にとっての悪役ならば、最後まで、悪役の役割を果たさなければ。

それから数日たって、八乙女に呼び出された。
怒るのだろうな、と思っていた。
案の定、八乙女は怒っていたけれど、怒りの感情だけでは、ない気がした。
『あなたは、私の世界を、壊した』
そういわれた。
八乙女の世界。
それはきっと、八乙女にとって全ての物事が都合よく回って、自分が常に一番上にいて、優越感に浸れた、過去のことを言っているのだろう。
なら、今、八乙女が生きている世界は?
全て失った世界。
言い換えれば、
何もない世界。
新鮮で、透明な、世界。
プライドとか、カーストとか、そういうものを全部失ったからこそ見える景色があるのではないか。
そう思った。
「それは、お前が悪いだろ」
だからこそ、の決断だった。
きっと、八乙女は、八乙女の中には、中途半端に過去の世界が残ってしまっているのだ。だから苦しい。
本当に、辛いと思う。
誰かが、最後まで、打ち砕いてやらなければ。
永遠にその世界に未練が残る。
壊して、壊して、全てなくなった時に。
やっと、新しい世界が創られ始める。
自分が、八乙女の世界を、過去を壊せたのなら、むしろ本望だ。
そんなことを言えば、きっと怒るだろう。
殴られる可能性も考えた。
それで吹っ切れてしまえば、俺はもういらない。
どんなことをされても、堂々と構えるつもりでいた。
あの時、俺の間違いを教えてくれた、あいつのように。
でも。
八乙女の行動は、俺の予想をはるかに超えた。
突然、ぼろぼろ泣き出した。
え、と固まってしまって、『あっち向いてて』と言われるまで、動くことができなかった。
どうすることが、一番八乙女の支えになるのか考えて、考えた。
考え続けて、やっぱり、あれかな、と思った。
「俺も、いじめの加害者だった」
俺を手本にしろなんて言えないけれど、少しでも、同じような奴がいたんだということを、知ってもらいたいと思った。
少しは、助けられると思った。
八乙女の周りにある壁が、少しだけでも、薄くなればいいと思った。
ほんの少しでも、八乙女を救うことができたら。
でも、逆だった。
『明日も、明後日も、屋上で話していい?』
という言葉に、俺が救われた。
こんな自分に、誰かが待ってくれる明日が来る。
そのことが、無性にうれしかった。

次の日も、八乙女と話をした。
今までの八乙女は、近寄りがたい雰囲気を醸し出していたからわからなかったけれど。
話してみると、少しだけ会話が苦手な、
――――――――ただの、女子高生だった。
何もない、ただ、普通の。
俺と年の変わらない。
そんな、素の八乙女を、おそらく自分だけが見ているということに、満たされた。

それと。
会話の中で、一つだけ。
気になったことがあった。

八乙女が、焼き芋が好き、と言ったのだった。
焼き芋は、俺にとってすごく大切な、宝物の記憶だ。
まあ、ただ単純に、好きなものが一緒だったことが嬉しかったのもあるけれど。
もし、繋がりがあるのなら。
そう、期待してしまう自分がいた。
でも、聞くことはしなかった。
八乙女だって混乱するだろうし、何より間違っていたらすごく恥ずかしい。

小学校低学年か、いや、小学校に上がる前だったかもしれない。
寒い、冬の日だった。
たしか、雪も降っていた。
近くに、焼き芋屋が来ていたから、それをお小遣いで買って、弟たちに食べさせようと思っていたのだ。
弟たち3人分と、俺の分。
合わせて四つの焼き芋があった。
満足げに帰り路を歩いていると、小さな女の子が座り込んで泣いているのを見てしまった。
小さな女の子、と言っても、俺はその時からかなり身長が大きかったから、実際はそこまで年齢差はなかったのかもしれない。
でも、俺にはどうしても、細く小さく、か弱く見えた。
流石に無視して帰るのも人としてどうかと思ったので、
「どうしたの」
と声をかけた。
するとその子は顔を上げて、こちらを見つめた。
綺麗な瞳だった。
そのビー玉みたいな瞳から、一粒、また一粒と粒が流れていくので、慌てて頭をなでた。
これは、弟たちをなだめる必殺技だった。
だった、のに。
その子はなぜか、さっきよりもっと、くしゃりと顔を崩して、大泣きしてしまったのだ。
困ってしまって、どうしたら喜んでくれるかを考えた。
手元には、食べたくてたまらない、焼き芋があった。
甘く、美味しそうなにおいが、鼻腔をくすぐる。
俺の分だけなら、何の支障もない。
涎を呑み込んで、「あげる」と手渡した。
その子は大きな瞳を見開いて、「え」と小さくつぶやいた。
「だから、あげるって」
ずい、と押しやると、「いいの?」と聞いてきた。
こくりと頷くと、弾けるような笑顔で、
「ありがとう!」
と元気よくお礼を言われた。
その子が、むしゃむしゃと美味しそうに頬張る姿を見ているのは、普通に、拷問だった。
俺はきっとその時、恨めしそうな眼をしていたのだろう。
その子に、
「半分こ。する?」
と聞かれたのだった。
こういうとき、『いや、いらないよ。全部あげる』と言うのがスマートな対応だったのだろうけど。
俺は誘惑に負けた。
小さくうなずくと、その子がいかにも非力そうな力で焼き芋を割った。
冷たい空気の中に、白く温かい空気が舞う。
一生懸命割ってくれたというのはわかったけれど、半分こ、というよりかは、2対8くらいの割合だった。
2のほうをもらったけれど、本当は8が食べたかった。
でも。
隣で誰かがおいしそうに物を食べる様子を見ているのは、悪くなかった。
食べているうちに、その子もかなり落ち着いたので、事情をきくと、道に迷っているということだった。
俺はそこらへんにかなり詳しかったから、その子が行きたいという駅の場所まで連れて行った。
そこにはその子の母親らしき人がいて、「ありがとうね」と頭を下げられた。
その子も、ばいばーい!と元気良く手を振って……
あれ?
確か、このあと、あの子は何かを言った。
何だっけ。
思い出せ。
すごく大切なことだ。
そんな気がする。
―――思い出せ。

蘇る、微かな記憶。
でも、まだ温度の残る、温かい記憶。
『ばいばーい!』
『ありがとう!』


『私の名前ねっ、……』


だめだ、ここまでしか思い出せない。

「……で」
「―えーでっ」
「かえでってば!」
目が覚めた。
隣には。
八乙女がいた。
俺たちは、今、付き合っている。
一番近い距離で、支えあえる関係にいる。
いつものように屋上のベンチに座っていたら、いつの間にか、うとうとしてしまったようだ。
「あーごめん、八乙女。寝てた」
そういうと、八乙女はなぜかムッとした表情をして。
「違うでしょ!ほら、約束したじゃん!」
「え?」
「名前で呼ぶって!」
「ああ、そういえば……したような……」
「もう!いい加減覚えてね?
改めて言います、私の名前は、

―――――沙羅ですっ!」
重なる。


『私の名前ねっ、
さらっていうの!また会えたらおれいさせてね!』


思い出した。
運命、なんて言葉はできる限り使わないようにしてきたけれど。
今だけは、思ってもいいのだろうか。
運命。
とか。
「うん。知ってる。……沙羅、好きだよ」
「…っ」
さっきまで俺のことをからかっていたくせに、こういうことを言われるとすぐに赤くなる。
「かわい」
「やめてよ、もう」
こんな幸せな時間が、ずっと続きますように。
沙羅とともに、支えあって生きていけるように。
俺は、力だけじゃなく、心の強さも手に入れたい。
好きな人がいる幸せ。
すごく、大切な存在。
そんな人に巡り合えたことが奇跡なのだから。
「大好き」
守っていきたい。
割れてしまいそうだった硝子は。
今では、光に照らされて、笑顔に輝いていた。