夜と朝と君と

5.透明人間

それからの日々に何か変化があるわけでもなくて、私はいつも通りに毎日穂香をいじめた。何か変わったことがあるとすれば、いじめているときに、どうしても夜見の言葉が一瞬頭をよぎることだった。快楽でしかなかったいじめが、だんだんと、少しずつ、苦痛に感じるようになった。
これがいけないことだとはわかっている。
心の穴は、何度塞いでも、塞いでも、気づけば開いている。
一時的に埋める方法でしかない。
でも、仕方ないだろう。
私は、穴を埋める方法を、これ以外に知らない。

変化が起きたのは、6月の初め頃だった。
もうすぐ夏休みが始まるというこのタイミングで、週の終わりの金曜日に、先生から重大な話とやらを聞かされた。
「えー、このクラスはとても仲がいいよな、本当に」
みんなそんなわけがないと思いながらも、あたかも同意するような、そんな表情をした。
「でも、たまにちょっと喧嘩になってしまうこともあるかもしれない。そんなときは、素直にごめんなさい、と謝るんだぞ」
小学生に聞かせるような話に、クラス中が呆れる。
「そんなのわかってますってー」
東城があからさまに呆れたような顔をして言うと、場の空気が和んで、いつも通りの雰囲気になった。
先生もほっとしたような顔をして、「そうですよね、変なことを聞いてすみません」と笑った。
帰り際、先生が
「くれぐれも、いじめなんて問題起こさないように」
といったのは、さすがに、まずいと感じた。

噂で聞いたのだが、いじめのことは、夜見が先生に話したらしい。
別に、その時は、どうでもいい、私には関係ないと、思っていた。
いつも通りの日常を、繰り返すだけだ。

それが、私に大きく影響を及ぼすということが分かったのは、週明けの月曜日のことだった。
今まで親しく話していた梨々花と瑠衣が、私を拒むようになった。
「おはよ、梨々花、瑠衣」
いつものように、鞄を机に置いた時だった。
楽しそうに話していた二人は、私の顔を見るなり、無視して遠くに行ってしまった。
隙を見計らって声をかけても、空気のように流された。
まるで。
まるで、ーーーーーー自分が透明人間になったかのようだった。
もう存在すらしていないかのような。
幽霊?
いや、空気だな。
誰にも認識してもらえない存在。
いるとはわかっているのに無視される存在。
気づけば、いたのかどうかも忘れられるような、そんな存在。
―――――――――――裏切り。
そんな言葉が、頭をよぎった。
私に従い、私の命令通りに動いていた奴らが、突然、穂香の方に言ったのだ。おそらく、先生が言った言葉が、かなり効いたのだろう。
そして、中立の立場もできた。
どちらにも入らない、中途半端で賢い立場。
東城と室星が輪の真ん中にいて、穂香とも、私たちとも交流していた。根暗陰キャは、大体そちら側に行った。
陰キャの代表格ともいえる、城戸竜星は、今までは教室の端っこで本を読んでいる奴だったのに、なんだか今は楽しそうだ。
あんな奴でさえ、変わってきている。
そのことが妙に、私を焦らせた。
かといって、私の力がなくなったわけではない。
少し痛い目に合わせれば、すぐにこちら側に戻ってきた。
それでも、穂香に群がる奴らや、東城たちと話しているクラスメイトを見ていると、どうしても、思ってしまった。
楽しそうだな、と。
こんな、私のような薄っぺらな関係は、すぐに壊れるものなのだ。
強くて堅い、逃げられない絆で結ばれていると思っていた。
仲間意識、と言った方が正しいだろうか。
結局、そんな意識で結ばれた絆は、すぐに千切れるのだ。
埋まっていた穴に、ふさがっていたはずの穴に、空気が通り抜けた気がした。
無条件に、傍にいてくれるのは、海だけだった。
海は、海だけは、約束通り、ずっと私のそばにいてくれた。
海は、私の心の安定剤になっていた。
私が不安だと言えば、「ずっと傍にいるよ」と言ってくれたし、辛いと言えば、「俺が何とかするから」と言ってくれた。
私が欲しい答えを、海はいつも言ってくれた。
なのに、海がそう答えるたびに、孤独になってしまうのは、なぜだろう。
気づけば、こちら側の味方は片手で数えるほどしかいなくなってしまった。
前は、みんなで一体となって、いじめていたくせに。
今になって、自分たちは関係ないですアピール。
本当に、腹が立つ。
……梨々花や瑠衣との会話が、少しでも楽しいと感じてしまった私が馬鹿のようだ。

次の日、海は風邪を引いた。
朝、学校には行けない、と連絡が入った。
一瞬、迷った。自分も休んでしまおうか。そうした方が、きっと楽だ。
今、海がいないあのクラスに入っても、私はまた、空気のように扱われるだけ。
けれど、私には最初から選択肢なんてなかった。
久しぶりに、お母さんが帰ってきたのだ。
学校を仮病で休んだら、家でお母さんと二人きりだ。
それだけは、絶対に避けなければならなかった。
立つのもやっとの足で、私は学校へと向かった。

海のいない教室では、私は一人ぼっちだった。
全盛期だったあの頃を思い出す。
あの時は、みんな私に従って、おだてて、たくさんほめてくれた。
命令を聞かないやつは仲間から除外されて、私にとって居心地の良い空間が完成されていた。
今はどうだ。
誰からも話しかけられない。自分から話しかけても無視をされる。
知らない。こんな世界、私は知らない。
誰が、私をこんなところに落とした?
私を、こんな、教室の端っこに追いやったのは。
敵に気づかれないように息をしている虫のように変貌させたのは。
誰だ?
決まっている。
夜見だ。
復讐、しなければ。
唐突に、そう思った。
夜見を、手紙で屋上に呼び出した。