夜と朝と君と

3.舞い込む風

朝になっても、お母さんはまだ帰ってきていなくて、とりあえず簡単な料理を置いて家を出た。
深呼吸をして、一歩を踏み出す。
今日の空気は、やけに綺麗な気がした。

「ねね、知ってる?今日転校生来るんだってー」
「あー、知ってる!なんか超イケメンらしいよ!」
梨々花と瑠衣は、高校になってできた友達だ。
私が穂香をいじめるようになってから意気投合した。
いや……、二人は、自分がどのように立ち回るのが正解かを、理解していたといった方が正しい。カースト上位有力候補の私についてきた方が後々有利になると気づいたのだろう。
それに、私にとっても二人が側にいることは、メリットが大きかった。二人はかなりの陽キャで、容姿も良い。つまり、ほかの奴らも味方に回しやすくなるのだ。まあ、普段は二人で騒いでいるから、あまり会話をしないけれど。
でも、『転校生』というのは少し気になる。
異物は、出来るだけ入れたくない。
このクラスの風紀を乱されたら困る。
「へぇー、どんな奴なの?」
私が聞くと、梨々花と瑠衣が、待ってましたと言わんばかりに話し出した。
「まずめっちゃイケメン!」
「そうそう、水瀬君と張り合えるくらいにはイケメンらしいよ!」
水瀬君、というのは海のことだ。海は、他校の女子に一目ぼれで告られるほど顔立ちが整っている。髪も明るめの茶髪で、性格もフレンドリーだから、とてもモテている。つまり、そんな海と張り合えるということは、かなりのイケメン。
「あとね、すっごい喧嘩強いらしいよ!」
「怖いよね~」
とは言いつつも、二人とも嬉しそうだ。女子というのは、力の強い男子に惹かれる傾向にあるらしい。
……きっと、殴られたことがないからそんなことがいえるのだ。
「それでさ、転校っていうことにはなってるけど、本当は暴力沙汰起こして前の学校追い出されたんだって!」
そこまで聞いて、私は決めた。
そいつを仲間に入れよう。
容姿が良ければみんなの支持を集める。
そのうえ喧嘩も強いとなれば、みんなを支配できる。
…あれ?
支配?
支配ってなんだ?
私、支配をしたかったんだっけ?
何をしたかったんだっけ?
何のために、こんなことしてるんだっけ?
わか、らない。
わからない。
わからない。わからない。わからない、わからない。
―――わからない。
迷路の中に入ったように。
『私』が、どんどん崩れていくのを感じる。
チャイムが鳴った。予鈴だ。みんなが席に着く。
私もやっとのことで我に返った。
何をしているんだ私。理由なんてどうでもいい。
楽しければ何でもいい。適当にやり過ごせていればいい。
どうでもいいことに頭を使うな。
そんな私の思考は、教師のバカでかい声によってかき消された。
「さあ、もう噂も流れているようだが、今日は転校生が来たぞ!」
みんな、知ってるよ、といった呆れた顔で教師を見た。
と同時に、荒々しくドアが開いた。
高身長、目にまで掛かる黒髪。耳にいくつもついたピアス。睨むような鋭い目つき。
第一印象は、ただの、ガラの悪いやつ、だった。
「……夜見、楓です。よろしく」
簡潔すぎる挨拶と、少し顔を上げたときに見えた端正な顔立ちで、クラス中が圧倒された。
海のような、芸能人のようなキラキラした顔立ちではなくて。
どちらかと言えば、白く美しい彫刻のような顔立ちだった。
「はいはーい!好きな食べ物何すかー?」
「私も聞きたいでーす!」
唐突に騒ぎ出したのは、あの時、西川穂香を励ましていた奴らだ。
東城千明と室星胡桃。二人は陽キャ中の陽キャで、こうやって騒がしくしているのも、場の雰囲気を読んでのことだったのだろう。
気遣いが得意だから、ああいう、穂香のようなやつにも、さりげなく手を差し伸べるタイプ。それでいて、浮きすぎないように気を付けている、頭の良い部類。気に食わないけれど、一線を越えることはしないから、目をつむってやっている。
「……焼き芋。」
聞こえるか聞こえないかくらいの声で、夜見がぽつりとつぶやいた。前の席の人にはぎりぎり聞こえただろうけど、後ろの人にはかけらも聞こえなかっただろう。
結局先生も気が付かなかったらしく、そのまま軽く流された。
「はいはい、そういうのは後で聞いてねー。あ、じゃあ夜見君の席は……、空いてる席の、八乙女さんの隣にしようか」
八乙女、は、私の苗字だ。
クソ教師、と思った。
私は、体の大きい男子は苦手なのだ。
そんな私の気持ちを無視して、夜見は私にむかって直進してくる。
怖くて、目をつむった。
当然、なにもされるはずはなくて、ただおとなしく隣に座られた。
小さく控えめに聞こえた、「よろしく」の声は、暴力沙汰で学校を追い出された人には思えなかった。
普通に授業が始まったけれど、クラス中がそわそわしていて、集中できなかった。
私の体は、ずっと震えていた。

今日はいつもにもましてストレスがたまったので、裏庭に穂香を呼び出していじめた。
きっと、いつも通りの日常が壊される予感がしたからだと思う。
怖かった。
だから、全部、全部、誰かに八つ当たりしないと気が済まなかった。
いつも通りの拷問のような仕打ちをした後、梨々花と瑠衣を連れて教室に戻った。

「てかさ!」
席に着いた瞬間、瑠衣が前のめりになって、興奮気味に話し始めた。
「夜見君、めっちゃかっこよくなかった!?」
梨々花もそれに同意して、
「それな!でもちょっと怖いっていうかあ?そこがいいよね!沙羅はどう思った?」
突然話を振られたので、少し焦りながらも答える。
「えー、まあ、顔は整ってるよね、ほんと。確かに、海と張り合えるかも」
そういうと、にやにやしながら二人がからかってきた。
「いいねえ、自慢の彼氏だねえ」
「ほんとほんと。羨ましいわあ」
彼氏?誰のことだろう、と考えて、思い当たった。
「いや、海はただの幼馴染だし、そういうのないよ」
きっぱり言うと、一変してつまらなさそうな表情に変わって、
「えー?水瀬君、可哀想!」
「沙羅、あんた鈍感だけど、水瀬君、絶対あんたのこと好きだよ?」
なわけがない。いつも一緒にいるからそう思われているだけで。
お互いに、恋愛対象に入ったことすらないだろう。
「ないない。あ、てかさ、席変わってくんない?」
早く居心地の悪い席から変わりたいと思って提案した。
これから何か月も過ごす席がここなんて、絶対に嫌だ。
「え、なんでよ!夜見君の隣なら喜んでなるけど私!」
「そうだよ、特等席じゃん!」
二人はそういうけれど、私はどうにもあの夜見とやらを受け付けない体らしい。
「なおさら変わってよ、私あの人ちょっと苦手なんだって」
その瞬間、口を開きかけた二人の動きが止まった。
机には黒い影ができている。
後ろに、誰か、いる?
振り向くと、そこには、夜見がいた。
「……それは、困る。お前にはちょっと話したいことがある」
机に手をついて、夜見は梨々花と瑠衣に、
「こいつ、ちょっと借りてってもいい?」
と聞いた。
二人はおびえた表情で、こくこくと頷いた。
その様子を見て、少なからず、ショックではあった。
でもまあいい、こいつとは少し話が必要だとは思っていたし。
「ついてこい」
何様だよ、と思いながらも飲み込んで、言われたとおりについていった。