「私は折角のチャンスを逃さない主義なんだ」と彼女は言った。
 今まさに、自分の隣で婚約を成立させるための書類に大人しくサインをしているリーシャの姿にラナルフは誰にも知れぬようにそっと小さく安堵の吐息を吐く。

 静まり返った室内に、カタン、とリーシャのペンを置く音が響く。

 もともと、望まない婚約だったために娘が大人しくサインをしないであろうと身構えていた国王夫妻は何事もなく上手くいったというのに、複雑そうな表情を浮かべていた。それはリーシャの兄である王子達にも言えることで、リーシャの周りは皆、喜んでいるような、困っているような何とも言い難い表情を浮かべていた。

 ラナルフはその様子を見ながら、この正直すぎる家庭の中でよくもまあリーシャの様な娘が育ったものだと感心するようにリーシャへと視線を向ける。その視線に気づいてか、リーシャは視線をラナルフに向けて、笑みを浮かべる。その笑みを見て自然と警戒の色を僅かに孕んだラナルフに、リーシャはさも心配しているかのように口を開く。

 
 「あら、殿下…お顔の色が優れませんわ。きっと長旅で疲れていらっしゃるんです。今夜は規模は小さいものの私達の婚約パーティーもありますし、お部屋でゆっくり休まれては如何です?」

 
 顔色が悪いのならそれはお前の所為だ、と喉まで出かかった言葉をラナルフは呑み込み、微笑んでみせる。


 「ご心配には及びませんよ、リーシャ姫。けれど、折角気にかけて下さったのですから休ませていただこうかと存じます。国王陛下、早々にお暇する失礼をお許し頂けますでしょうか?」


 リーシャから目の前に座る国王へと視線を移し、礼を欠かない様にラナルフは告げる。
 王が笑顔で頷くと、ラナルフはリーシャの方へと向きなおる。


 「リーシャ姫、申し訳ありませんが部屋まで付き添って頂けませんか?」

 「ええ、喜んで」