結~忌神と生贄の花嫁

五百年前の日の本に、ひとりの忌と呼ばれるあやかしが居た。人を喰らい、自らの力を高め、人に化ける。
それが、俺、千斗(せんと)だ。
あの頃、俺はただの千斗と名乗っていた。千年近く生きている忌だから千斗。
俺は元々はある程度の力を持った忌の一種だった。
忌としては強力な力を持ってしまい、自我を持つようになった俺は人に化ける力も、いつの間にか身に付けていた。
そうして俺はとんでもない禁忌に手を出してしまう。
人を襲い、喰らうことだ。
俺はある時、人里のほうへ食料を買い出しに市に出向いた。
その帰りに俺の栖である山の方の道を歩いていると、とある人間が死んでいたのだ。
恐らく、山里の方で山菜なんかを採っていた人間がその拍子に転落し死んだのだろう。
可哀想にと少し思っただけでそれ以上何も思わなかった。
俺は元々忌だ。
いくら人の姿を得ようと、やはり心のどこかで俺の事を嫌っていた人間どもが気に食わなかったのだ。
そのまま通りすぎようと思った矢先、俺の脳内には恐ろしい考えが浮かんでくる。
この人間を喰ったらどうなるのだろう?
俺の心の中にはそんな恐ろしい好奇心が、じわじわと浮かび上がってきた。
そして俺はその考えをそのまま実行に移してしまう。
俺はその死んでいた娘を拾い上げ、喰ってしまった。
その娘から感じられる力は強くは無かったが、それでも俺の中で力が混み上がってくることが分かる。
ああ、これが人間の力か…と。
その時、俺は人を喰うという行為に快楽さえ感じた。
これが世間が長い間恐れていた禁忌なのだと確信したのだ。
そうして、人の味を覚えてしまった俺は夜中に人里の方へ赴き、人間を襲い殺す日々。
そんななかで俺はあることに気付いてしまう。
そのうち、俺の悪行を恐れた人間がまだうら若い娘を生け贄として差し出してきた。
それは五年に一回、多ければ二年に一回の時期に。
俺は人間を喰らい、生き延びた。
一体、何百人もの人の命を奪ったのだろう。
憶えているはずもない。
だって、俺は人間をただの食糧としてしか考えていなかったから。
村から生け贄として差し出された若い少女たちは、俺に喰われることを理解しており俺の前に降り立った瞬間から、死にたくないそんな一心で泣くのだ。
そんな絶望の淵に立たされているような彼女たちに対し、俺は「死ねば楽になれる」と、甘い言葉を囁いて殺していったっけ。
今考えると自分のやってきた行いがいかに卑劣なものだったのか、理解できる。
生きることに希望を見出だしていた少女たちを、端から喰っていったのだ。
極悪非道としか表現できない。
そんな風にして、俺は百年程の時を生きた。
けれども、そんな俺にも転機が訪れる。
それこそが運命の出逢い、俺の生きる全てを変える…。
 

その年は、俺に人間達が生け贄を差し出す年だった。
村から、俺の住む里に大きな列が出来る。
生け贄の行列だ、村の者たちはひそひそと話をしている。
俺は自分の家の外に出て、その様子をひっそりと見ていた。
実を言うと、俺は今年の生け贄になる娘の事を知っていたのだ。
俺は色々な村人に化け、里の方へ行ったり来たりを繰り返し、今年の生け贄なるであろう娘を確認していた。
その少女はどうやら村のはずれにある、富豪の家の娘らしい。
父親・母親に加え姉と暮らしているようで、生け贄の少女を目にすることもあった。
長く綺麗な黒髪、目鼻立ちが整っており顔の色は白く、まるで可憐な百合の花のよう。
「…。」
生け贄になるにはあまりにも惜しい、美しい少女だ。
俺はしばらく時間を忘れ、その場に呆然と立ちすくんでいた。
幸いなことに、俺は人間に自分の姿は見えないように術を施していたので周りの人間から不審に思われることはなかった。
ああ、なんて美しくそして儚げな容姿の少女なのだろうと…。
俺はその娘を見るや否や、少女に夢中になってしまったのだ。
毎日毎日、狂ったようにその娘の家まで行き、自分の家にまた帰る。
しばらくの間そんな生活を繰り返していた。
ただの不審者って?
まぁ、確かにそうかも…。
今となっちゃ否定できないっていうか。
それほどまでにあの少女に恋い焦がれ、憧れたのだ。
そんな生活を送っていたなかで、俺はその娘について色々なことを知る。
まず、あの娘は一緒に暮らしている両親や姉と血が繋がっていないということ。
どうやら、少女の本当の両親は既に他界しているようだ。
そのせいであの子は、血の繋がりの無い両親たちから虐げられていた。
年頃の娘だが、両親はその子に来る縁談の話など本人に無許可で断っていたり、家事や雑用などを押し付け女中のように扱っている。
姉ですら彼女をいじめ、しまいにはその子の着ていた着物などの衣類を破いたり裂いたり。
あまりにも悲惨な少女の扱いに、流石の俺も絶句してしまった。
そして、俺はまた愚かな人間どもの愚かな行いに嘲笑する。
人間という生き物は、馬鹿で間抜けでいざとなれば仲間や家族も簡単に見捨てて…。
けれども、その少女は決して涙を見せることはなかった。
何故なのだろう、彼女は表情すら死んでいた。
きっと、長い間両親たちへの怒りや憎しみ…色んなものがひしめき、遂には自分自身を殺すことで自我を保っていたようにも見えた。
哀れで、誰にも愛されない。
俺は俄然、その少女を自分のものにしてしまいたい。
そんな衝動に駆られた。
生け贄になり俺に命を奪われてしまえば、これ以上あの無慈悲な家にいて苦しむことも無いだろう。
そして、俺の思惑通りあの娘は俺の生け贄になった。
両親は邪魔な食いっぱぐれが居なくなってくれると喜んでいたし、姉はどうやら結婚をし家を出ていくらしい。
生け贄になることが決まった時も、彼女は表情一つ変えなかった。
ただ、一言。
「分かりました。」と両親に伝え、その場を去っていった。


シャリン…、シャリン…。
鈴の音がどんどん俺の家まで近くなってゆく。
もうすぐ、あの娘を自分のものにしてしまえる…そんな喜びを胸に俺は興奮を抑えながら。
ひたすら、俺はあの少女が来るのを待った。
長かった人間どもの下らない儀式が終わり、娘のこちらへと向かう足音が一歩一歩近づいてくる。
娘は俺の家の前で正座をし、黙って俺が迎えに来るのを待っているようだった。
あの娘以外にもう、人の気配は無い。
恐らく儀式が終了したのと同時に、みな人里の方へ戻っていったのだろう。
娘は地味な紺色の着物を纏い、顔にはお札を張っていた。
俺は家から出て、その娘が座っている場所まで近づく。
「こんにちは。」
「…。」
俺はその少女に挨拶をしてから、顔に張られていた紙の札を取った。
少女は少しビクッとしながらも、基本的には無表情であった。
「…君はさ、俺が今から何をするのか理解してるよね?」
彼女の瞳を見つめながら、俺は意地悪な質問を投げ掛ける。
「私を、食べるのでしょう。」
視線を変えることなく、無表情のままで問いに答える。
まるで、俺に喰われることを他人事だと感じているような…。
「ふふ、分かってくれてるみたいで嬉しいよ。」
俺はその娘の頬に自らの手を滑り込ませ、口づけてしまいそうな位に顔を近付けた。
「君はずうっと、血の繋がらないご両親やお姉様にいじめられていたよね…辛くなかったかい?」
まるで彼女に同情をしているかのような口調だ。
その言葉とは裏腹に、俺はその娘を喰らいたくて仕方が無かった訳だけれども。
「一生懸命に生きていたって、何にも報われることなんか無かっただろう?あそこの家にいる限り君は幸せになんか成れっこないよ。」
笑顔で残酷なことを、平気な顔をして言う俺。
一方で彼女はというと相変わらずの無表情だ。
「…大丈夫、すぐに楽になるから。」
彼女の表情を覗き込むかの如く、顔を見つめた。
俺は少女の唇に口づけようとした、その一瞬の出来事だった。
パァンッ!!!
「…。」
「ふざけないでよ変態。」
俺と彼女の顔はいつの間にか遠ざかっており、そして俺は少女に特大級のビンタを食らっている。
えーっと…、あまり自分でも状況を理解したくない。
「ふざけないで頂戴、ちょっと顔が良いからって調子乗らないでよね。…確か、あんた一ヶ月前からずっと、私の家の周辺をウロウロしてたでしょう。気持ち悪いったらありゃしないのよ。だいたい、何?私のことを食べるですって??寝言は寝て言え阿呆!!!」
…何だろうこの展開は。
さっきまであんなにも表情が無かった少女が、今は俺の目の前で顔を真っ赤にさせながら激怒している。
しかも暴言を吐きながら。
俺の色仕掛けが通じなかったのも初めてだ。
だいたいの少女たちはみんな、大人しく俺に喰われていくのに。
…というか、何故この娘は俺が家の周辺を彷徨っていたのを知っているんだ?
「あんたさっき私がずうっと血の繋がらない両親たちにいじめられて育ってきた、みたいなこと言ってたわよね?」
彼女は仁王立ちをし、腕を組み、凄味を効かせて俺に対してきつく睨む。
「まぁ、それ自体は事実だから否定はしないわ。だけどね、私に絶対的な愛をくれた人たちは居たのよ確かに。…だから、私のこと誰にも愛されたことの無い可哀想な女、みたいに言わないでくれる?」
「…。」
すっかり黙り込んでしまう俺。
完全に空気感に気圧されている。
「はっ、どう?今の今まで大人しかった娘に論破されちゃう気分は?…あー愉快愉快。あんた自分の顔、鏡で見てごらんなさいよ。口、開きっぱなしだから。」
人差し指をびしっと俺の口に向かって指す。
なんとも、意地悪な笑みだ。
本当に先ほどまでと同一人物だったのか疑いたくなってしまう。
「…あははっ…。これは、一本取られちゃったなぁ~。」
俺はわざとらしく大笑いをしながら、彼女を再び見た。
「それで?きみは俺から逃げようって?」
「…っ…。それが出来るなら苦労はしないわね。」
先ほどまでは威勢良く、俺に対して噛み付いてきた少女だが、よくよく見ると手が小刻みに震えているのが分かる。
けれども、視線は俺の瞳を逸らすこと無くこちらを向いている。
大きくて少し充血している潤んだ目は、何だか俺の中にある複雑な感情を、さらに増幅させるようだった。
「…もしかして、昨日の夜泣いてたの?」
「は?」
俺からの突拍子もない質問に、彼女はいきなり顔を歪ませる。
「いや、目元が凄く赤いからさ。怖くて泣いてたんじゃないかなって。」
「だったら何よ。…あんたに優しくされるほど私は落ちぶれてないわ。」
綺麗な黒髪をなびかせながら、ふいっと反対方向を向いて、その場に座り込んでしまった。
…まあ、普通そうか。いきなり俺からこんなことを言われたって気分が悪いだけか。
「…御託はいいから、とっとと私を食べれば。」
少女は後ろを向いたまま、また少し涙声になりながら、俺に話し掛ける。
「ねぇ、俺少し気分が変わっちゃったな~。」
俺は、彼女の真正面まで近付き顔を覗き込んだ。
急に近付いたからか、彼女はびくびくしながら慌て、咄嗟に顔を手でふさいだ。
…あー、完全にしくじった。俺は彼女の少し怯えている可愛らしい顔が見たかっただけなのに…。
「ごめん、ごめん。何にもしないからさ、そんなに怖がらないで。」
「…。」
少女は顔から手を離し、こちらを見上げた。
俺の方をきつく一瞬睨んだが、すぐにまた怯えた表情に戻る。
「あのさ、さっき俺、気が変わったって言ったよね。」
俺は極力怖がられないように、少しかがんで彼女を見つめた。
「それがなに?」
「俺とさ、結婚しない?」
俺は彼女の瞳を逸らさず、真っ直ぐに見つめた。
何を言ってるのか全く理解できない、というような感じで彼女の瞳孔はみるみる広がっていく。
「…は?」
「まあ、急に言われても困るよね。別に今すぐじゃなくても…」
「そ、そうじゃなくて。あんた自分が言ってること分かってるの?」
少女の手は、やはり震えていた。
もちろん、分かっているよ。自分の言っていることは。
「ば、馬鹿にするのも大概にして!!誰があんたみたいな化け物と結婚なんかするもんですか!」
「うっ。」
俺の着物の首根っこを掴み、ゆらゆらとさせている。
でも、やっぱり手が…。
「…ふん。化け物なのは私も一緒かもね。でも、誓うわ。私はあんたみたいに弱いものにたかって、いじめることはしないわ。」
真っ直ぐすぎるほど…。綺麗な彼女の瞳がきらきらしている。
「じゃあ、俺も誓わせてもらうよ。」
「…は?」
「俺は君のことを妻として迎え入れ、一生懸けて、幸せにする…どう?」
俺は彼女の綺麗な瞳を見つめながら、一語一句を大切に、噛み締めながら喋る。
「俺の花嫁になってほしいな。」