目の前の美月先輩は、いつもと雰囲気が違うような気がする。少しだけ緊張しているようにも見えた。
「ごめんね、突然」
「いや、全然。何度も教室来てくれてたのに、いなくてごめん」
「ううん。私が勝手に唯人に会いに行っただけだから」
殆どの生徒はもう帰っていたり、部活をしているものの、チラホラ通りがかる人たちからの視線を感じる。
「話、だよな。教室、戻ろっか」
「うん」
俺の少し後ろを、先輩が歩く。こんな息の詰まるような気まずさは、今まで一度も感じたことが無かった。
どうしても心に誤解される事はしたくなくて、咄嗟に、一緒に帰るという選択肢が消えた。
さっきまでいた教室に戻ってきて、「ここ座っていい?」と俺の隣の席に美月先輩が座って俺のほうを向く。
「唯人、本当にあの子が好きなんだね。一緒に帰ることすら、もうしてくれないんだもん」
ふふ、と自嘲的に美月先輩は笑う。
それを肯定することも、謝ることも、どれも失礼な気がして何と返答したら良いのか分からなかった。
「私ね、唯人は誰のことも好きにならないと思ってた」
高校に入学してすぐ、たまたま廊下で声を掛けてくれたのが美月先輩だった。すげえ美人、とテンションが上がったのは事実で親しくなるのに時間はかからなかった。その時、美月先輩は一つ上の先輩のことが好きだ、と言った。その先輩は人気のある人で、数ヶ月経った頃に風の噂で彼女ができたことを知ったとき、美月先輩は初めて俺を家にあげてくれたのだ。
『唯人、他の子にもこういう事してるでしょう…?私にもして』
迷わず、それに応じた。気付けば週の半分は美月先輩といるようになって、側から見たらただの仲良いカップルだっただろう。それでも俺と美月先輩は、一度もお互いに恋愛感情を持ったことは無い。その証拠に、“好き”だけは一度も言ったことは無かったのだ。
「困ったらいつも助けてくれたし、すごい優しいし、私のことを好きじゃないって分かってたけど女の子のなかでは私が一番唯人に近い関係だと思ってた。唯人は他にも女の子と遊んでたけど、勝手に私は別だろうって」
「でも唯人があの子のこと見るようになって、初めて敵わないって思った。相変わらず優しかったけど、私を見る目とあの子を見る目が全然違うんだもん。唯人、私が初めて見る顔いっぱいしてた」
やっぱり俺は最低なことをしていたと今更になって痛感した。人を好きになった今だからこそ、分かる。
「自分が思ってたよりもずっと、唯人のこと好きになってたみたい。もっと早く気付いて、早く言っておけばよかった」
「中途半端なことして、ごめん」
「ううん。唯人は何も悪くないよ。最初から、お互いそういうつもりだったじゃない」
「いや。だったら、やっぱりあんな親しくなるべきじゃなかった」
俺の言葉に、美月先輩は一瞬驚いた表情をして、やっぱり優しくなったね、と笑った。
「あーあ。唯人の彼女が羨ましい。こんなに格好良くて、優しくて、頼れる人いない」
「はは、褒めすぎ。最低野郎だよ」
「ふふ、そうね。校舎で見かけたら、無視しないでね?」
「んな事しません」
「買い物は付き合ってくれる?」
「…んん」
「冗談よ。彼女が許さないでしょう?」
「…いや、彼女は許すよ」
「え?」
「嫌な顔一つ見せない。でも、もうちゃんとしたいから」
「惚気話を聞く余裕はまだ無いの。彼女の話を振ったのが間違いだった」
またね、と長い髪を靡かせて出て行く美月先輩の後ろ姿を見つめて、こちらもまた歩き出した。
