その後、案内された部屋に足を踏み入れた瞬間────ニコラは目も、心も奪われた。
天板のガラスに覆われていた、いくつもの大型の長方形の木製テーブル。その中には、息を呑むような美しい刺繍作品がずらりと並んでいる。そして、壁一面にも、絵画のように額装された作品が飾られていた。さながら刺繍のためだけに設えられた私設美術館のようだ。普段は、刺繍の色褪せを防ぐために遮光生地のカーテンを閉めきっているのだという。今日はニコラのために、特別にカーテンが開けられており、初夏の爽やかな光が室内に差し込んでいた。見る者の足を止め、呼吸を忘れてしまうほど惹きつけられる。まさに刺繍の魔術師と呼ばれるシンシア・グローリーにふさわしい空間だった。
中でもニコラが惹かれたのは、四季の風景を描いた刺繍の連作だった。季節を象徴する植物など描かれていないのに、なぜそれが季節を表しているのか、自分でもはっきりとは説明ができない。しかし、じっと眺めていると、答えが思い浮かんだ。
(あ、そうか……)
光だ。
春には芽吹きの匂いを含んだ淡い光、
夏には眩く暑い陽射し、
秋には柔らかな夕陽、
冬には澄んだ冷たい陽光……
糸の色や角度によってそれらが繊細に描かれていた。
「おばあちゃんの目には、世界がこんなふうに映っていたのかな……」
もう見ることはできない祖母の刺繍に、ニコラは自然と涙がにじみそうになる。
ルカも刺繍を見つめながら言った。
「彼女の刺繍も、デザインも、歩んできた人生そのものも……すべて、私の誇りです」
「……うん、こんなの、誰にも真似できない……本当にすごい」
「貴方にならできるはずです。シンシア・グローリーの唯一の弟子である、貴方なら」
ルカは確信に満ちて言った。しかしニコラは自分に出来るか不安があった。
真似るだけなら、可能のような気がする。
けれど、何かが欠けている。
それが何なのか、まだわからない。
その欠けている何かを知らないままでは、きっと全く別のものになってしまう。
「必要でしたら持ち帰って構いません」
「い、いえ、そんな……」
「貴方はシンシア・グローリーの孫です。その資格があります」
「でも、こんな貴重なもの………」
ルカは手にしていた刺繍をそっと元の場所へ戻すと、部屋の棚から丁寧に折り畳まれた大きなレースを取り出した。
「では、せめてこれだけは受け取ってください。母が、本当は姉に渡そうと作って、渡す機会を失ってしまったものです」
「……これを、お母さんに?」
ニコラは驚きの目を向けた。
「そう。母が姉の結婚を認めなかったがために、姉は駆け落ちしました。噂でお金がないから結婚式を挙げれない、と聞いて、このベールを作ったそうです。いざ渡しに行こうと様子を見に行ったら、幸せそうな姉を見て、もうそんな顔を何年も見ていなかったことに気づいて、渡せなかったと、笑って話していました」
ルカからニコラにベールが手渡される。
