下町育ちのお針子は竜の王に愛される〜戴冠式と光の刺繍〜

「それにしても……ユリシーズ殿下、ね」

 ジェドが揶揄うように問いかけた。「あっ!」と、気づいた時には遅かった。火に動転して、彼の名前を呼んでしまったのはニコラなのだ。
 しかし、ユリシーズはそれを気にも留めていない様子だった。

「とりあえず、ここからの脱出が最優先だな。ジェド、お前はどうする?」

 ユリシーズに思ってもいない問いを投げかけられて、ジェドはきょとんとした。

『お前はどうする?』
 それはユリシーズがこの状況を打破できる、という意味合いを含んでいたからだ。
 ジェドは片方の口端を上げて答えた。

「俺はちょっと探し物してから出ようかな」
「そうか」
「そんな……!?火はそこまで来てるし、生き埋めになっちゃうかもしれないのに……」
「心配ありがと。でも、大丈夫だから」

 そう言ってジェドは、まだ火の迫っていない通路へ駆け出した。振り返りざま、彼は言う。

「ユリシーズ殿下、お針子さんを頼むね。それと双子が盗んだマント、見つけたら返すよ。三日待って戻ってこなかったら諦めて」
「わかった」

 ユリシーズが短く答えるとジェドは軽く手を振り、通路の奥へと姿を消した。

「ジェドさん!」

 ニコラは思わず叫んだ。

 火はもう目と鼻の先まで迫っている。不安と恐怖が胸を締めつけ、ニコラの瞳に涙が滲んだ。

「ニコラ、彼は大丈夫だ」

 ユリシーズは慰めるように言った。

「大丈夫って、どうして?」
「おそらく、彼はハルヴァだ」
「えっ?」
「多分、なにか能力を持ってる。だから一人でも大丈夫だ」

 ハルヴァ同士はそれとなくわかるんだ、とユリシーズは言った。
 ジェドがハルヴァだなんて思ってもみなかった。ハルヴァの姿かたちは多種多様だ。動植物の特徴がはっきりと現れている者もいれば、見た目にはまったく分からない者もいる。
 いや、差別を避けるために、あえて隠して生きているハルヴァも少なくないのかもしれない。

(……私が気づいていないだけで、身近にももっとたくさんいるのかもしれない)

 そんなことを思っている間にも、ぼうぼうと音を立て、火は確実にこちらへと近づいていた。

「ニコラ、これを着ていろ」

 ユリシーズは自分が着ているジャケットをニコラに手渡した。受け取ったものの、子供のサイズなので小柄なニコラでも少し小さい。意図がわからずニコラは困惑してユリシーズを見つめた。

「空は寒いから」

 ぽつりと、ユリシーズが言った。

「空?」
「……ニコラ、先ほど私がなんのハルヴァか訊いたな」

 ニコラに無理矢理ジャケット羽織らせて、ユリシーズは言う。
 近くで彼と目が合うと、漆黒の瞳が金色を帯び始めた。

「私は、君に危害を加えないと誓う。どうか信じてほしい。……それから、出来れば……恐れないでほしい」

 今度は一瞬じゃない。強い朝日に照らされて夜が明けるように、彼の瞳の色は徐々に完全な金に変わっていく。ニコラはユリシーズのその瞳の変化を、吸い込まれるように見入った。

 直後、ユリシーズの全身が光に包まれる。
 あまりの眩しさにニコラは瞼を強く閉じた。

『ニコラ』

 ユリシーズ殿下の声。その声は耳ではなく、頭の中に直接響いてきた。

『ニコラ』

 もう一度頭の中で呼ばれて、恐る恐る目を開けると……

 そこにいたのは黒曜石のような鱗を全身に纏った、巨大な蛇────否、形は蛇に似ているが、野生の山羊のような盛り上がった二本の角が額から生えている。

(こんな動物、見たことがない)

 けれど、これが何かニコラは直感でわかった。


『恥ずかしい話だが、能力の加減が……上手く出来ない。瞳の色が変わるのもそのせいだ。周りに同じハルヴァがいないので対処の方法もわからず困っている』

『ユリシーズ殿下は、何のハルヴァなんですか?』

『それは……』



 ────竜



 目の前にいるのは、漆黒の鱗を持つ、一頭の大きな竜。
 彼は、地上から姿を消した竜人族、竜のハルヴァだったのだ。