ニコラとライアンは、王宮に着いた際に最初に案内された広間へと戻ってきた。緊張は少しだけ和らいだものの、なおも漂う格式高い空気に、ニコラは落ち着かない様子だった。
 やや遅れて、先ほどライアンと共に作業部屋に現れた男性が再び姿を見せる。手には数枚の書類のようなものを抱えており、ためらうことなくこちらに歩を進めてきた。

「先ほどはうちのメイド達が失礼しました」
「い、いえ、そんな」
「お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「えっと、私は、ニコラ・オランジュです。下町のシャルロットという店で、お針子をしています」
「私はアベル・フロイド・キューレと申します。この王宮で王子補佐を務めています」

 アベルと名乗った男性は、年の頃はライアンと同じくらいだろうか。顎のあたりで柔らかく揺れる黒髪の内側には、控えめに白のインナーカラーが覗いていて、その不思議な配色にニコラの視線は自然と引き寄せられた。細い銀縁の眼鏡が整った顔立ちを引き締め、無駄のない所作には知的な雰囲気が滲んでいる。王宮のメイドと同じ濃紺のスーツに、胸元だけさりげなく施された刺繍が、彼の立場を物語っているようだった。

「さっそくですが本題に入ります。貴方に依頼したいのは」

 一呼吸置いてアベルは言った。

「我が国、ルブゼスタン・ヴォルシス国第一王子、ユリシーズ殿下が戴冠式で使うマントの刺繍をお願いしたいのです」

 ────王子、戴冠式、マント!?

 聞き馴染みのない言葉の羅列にニコラは動揺した。

「そ、そんな大役、私には……!」

 一ヶ月前、先王が静かに崩御された。穏やかで思慮深く、民の声に耳を傾ける誠実な王として知られ、老若男女を問わず深く慕われていた人物だった。そんな中で行われる戴冠式は、新たな時代の幕開けとして国中の注目を集めている。その大切な儀式に、自分の刺繍が関わるなど想像もしていなかった。

 話のスケールの大きさに後ずさりするとライアンがニコラの腕を掴んで懇願した。

「お願い断らないで!今、すっごく困ってるんだ!」
「そうですね。誰かさんが重大な過ちを犯したせいで」
「それはごめんって!」
「ごめん?」
「ごめんなさい!!」
「まあ、いいでしょう」

 アベルは眼鏡を指先で押し上げると、奥の壁に掲げられた巨大なタペストリーを指し示し、静かに告げた。

「マントに施していただきたいのは、ルブゼスタン・ヴォルシスの国史です」

『一つの世界。いくつかの国。大きな戦い、憎しみ、炎、人々とハルヴァ達の悲しみ。そこに突如、一人の青年と一頭の竜が現れ、戦争は終結。竜は天へ昇り、英雄となった青年が国を治めた……』

 それは、この国の子供が必ず親から聞かされるおとぎ話の一つで、この国の神話から続く歴史でもあった。それがモチーフとなってタペストリーに描かれている。長い年月の中で色はところどころ褪せていたが、むしろその古びた風合いが、王国の歴史を物語っていた。

(これを私が……?)

 戸惑うニコラに構わずアベルは続ける。