「私が欲しいでしょ?」挑発的に言うと、向こう側を向いていた博臣がこちらに振り返った。

欲しい、と言ったら彼女が居るくせにって突っぱねってやるつもりだったし、欲しくないと言われれば「あっそ」で終わる。私にとってはどちらでも良かったのだ。単なる暇つぶし―――

だけど博臣は欲しい、とも欲しくないとも言わず私の顎を持ち上げそっと口づけ。


え―――……?


最初は戸惑ったものの、私が博臣の腰に回した手に力を入れると彼はやや強引に私の唇に唇を合わせ、それ以上に強引に舌が私の口腔内に侵入してきた。

舌が絡まりどちらの唾液か混ざり合い、私たちは深く浅く口づけを交わし、博臣はやや乱暴な仕草でキッチンカウンターに私を倒した。

そのまま着ていたワンピースの裾から骨ばった手が侵入してきて太ももを撫でられても私は抵抗しなかった。それどころか、ぞくりと首の後ろが粟だち甘い痺れをきたす。

私たちはキッチンカウンターの上でもつれるように抱き合った。

夕焼けが、獣のように抱き合う私たちの影をまるで陽炎のように壁にゆらゆら形作っていた。

その夜はリビングのソファで二人抱き合って眠った。

朝―――

私の方が早く目覚めて博臣の腕枕から起き上がりキッチンで水を飲んでいると、博臣が数分遅れで裸の体にシャツを羽織りながらこちらへ向かってきて、キッチンカウンターに置かれた一枚の紙きれを目に入れた。

「何これ」とそっけなく問われ

「小切手。あんたに。ひと夏の想い出ってことで。“彼女”に何かプレゼントでもしてあげたら?」私がそっけなく言うと

「は?何だよそれ。てか彼女とかいねぇし」と博臣が若干怒気を含ませた声で唸るように言った。

「でもマーケットで一緒に歩いてたわ」

「見たんかよ。てか尾けてきた?悪趣味だな。ありゃ幼馴染だ」

幼馴染―――

でも知った所で今更どうでもいい。たった一晩だけの―――私たちはかりそめの恋人。それは陽炎のように実態のないものだった。

これ以上深く入って来ないで。

「私の体とお金が目的だったんでしょ?良かったじゃない、それで全部叶ったわ。あなたはもう用済み。父には上手く言っておくから安心して。もうここには来ないで」

博臣は私と小切手を見比べて、やがて小さな紙きれを手にした。

小切手には父が契約したお金の三倍以上……破格の数字が書かれている。贅沢しなければゆうに三か月は暮らしていける金額。これで役者の夢に没頭できる。

だけど博臣は、その小切手を私の目の前でビリビリに破いた。

「俺も随分馬鹿にされたもんだな。
俺はあんたの男娼じゃない」

吐き捨てるように言うとリビングに置いてあったさほど大きくないボストンバッグを肩に引っかけ

「そうゆうことなら出てってやるよ。親父さんには俺の方から上手く言っておくから安心しな。
じゃな、お嬢様」

博臣は最後の最後まで私の事“お嬢様”としか呼ばなかった。それは使用人が向ける呼び方ではなく揶揄されたものだ。

馬鹿にしてるのはあんたの方じゃない。