不審者の(たぐい)はなさそうだ。だってこの別荘は田舎とは言えセキュリティがしっかりしているし。男とガラス越しに目が合った。

私は着ていた薄手のガウンの前身ごろをしっかりと合わせながらガラス戸を開けると

「やっと起きたか。昨日は随分派手にやったみてぇだな」と顔立ちとは反対にどこか粗野な感じの物言いでリビングのローテーブルに転がっているブランデーの空き瓶を目配せ。

「未成年のお嬢ちゃんがいけないな」と、水で滴った漆黒色の前髪を掻き揚げながらふっと冷たい笑みを浮かべる。冷たいけれど……どこか色っぽさを含ませていた。

「未成年じゃないわ。ついでに言うとあなたは誰?」とちょっと警戒したように顎を引くと

「あれ?親父さんから聞いてないの?この夏あんたの見張り役兼ボディーガードで雇われたアルバイト」

「そんなこと聞いてないわ」

男がプールから上がって私は思わず顔を逸らしたが、下はきちんとジーンズを履いていた。

「雇用契約書。これで分かったろ?」とずいと、突き付けられたのは確かに契約書で父のサインもある。

父も何を考えてるんだか。急激に怒りが湧いてきて、でも血が上るとまだ二日酔いの私はくらりと眩暈がして足に力が入らなくなる。ぐらりと体が傾きプールのタイルの上で足を滑らせた。

「おっと」と男が私の腰を素早く支え、突然に近づいたその顔にびっくりして目をまばたく。おかげでプールに落ちることは免れたけど。

その男は近くで見ると中世的な顔立ちと思っていたが随処に“男”の部分があって、不思議なオーラがあった。それはとてもきれいなものだった。

私はわざと男を乱暴に突き放すと

「話は分かったわ。雇い主は私の父だろうと、ここの(あるじ)は私なの。ここで生活する分には私に従ってもらうわ」とつっけんどんに言うと

「はいはい、お姫様」とちょっと小バカにした物言いにちょっとムっとした。だって都会の男たちは確かに私を『姫』扱いするけれど、口に出して私にこんなこと言わない。だって私は誰もが羨む“伊集院財閥”の一人娘ですもの。

ちやほやされて当然。私の意見に反対する人も居なければ、指図する人はもってもの他。

「ねぇあんた」と私は濡れたままの肌に白いリネンシャツを羽織っている男に声を掛けた。

「“あんた”じゃなく博臣(ひろおみ)。その契約書にちゃんと書いてあるだろ。字も読めねぇのかよ」とまたも馬鹿にされた物言いにムっと顔をしかめつつ

「アルバイトって言ったわよね。普段は何してるのよ」別に博臣の背景に何があろうと知ったこっちゃないけど、アルバイトとは言えひと夏を共に暮らす身だ。“調査”と言う意味で聞いてみた。一応父が選んだ人間だから安全だろうけど。

「俺?俺は劇団の役者。ついでに言うと“売れない”な」と博臣は白い歯を見せて笑った。

その笑顔が眩しい太陽の光の中鮮やかに浮かび上がる。

風で揺らめいた水面に、まるで実態のない陽炎のような影が浮かんでいて

直感的に近づき過ぎてはならない、と思った。

近づいても、それはきっと手に入らない―――