長い時間を経たような、しかしほんのうたた寝の後のような。
そんな目覚めだった。
さらはダリアの前に立っていた。記憶の彼よりわずかに年を重ねている。
「……の家族が申し出てくればきっと知らせよう。時間をかければ進展もあるだろう」
どういう状況だろう。
何と返事をするのが妥当なのか迷い、さらはただ「はい」と言って返した。混乱しながら周囲に視線を流した。
場所は彼女も知るセレヴィアの城だ。その玄関前の広場だ。馬車の用意がされている。
どこかへ出かける場面のようだ。彼女たちから離れて優美な揃いの衣装を纏った男たちが整然と並ぶのが見える。
既視感があった。
そこで記憶が繋がった。
(『セレヴィア点』だ)
既に彼女が経験した時間に戻ってきたようだった。だからなのか、今回のトリップは前とは違い裸ではなかった。
今はダリアが王子の王都への帰還を見送る場面だ。さらがこうしているのは、王子が彼女を連れて行くのを決めたからだ。
そこまでを理解し、彼女は左手の銀の腕輪を意識した。大ぶりのそれを久しぶりに感じる。手で触れた。
「お世話になりました。ありがとうございます」
記憶のダリアは彼女に親切だった。それを思い返し礼を言った。キシリアにも会いたかったが、それは叶わないのは知っている。
(この場にリヴがいる)
彼は馬車の側にいた。とても大人びて見えるのは十七歳の彼と比べてしまっているから。今のこの彼はあの時から三年ほどを過ぎた二十歳の彼だ。
甦るのは嫌な感情だけではなく、しばらく目が離れない。
目が合う。
「早く乗れ」
さらに命じた。
彼女はダリアから離れ王子の元へ行った。彼はちらりと彼女を見て馬車を顎で示した。無言でまた命じる。
「お願いがあります」
王子はやや焦れた表情で彼女を見た。セレヴィアに残りたがるさらの希望を彼は許すつもりがない。なのにそれを繰り返す彼女に苛立っている。
「お前は連れて行く」
「あの……」
彼女は馬車の周りに待機する使用人を眺めた。中にメイドがいる。やはりジジだ。
彼女はさらの世話の為に王子一行について来る。そして、この後立ち寄ったある貴族の邸で彼女を殺す。
再びあんな目に遭うのは真っ平だった。
(それを止めないと)
彼女はこの先を知っていた。このまま既定通り殺されれば、彼女はサラの記憶を辿る。そしておそらく浜辺で覚醒する。そしてセレヴィアに戻って……、
(ループだ)
ループの輪から逃れるには、ここで死ねない。
そこで気づく。王子の腕に腕輪がない。
『セレヴィア点』で彼は自分の腕輪を彼女に与えているから、腕にないのは当たり前だ。
しかし、さらは十七歳の王子と再会した時、同時に二つの銀の腕輪を見ていた。
これがあの過去の続きなら、彼の腕にも腕輪があってもおかしくない。唯一のものが同じ時と場所に存在する。そのねじれをさらは目撃した。
(あの続きなら……、あるはず。どうして?)
「何だ?」
王子は冷たい目でさらを見返した。彼は自分から逃れようとする彼女を許さない。それは癇癪に似て、彼を未熟で不快な人物に見せた。
今のさらに彼への恐れはほぼない。少し前の少年の面影に接しただけに、変化を気の毒にも痛ましくも感じるだけだ。
この彼は二度サラを失っている。『邸点』で一度、十七歳で再会してすぐにもう一度。
それがより彼の心を抉ったのだろうと、罪悪感も持ってしまう。その意思はなかったが、原因は彼女にあるのだから。
「あのメイドを外して欲しいんです」
そう言い、離れた場所で控えるジジを指し示した。忘れずに彼女の陰謀仲間のスヌープも外してくれと頼んだ。ジジだけ外しても安心はできない。
王子は訝しい顔をした。願いに重さを感じないのか、返事をしなかった。代わりに馬車へ彼女を強く押した。
それに抗って振り返る。
「お願い。リヴ。これだけは叶えて」
その言葉に王子が動きを止めた。間近で見るその瞼が痙攣するのもわかる。彼の中で何かが起きた。
鋭い視線で彼女を見返した。
「それをどこで知った?」
「それ」とはリヴという彼の愛称だ。周囲の誰もそうは呼ばないから。その呼び名を使うのは彼の母エイミとサラだけだ。
「一緒に行くから、言った通りにして」
彼は彼女の手を強くつかんだ。捻じるように力を込めた。痛みにさらは表情を歪ませた。強くつかまれた手の骨が軋むような気がした。
「誰にも聞いてない。知っているの、あなたのことは。わかったの」
王子はさらを睨むように見つめた。彼女もその視線から逃げなかった。自分の中にサラがいる自信は揺るぎない。
彼が先に視線を外した。彼女の手も放した。
くっきりと手首に痕がついた。取り戻した手首をさする。乱暴に振る舞われたことは何度もあるが、これほど痛みを感じるものはなかった。
そこに彼の動揺を見てしまう。
「こっちへ」
王子はダリアを手招きして呼んだ。やって来た彼へさらの頼みを伝えた。命じられたダリアは不審げだ。
「何か不都合がおありか?」
「サラがそう望んでいる」
ダリアはさらに視線を向けた。
「城を出ればそなたはもうメイドではない。かしずかれる立場になるのだ。早く人を使うことに慣れることだ」
温かみのある言葉だった。彼女が遠慮からメイドが付くのを辞退していると考えたのだろう。そして、それは彼女の為にならないと諭してくれている。
ダリアの優しさに触れ嬉しくなった。
しかし、引っかかる。
彼はさらを「もうメイドではない」と言った。それは正しい。彼女は城でメイドとして働いていた。
(でもそれは『セレヴィア点』でのこと)
それよりも過去に行った前回のトリップでは、彼女はキシリアの娘の家庭教師として城にいた。当主一家の客分として住まい、待遇は手厚かった。決してメイドと呼ばれてはいなかった。
ここが前回のトリップから続いた世界なら『セレヴィア点』とは幾つも違った点がある。ダリアはサラが王子の姉やだと知っている。それは王子も同じだ。
なのに、ここはその事実を反映していないようだ。
(ここは……、どこ?)
さらはうろたえた。自分の手を握りしめながらそれに耐えた。
「そなたが城に来た経緯は決して他言しない。記憶を失い離れた家族が案じられるだろうが、今は前を向くのが身の為だ」
ダリアの言葉に、さらは今が紛れもなく『セレヴィア点』だと悟った。トリップの説明を省略するのに都合が良い記憶喪失の設定は、その時のものだ。
「……わかりました。でもあの二人は外して下さい。お願いします」
再度頼むことで承諾してもらった。
護衛の一人が外れ、メイドはさらも顔見知りの居住区の人物がジジと入れ替わった。不意の外出に新たなメイドはほくほく顔だ。一方のジジはさらを思いっきり睨みつけている。
王子はさらの手をつかんだ。乱暴に捻られた後だけに軽い力でも痛んだ。
「ちょっとだけ待って」
その手を外し、ジジに駆け寄った。敵意に意外さが混じった表情をしている。そっと囁いた。
「ただの王子様を射止めても、ループは切れないのじゃない? あなただけの王子様でないと」
「え!?」
それだけを言い置いて、急かす王子の元へ戻った。『セレヴィア点』でされたことはともかく、ループの鎖の中でもがき続けるジジは痛ましかった。
さらの後から王子が馬車に乗った。二人きりの小さな密室が閉じた。
今が『セレヴィア点』なら、あの前回のトリップは何だったのか。
さらはこの世界の時間軸を過去に戻ってきたはず。『セレヴィア点』から『邸点』でのサラの時間を挟み、更に過去に戻った。それが前回のトリップだ。
それが今と繋がらない事ごとに疑念が湧く。
あれは過去なのだろうか。
見て触れた、感じた全てのもの、こと。今の数年前の世界だと信じた。
(逆だとしたら?)
今から起こる未来だとすれば、ダリアや王子の態度にも納得がいく。
腕輪が一つなのも当然だ。さらが浜辺で覚醒するのはこれから先のことで、腕輪は王子の腕に一つのみ。それが今は彼女の手首に移っている。
そして、今の王子は十七歳でさらに会っておらず、彼の中のサラは『邸点』で死んだ彼女しかいない。
今は時間の最先端だ。ここからループが生まれていく。
それをくるりと一周し、もう一巡目に入るところで彼女は覚醒した。
(未来から『セレヴィア点』に戻ってきた)
そんな目覚めだった。
さらはダリアの前に立っていた。記憶の彼よりわずかに年を重ねている。
「……の家族が申し出てくればきっと知らせよう。時間をかければ進展もあるだろう」
どういう状況だろう。
何と返事をするのが妥当なのか迷い、さらはただ「はい」と言って返した。混乱しながら周囲に視線を流した。
場所は彼女も知るセレヴィアの城だ。その玄関前の広場だ。馬車の用意がされている。
どこかへ出かける場面のようだ。彼女たちから離れて優美な揃いの衣装を纏った男たちが整然と並ぶのが見える。
既視感があった。
そこで記憶が繋がった。
(『セレヴィア点』だ)
既に彼女が経験した時間に戻ってきたようだった。だからなのか、今回のトリップは前とは違い裸ではなかった。
今はダリアが王子の王都への帰還を見送る場面だ。さらがこうしているのは、王子が彼女を連れて行くのを決めたからだ。
そこまでを理解し、彼女は左手の銀の腕輪を意識した。大ぶりのそれを久しぶりに感じる。手で触れた。
「お世話になりました。ありがとうございます」
記憶のダリアは彼女に親切だった。それを思い返し礼を言った。キシリアにも会いたかったが、それは叶わないのは知っている。
(この場にリヴがいる)
彼は馬車の側にいた。とても大人びて見えるのは十七歳の彼と比べてしまっているから。今のこの彼はあの時から三年ほどを過ぎた二十歳の彼だ。
甦るのは嫌な感情だけではなく、しばらく目が離れない。
目が合う。
「早く乗れ」
さらに命じた。
彼女はダリアから離れ王子の元へ行った。彼はちらりと彼女を見て馬車を顎で示した。無言でまた命じる。
「お願いがあります」
王子はやや焦れた表情で彼女を見た。セレヴィアに残りたがるさらの希望を彼は許すつもりがない。なのにそれを繰り返す彼女に苛立っている。
「お前は連れて行く」
「あの……」
彼女は馬車の周りに待機する使用人を眺めた。中にメイドがいる。やはりジジだ。
彼女はさらの世話の為に王子一行について来る。そして、この後立ち寄ったある貴族の邸で彼女を殺す。
再びあんな目に遭うのは真っ平だった。
(それを止めないと)
彼女はこの先を知っていた。このまま既定通り殺されれば、彼女はサラの記憶を辿る。そしておそらく浜辺で覚醒する。そしてセレヴィアに戻って……、
(ループだ)
ループの輪から逃れるには、ここで死ねない。
そこで気づく。王子の腕に腕輪がない。
『セレヴィア点』で彼は自分の腕輪を彼女に与えているから、腕にないのは当たり前だ。
しかし、さらは十七歳の王子と再会した時、同時に二つの銀の腕輪を見ていた。
これがあの過去の続きなら、彼の腕にも腕輪があってもおかしくない。唯一のものが同じ時と場所に存在する。そのねじれをさらは目撃した。
(あの続きなら……、あるはず。どうして?)
「何だ?」
王子は冷たい目でさらを見返した。彼は自分から逃れようとする彼女を許さない。それは癇癪に似て、彼を未熟で不快な人物に見せた。
今のさらに彼への恐れはほぼない。少し前の少年の面影に接しただけに、変化を気の毒にも痛ましくも感じるだけだ。
この彼は二度サラを失っている。『邸点』で一度、十七歳で再会してすぐにもう一度。
それがより彼の心を抉ったのだろうと、罪悪感も持ってしまう。その意思はなかったが、原因は彼女にあるのだから。
「あのメイドを外して欲しいんです」
そう言い、離れた場所で控えるジジを指し示した。忘れずに彼女の陰謀仲間のスヌープも外してくれと頼んだ。ジジだけ外しても安心はできない。
王子は訝しい顔をした。願いに重さを感じないのか、返事をしなかった。代わりに馬車へ彼女を強く押した。
それに抗って振り返る。
「お願い。リヴ。これだけは叶えて」
その言葉に王子が動きを止めた。間近で見るその瞼が痙攣するのもわかる。彼の中で何かが起きた。
鋭い視線で彼女を見返した。
「それをどこで知った?」
「それ」とはリヴという彼の愛称だ。周囲の誰もそうは呼ばないから。その呼び名を使うのは彼の母エイミとサラだけだ。
「一緒に行くから、言った通りにして」
彼は彼女の手を強くつかんだ。捻じるように力を込めた。痛みにさらは表情を歪ませた。強くつかまれた手の骨が軋むような気がした。
「誰にも聞いてない。知っているの、あなたのことは。わかったの」
王子はさらを睨むように見つめた。彼女もその視線から逃げなかった。自分の中にサラがいる自信は揺るぎない。
彼が先に視線を外した。彼女の手も放した。
くっきりと手首に痕がついた。取り戻した手首をさする。乱暴に振る舞われたことは何度もあるが、これほど痛みを感じるものはなかった。
そこに彼の動揺を見てしまう。
「こっちへ」
王子はダリアを手招きして呼んだ。やって来た彼へさらの頼みを伝えた。命じられたダリアは不審げだ。
「何か不都合がおありか?」
「サラがそう望んでいる」
ダリアはさらに視線を向けた。
「城を出ればそなたはもうメイドではない。かしずかれる立場になるのだ。早く人を使うことに慣れることだ」
温かみのある言葉だった。彼女が遠慮からメイドが付くのを辞退していると考えたのだろう。そして、それは彼女の為にならないと諭してくれている。
ダリアの優しさに触れ嬉しくなった。
しかし、引っかかる。
彼はさらを「もうメイドではない」と言った。それは正しい。彼女は城でメイドとして働いていた。
(でもそれは『セレヴィア点』でのこと)
それよりも過去に行った前回のトリップでは、彼女はキシリアの娘の家庭教師として城にいた。当主一家の客分として住まい、待遇は手厚かった。決してメイドと呼ばれてはいなかった。
ここが前回のトリップから続いた世界なら『セレヴィア点』とは幾つも違った点がある。ダリアはサラが王子の姉やだと知っている。それは王子も同じだ。
なのに、ここはその事実を反映していないようだ。
(ここは……、どこ?)
さらはうろたえた。自分の手を握りしめながらそれに耐えた。
「そなたが城に来た経緯は決して他言しない。記憶を失い離れた家族が案じられるだろうが、今は前を向くのが身の為だ」
ダリアの言葉に、さらは今が紛れもなく『セレヴィア点』だと悟った。トリップの説明を省略するのに都合が良い記憶喪失の設定は、その時のものだ。
「……わかりました。でもあの二人は外して下さい。お願いします」
再度頼むことで承諾してもらった。
護衛の一人が外れ、メイドはさらも顔見知りの居住区の人物がジジと入れ替わった。不意の外出に新たなメイドはほくほく顔だ。一方のジジはさらを思いっきり睨みつけている。
王子はさらの手をつかんだ。乱暴に捻られた後だけに軽い力でも痛んだ。
「ちょっとだけ待って」
その手を外し、ジジに駆け寄った。敵意に意外さが混じった表情をしている。そっと囁いた。
「ただの王子様を射止めても、ループは切れないのじゃない? あなただけの王子様でないと」
「え!?」
それだけを言い置いて、急かす王子の元へ戻った。『セレヴィア点』でされたことはともかく、ループの鎖の中でもがき続けるジジは痛ましかった。
さらの後から王子が馬車に乗った。二人きりの小さな密室が閉じた。
今が『セレヴィア点』なら、あの前回のトリップは何だったのか。
さらはこの世界の時間軸を過去に戻ってきたはず。『セレヴィア点』から『邸点』でのサラの時間を挟み、更に過去に戻った。それが前回のトリップだ。
それが今と繋がらない事ごとに疑念が湧く。
あれは過去なのだろうか。
見て触れた、感じた全てのもの、こと。今の数年前の世界だと信じた。
(逆だとしたら?)
今から起こる未来だとすれば、ダリアや王子の態度にも納得がいく。
腕輪が一つなのも当然だ。さらが浜辺で覚醒するのはこれから先のことで、腕輪は王子の腕に一つのみ。それが今は彼女の手首に移っている。
そして、今の王子は十七歳でさらに会っておらず、彼の中のサラは『邸点』で死んだ彼女しかいない。
今は時間の最先端だ。ここからループが生まれていく。
それをくるりと一周し、もう一巡目に入るところで彼女は覚醒した。
(未来から『セレヴィア点』に戻ってきた)
