ツキ ト タイヨウ

数日後、俺たちは適当に電車に乗り込んだ。 クラスメイトの男子四人。いつも通り車内でもくだらない話で盛り上がっていた。

「陽向、さっきさ、あそこの女子がさ、お前のこと見てたぞ」

「あの子...!1組の舞花ちゃんだろ。めっちゃ可愛い子!」

「またかよ」
ああまたか。と正直思ってしまう。だるいな。

「またかよ、って、お前なー。ちょっとは興味持てって」

そんな友人の言葉に適当に返事をしてスマホをいじり出す。

電車が止まって、人が乗り降りする。

そのタイミングでどの駅か確認するため顔を上げると、月子がいた。

窓の外をぼんやりと見つめている。こんなにも人がいるのに、まるで一人だけの世界にいるようだった。

同じクラスなのに、俺以外誰も月子に気づいていない。

俺たちの騒がしい声も、彼女には届いていないようだった。

電車がまた次の駅に停車する。

そのタイミングで月子は降りた。
「おい、陽向、聞いてんのか?」 友人の声が俺を現実に引き戻す。

「悪い、降りるわ」
俺はそれだけ言うと、まだ盛り上がっている友人を置いて、電車を降りた。

電車のドアが閉まり、走り出す。 一瞬、月子と目が合った。彼女は、少しだけ驚いた表情をしていた。

「あ...ども..」

俺はそれしか言えなかった。

「朝倉くん。家、この駅なの?」

彼女に涼しげな目で問われどきりとした。
正直彼女を追いかけて降りてしまったからだ。

「あーいや、寝ぼけてて降りる駅間違えた...」

適当に言い訳をした。

彼女は「そうなんだ」と言い、どこかへ向かおうとする。

「…『十二夜』、読んだ。この前葉山さん読んでて気になって..」

俺は、咄嗟にたったそれだけ言った。 彼女の黒い瞳が、俺の言葉をじっと見つめている。

「男装した主人公が、男として仕える相手を好きになって、でもその相手は別の女に恋してる。その女は主人公に…」

言葉が止まらなかった。 俺は普段、こんなに喋らない。でも、彼女に伝えたい言葉が、次から次へと溢れ出てきた。
彼女の瞳孔が少しだけ開いた気がした。

「面白いよね。朝倉くんって。正直本とは無縁な人かと思っていたけど..意外だね。シェイクスピア好きなの?」

「別に…好きってわけじゃねーけど…」

口から出たのは、いつもの素っ気ない返事だった。本当は、彼女に「うん、好きだよ」と言いたかった。でも、彼女に近づきたくて読んだだけで正直ちょっと難しかった。

「…そう。でも、熱心に語っていたから、好きなのかと思った」

月子は、俺の言葉に深く立ち入ろうとはしなかった。でも、その瞳は、俺の言葉の奥にあるものを探っているようだった。

「…でもなんか、ああいう複雑な人間関係って、面白い、とは思う..あの設定は普通じゃありえないけど、」

俺は、どうにか言葉を絞り出した。普段、他人にこんなに懸命に言葉を絞り出すことはない。
月子は、何も言わずに、ただ頷いた。その静かな反応が、俺の言葉を否定しない、優しい肯定に思えた。

「面白いよね。私は道化師が好きかな」

彼女が初めて自分の好みを教えてくれた。

道化師ってあの歌歌ってるやつだよな...でも正直何言ってんのかわかんなかったな。

話したいのにうまく言葉がでてこない。

「朝倉くんは何の本が好きなの?」

彼女が、俺に尋ねてきた。

「…ミステリーとか…読む。」

俺は、恥ずかしながらも答えた。 彼女は、少しだけ目を丸くした。

「意外。やっぱり本読むんだ。」

その一言が、なんだか嬉しかった。

「それなら江戸川乱歩がおすすめだよ。...あもうこんな時間。じゃあまたね。」

そう言って彼女はいつもと変わらない様子で帰っていく。
俺にとっては、今までの人生で一番、心臓が熱くなった時間だった。

電車に乗る。車内は静かだった。 窓の外に映る自分の顔は、なんだか少しだけ、いつもより柔らかく見えた。