その日、ハイマー商会には、ケイトが訪れていた。

「最近、旦那様が生地を多く仕入れるようになってね。
 おかげさまで私どもも仕事にありつけて、有難いことですよ。
 専属の馬車を使っておりますが、もう一便増やさなければ間に合わない勢いですよ。」

「ああ、お互いに商売が成り立っているのはいいことだ。
 そのうちエダマにも、コレットの服が並ぶかもしれない。
 帰りの馬車も、いっぱいになる日が来るかもしれんな。」
 
 父は嬉しそうにケイトと語らっていた。

「ありがたいことさ。
 あんたの服はエダマでも評判なんだよ。
 なにせ『奥様の服』が、ふるさとに帰ってくるってね。」

「もう、からかわないで。
 それで……みんなは元気?」

「ああ、みんな元気さ。
 それに、ビッグスがもうすぐ戻ってくるって話だよ。
 収容所にいたなんて、ほんとおかしな話だよ。」

「ビッグスが……?
 見つかったのね。よかった。」

 私は、カミルと親しかった彼の無事を、心から喜んだ。

「どうだい? そろそろ里帰りにおいでよ。」

「里帰りなら、ここでしょう?」

「みんな、あんたの帰りを待ってる。
 カミルの旦那に、会いに行ってやんな。」

「そうね……行こうかしら。
 もう、子どもたちを連れて行っても、大丈夫よね。」

「ああ、きっと、みんな喜ぶよ。」

 父も、カザック子爵の処刑を見届け、ようやくカミルのことに心の整理をつけられたようだった。

 懐かしい顔ぶれとの再会。
 カミルのことを思い出すと、まだ素直には笑えないけれど、今でもカミルを「旦那」慕ってくれるその優しさが、胸に沁みた。

「それで……これからどうすんだい?
 あたしゃもう、カミルの旦那の仇は取ったと思ってるよ。
 あんたは、あんた自身の幸せを考えておくれ。」

 カミルの残してくれたもの――子供たち、家族との絆、仲間たち。
 そして……アイリス皇女、クリス皇子との約束。
 どれもが、今の私にとってかけがえのない宝物になっていた。

「コレットよ、カミル君はお前に仇をとってほしかったのではない。
 子どもたちと、静かに幸せに暮らしてほしかったのだ。
 ……ここから先は、もうお前の出る幕ではない。」

 父の言葉が、心の奥にすっと沁みた。

「……今度、子どもたちと一緒に、エダマの街に遊びに行こうかしら。」

「ああ、いつでもおいで。
 みんな、待ってるよ。」


 その日、交易所にピアノが設置され、アリスが演奏を披露していた。
 背筋を伸ばして弾く姿に、かつてのカミルの面影が宿った。

 アリスの音色が春風に乗って港町をそっと包んでいった。
 やさしい旋律に誘われるように、人々が足を止めた。

 そのすぐ傍で、カイルが手を振っていた。
 
「お母さん、あの船、お父さんの友達が乗ってたの?」

 私は笑って、うなずいた。

「そうね。きっと、そうだったのよ。」

 見上げれば、空はどこまでも澄んでいた。
 かすむ水平線の先にも、いつか子どもたちが歩いていくのだろうか……。
 この街のように、ゆっくりと、けれど確かに。

 ねぇ、カミル。
 私、ようやくあなたの願っていた道を歩けそうよ。
 
 子どもたちは元気。
 笑ってる。
 私も……笑えるようになったの。

 ふと吹いた風に、花びらが一枚、頬をかすめた。
 まるでカミルが「行ってこい」と背中を押してくれたような気がした。

 演奏を終えたアリスに、カイルが拍手を送る。
 その笑顔に、私はやっと微笑み返すことができた。

 この子たちは、ちゃんと前を向いて生きていける。
 カミル、あなたが命懸けで守ろうとしたものは、ちゃんと残っているのよ。

「行こうか、カイル、アリス。
 少し散歩でもしようか。」
 
 子どもたちは元気よく頷いて、私の手をそれぞれ取った。

 エダマの港には、春の陽射しが降り注いでいた。


 ―第1章 偽りの舞台 おわり―