2日後、執事のトーマスが一通の手紙を持って私の元に来た。
封筒の赤い封蝋には、ラタゴウ家の紋章が刻まれていた。
「ご夫人、ラタゴウ領主からのお手紙です。」
私は手紙を読むと、父にそれを差し出しながら、どうにかしてこれが嘘であるよう願っていた。
「お父様、こんな手紙がラタゴウの領主から送られてきました。」
しかし、父がその文面を黙読する姿を見て、現実であることを否応なく悟った。
「こんなばかなことが……!」
父は手紙を握りしめ、声を荒らげた。
一方で、私はどこか現実感を失っていた。
カミルがこんな形で私たちの関係に終止符を打つとは、思ってもいなかったからだ。
目頭が熱くなり、言葉が出ない。
「なんだって領主様はこんなものを。」
カミルが領主である兄に離婚を申し出るなんて、本当にそんなことがあるのか。
しかし、領主の署名がある以上、これは本物だ。
お父様はその手紙を見るなり、
「トーマス!直ちにラタゴウの領主に遣いを出せ、これはどういう了見かと。」
「はい、ご主人様。」
やはりもうやり直すことはできないのだな。
認めたくはないが、認めざるを得なかった。
「ふぅ、なんだか疲れてしまったわ。」
私は私室に戻ると、そのまま枕に顔をうずめて泣いた。
部屋にはアリスが練習するピアノの音が響いている。
カイルは学校の宿題の習字をしていた。
夏休みが始まって2日、今日は7月22日。
学校が始まるまでには子供たちにこの街の学校に転校することを伝え、手続きをしなければならない。
家名が変わることも含めて——。
子供たちにはどういって説明しようか。
きっとアリスは驚くだろうな。
カイルにはまだ理解が難しいだろうけど、普段から家名で呼ばれることはないだろうから、いずれ話をしよう。
私の頭の中をいろいろなことがぐるぐると回っている。
これからどうやって身を立てていくか……きりがなかった。
「私の人生は、これからどうなっちゃうのかな……。
ふぅ、なるようにしかならないわよね。」
私はそう思うことにした。
額の傷もだいぶ癒えてきた。
いつまでも子供たちに不安な顔は見せられない。
領主が何を言おうが、カミルにとっては大事な子供たちなのだから、きっとここに戻ってくる。
そう信じることにした。
「ねぇ、アリス。
ちょっとお話があるんだけど、いい?」
「うん、どうしたの?」
アリスが振り返る。
その表情を見て、私は一瞬、何も言えなくなった。
「実はね……私とお父様は、これから別々に暮らすことになったの。」
「それって、離婚するってこと?」
「ええ……そうよ。」
アリスはしばらく黙り込んだ。
小さな手でピアノの鍵盤をそっと押し、音を一つだけ響かせる。
そして、ぽつりと言った。
「お父様、怒っていたもんね。大きな声で。
私、もう怖くなっちゃった。」
私はアリスの肩を抱きしめた。
その小さな体が、震えているのがわかった。
「そうね、きっとお父様は疲れてしまっていたのね。
あんなに大声を出さないと気持ちが収まらないくらいに。」
「なんだかお父様もかわいそう。
今頃一人で泣いているかもしれないわ。」
「そうね、ずいぶんと疲れてしまっていたからね。」
アリスは父を思って泣いていた。
「それでね、アリスとカイルは、夏休みが終わればこの街の学校に通うことになるの。」
「え、もうエダマの街には帰れないの?」
「実はおじさまからの話だと、これからはおじいさまの家で暮らすようになるの。
だから家名もハイマー家になるのよ。
だからあなたはアリス・ハイマー。」
「え、それじゃ、もうお友達とは会えないのね。」
「そうね、残念だけど。」
アリスは少し肩を落としていたが、ここでお母様を困らせてはいけないと思って、
「またお友達はできるわ。
新しい学校に新しい名前で通うのね。
なんだか生まれ変わったみたいだね。」
そう、いたずらっぽく笑って見せた。
アリスのそういう気遣いがわかったので、私も努めて笑顔で振舞うことにした。
「ねぇ、それじゃ私たちのお部屋の荷物は?」
「そうねぇ、いずれトーマスさんにお願いしてみるわね。」
「うん、わかった。」
そう言ってピアノの練習を再開していた。
後ろを向いてしまったのでわからなかったが、ピアノの鍵盤には涙が一滴落ちていた。



