エリックたちは、先日訪れた小さな酒場「馬車馬」にいた。
平日だからだろうか、そこは相変わらず閑古鳥が鳴いていた。
トーマスはカウンターに大銀貨を1枚出して、
「店主、スコッチを頼む。2つだ。」
店主はすぐに、彼等だとわかり、ショットグラスに2杯の酒を出した。
「アレはお持ちですかい?」
「ああ、これだろ?」
そう言ってエリックがこの店のマドラーを見せると、
「今日はチーズがサービスだ。」
ナッツとともに一皿出した。
店主はこちらをちらちら見ながら、奥にいる客の応対をしていた。
「今日は先客があるようだ。たまにはゆっくり飲もう。」
「いいですね、こうしてうまい酒が飲めるのはうれしいですよ。」
「あんまりはしゃいでくれるなよ。」
と言いつつ、トーマスも機嫌が良かった。
「おい、『ソイツ』はここではやらねぇでくれ。」
店主が客に向かっていった。
ほどなく店内には異様な甘い香りが漂った。
客はしぶしぶ「ソイツ」の火を消して、席を立った。
「15Gだ。」
店主がそう言うと、客は巾着からコインを出して、無言で立ち去った。
「まったく、店の中で『葉っぱ』をやろうとは、どういうつもりかね。
ニオイがとれねえんだ。
次の客がこのニオイを嗅ぎつけて、また『葉っぱ』を出すんだよ。
ここなら大丈夫だと思って。
だからニオイは残しておけねえのさ。
連中妙に鼻が効くからな。」
「ふむ、その『葉っぱ』は誰にでも手に入るものなのか?」
「ああ、路地裏で売人が立ってるよ。1本5Gぐらいだろ。」
「そんなに高いのか? 上等な葉巻の何倍だ?」
「『葉っぱ』をやるとな、抜け出せなくなるんだよ。
その時にはいい気分になるようだが、時間が経つとイライラしだして、また欲しくなるんだと。
そいつらは多少高くても買うんだよ。」
「高いからやめるってわけにはいかないのかい。」
「ああ、我慢すると気がふれたようになるって話だ。
あんなのには手を出さないに限るな。」
「すっかり金を巻き上げられた連中は、仕舞にはどうなるのだ?」
「ほれ、路地に居座っている連中がいるだろう?
誰かの吸い殻を漁っているのさ。
もう『葉っぱ』に取りつかれた連中だよ。
金もなく棲み処もねぇ。
たまに死ぬやつもいるからな。
その前に巡回警備に引き取ってもらうのさ。」
トーマスがエリックに無言で視線を送ると、
「ええ、一応身元の確認もしていました。
家族がいれば、行方不明の届けがあって、大体発見して帰されるのですが、そうなる前に死んだ者もいました。」
「つまりカミル様も路上で保護されたのは、そういういきさつだったと。」
「おそらくは。
早めに保護してそうならないようにしているのです。」
店主はその話を聞いて、興味を持ってエリックに尋ねた。
「受け答えができないくらいに狂っちまった奴はどうなるんで?」
「俺も詳しくはないが、収容所に送られてな、治療を受けるのさ。
と言っても何もない部屋に閉じ込めて、泣き叫ぶのが収まるまで待つ。
それが過ぎるとじきにおとなしくなるらしい。
そこから復帰するやつもいれば、そこから出られないやつもいるらしい。」
「いずれにせよ、待ち構えているのは地獄だな。」
「ちげえねぇ。」
店主もうなずいていた。
「ところで今日は何を探りに来た?」
エリックが慌てて周囲を見回すが、
「心配するな。
客は今ので最後だ。」
トーマスはコレットから預かったマドラーを見せて、
「これが何かわかるか?」
「そいつは、その、あれだ。
『上』が関わっている店だな。」
店主の反応はいま一つだった。
トーマスはさらに大銀貨2枚をカウンターに置いた。
「……俺が言ったことは内緒だからな。」
トーマスはエリックに目配せをした。
エリックは二人に背を向けて周囲を警戒していた。
「そいつはキャバレー『エデン』のものだ。裏に刻印と番号があるだろ。」
トーマスがマドラーを見ると、紋章のような装飾の裏側には確かに、「G076」と刻印があった。
「あの店では顧客にランク付けをしていて、それに応じて通す部屋が違うんだと。
あと、そのマドラーは誰の持ち物かを把握している。
番号がついているのは、身元が分かっているというわけだ。」
「ほう、それなら上客というわけだな。」
「ちげえねぇ。
しかもGって言うのは最上級の『グランデ』という意味だ。」
「そこで何が行われている?」
「そこまでは知らねえ。
店も客も秘密にしているからな。
それを持っていれば本人か、または招待された人物というわけだ。」
「そこは『葉っぱ』とかかわりのある店なのか?」
「……あくまでも噂だ。
要人がそんな遊びをしたと世間に知れたらやばいだろ。」
「ああ、今日聞いた話は酒場の他愛もないうわさ話だったな。」
「ありがてえ。」
店主はショットグラスに酒を注ぎ、
「飲んでいくんだろ? お代は十分だ。」
そのあとは巷で話題の新しいスポーツの話、草競馬の話など、およそ庶民の話題について店主とともに語っていた。
「なぁ、俺は早くこんなところからは出ていきたいんだ。
俺がここで酒場を始めたのはな、労働者も気軽に酒が飲める店をやりたかったんだ。
初めのうちはにぎやかで、みんな金はないが活気があった。
ところがどうだ、あの『エデン』が来てからすっかり変っちまったのさ。」
「それならなぜ店を続けているんだい?」
「ただの惰性さ、『馬車馬』にはほかにやることもないんでな。」
店主は寂しそうにつぶやいた。
「世話になった。また来る。」
「ああ、いつでも話し相手になるぜ。」
二人は店を後にした。
ふと路地に目をやると、浮浪者たちが呆然と街を眺めていた。
その様子を見て「葉っぱ」が街のありようをこうも変えてしまうのだと身震いがした。



