気持ちを伝えられない日が続いた。

 ある日、スマホの鏡アプリを立ち上げると、奇妙なことに気がついた。

 亜美に買ってもらった、白い時計の日付の表示である。

 日付が23日のままなのである。スマホ自体の日付はだいぶ過ぎているし、もちろん現実とリンクしている。

 なにかのバグかな。まあ、それほど影響もないし、そんなに気にすることもないかな。僕はそう思った。

 そんなことより、今度、社会の授業で小テストがあるんだった。僕が社会の学習参考書を取り出すと、ページの隙間からなにやら小さな紙がひらひらと落ちてきた。

 大きさ的にしおりの代わりに使った感じであった。なにかの文章の一部が書いてあるようで、もともと文章が書いてあった1枚の紙を適当に切ったもののようだ。僕はちょっと読んでみた。断片的なので、単語を見るような感じだけど。

 『鏡の部屋』『ペット』『おやつ』などの文字が見つかり、これはひょっとして鏡アプリの事を指しているのでは……と思った。

 僕の知らない情報もあった。例えば、ペットは通常4種類しか選べないが、ある文字列を入力することでアヒルが選べるなど。試しに自分のスマホで試してみると、確かに選べた。他にもペットに話しかける回数が多いと、ポイントが多く貰えるなどもあり、これも確認できた。

 これはどういうことだろう。なんらかの雑誌の特集ページに載っているのか。どこかのウェブサイトに方法が載っているのか。それとも開発者しか知らない事が書いてあったのか。

 また、言いたい聞きたいがそれがどうもできないって事が増えてしまった。なんだかもどかしい。


 翌日。

 教室へ入ると、ちょうど上石だけが来ていた。これはチャンスだと思い、彼女に自身が鏡アプリの作者かどうか聞いてみた。


「ええ。そうよ。それがなにか?」

 彼女はあっけらかんと答えた。

「なんで教えてくれなかったの」と僕が聞くと、

「すでにそのアプリを使用している者がそこにいて、私が目の前に現れたとして、私が開発者ですって言える?」と上石は答えた。

 まあ、確かに使っている人の前で、自ら『自分が作りました』とか言いづらいよね。うん。

 なんとなく問題が一つ片付いたような気がした。しかし、それは本当なのだろうか。

 それはともかく、なんか、自分に勢いがあるような気がする。今なら、亜美に気持ちを伝えられる気がする。

 あたりを見渡すと、教室の扉から、亜美が廊下を歩いている姿が見えた。

 僕は亜美の後ろを追いかけた。亜美は階段の踊り場あたりにいた。

 ほんのちょっとの距離なのに、息が切れそうだった。

「亜美、聞いてくれ」

「うん? なに? 急にどうしたの?」

 僕はまっすぐ、亜美の顔を見た。

「お前のことが好きだ!」

 いきなりこんなことを口走って、誰かに聞かれたら大変だと思ったけど、幸い、まだ1時間目の始業まで結構時間があったので、周りに生徒はいなかった。

「何言っているの? 恥ずかしいじゃない。それにあなたの気持ちなんて、最初から知っているよ」

 うん? どういうことだ?

「え~、どういう意味?」僕は聞いた。

「オッケーって事よ。あんまり言わせないでよ」

 亜美は恥ずかしそうに答えた。正面を向いていた顔がちょっと横になった。

 そっかー。よかったぁ。しかし、なぜ亜美は気持ちを伝えたアプリのメッセージに答えてくれなかったのだろうか。

「前に、アプリのメッセージだしたんだけど、その時は返事がなかったよね?」

「うん? メッセージ? 何のこと? そういえば、以前あんたから、(から)のメッセージが来たような」

 (から)のメッセージ? あの時、確かにちゃんと入力して、何度も確認してから送ったけど、どういうことなんだろう。


 キーンコーンカーンコーン

 おっと、チャイムが鳴ってしまった。席に戻らないと。

「急ごう」

「急がないと、誰かに何か言われちゃうもんね」

 そう言って、僕と亜美は走って席に戻った。

 気持ちを伝えた後も、なんだか恥ずかしいのか、亜美とうまく会話できないでいた。


 キーンコーンカーンコーン

 放課後。

 校舎裏のベンチに上石が座っていた。僕は無意識にそこへ向かっていった。

 僕が近づくと、上石も気づいたのか、こちらを向いた。

「うまくいったの?」

「うん」僕がそう答えると、上石はニコッと笑った。

「まあ、知っていたけどね。ただ、私も我慢できなかった。惑わせちゃってごめんね」

 そう言っている彼女は唇が震えているような感じがした。

「鏡アプリのペットは人工知能が使われているでしょ。あのペットたちは私の性格なんかも学習させてあるの。ひょっとしたら、送りたくないメッセージは、(から)のメッセージとして処理しちゃうかも。あと置物にも魂が宿っているかも」

 そして、空を見ながら、ひとこと言った。

「じゃあ、また明日」

 そして、上石は去っていった。校門を出る前にこっちを振り返って、何かしゃべっていた気がするが、それは聞こえなかった。


 今度は僕がベンチに座って、腕を組んで考え事をしていた。

「帰るよ。彼女をおいて帰る気か」

 亜美がスタスタと歩いてきた。

 何気に大胆なことを言ってきたが、一緒に帰るときはまた無言になってしまった。やっぱりなんか恥ずかしく感じるよね。


 翌日。

 上石は学校へ来なかった。

 実は親の都合で、また転校したらしい。

 亜美に聞いたのだけど、幼いころ、上石はこの街にいたらしい。学校こそ違うものの、亜美と僕と上石で偶然公園で出会って、何度か遊んだこともあるようだ。思い返してみると、3人で遊んだ記憶がある。あの時の少女が上石だったのか。名前も聞かずに遊んでいたので、気がつかなかった。

 僕は学校の校舎裏のベンチに座りながら、今まであった出来事を思い返していた。

「おーい。帰るよ」

 亜美の声がする。僕は夕暮れに染まる、いつもの道を二人で帰った。いろんな事を話しながら。

 いつのまにか、恥ずかしさで無言になることもなくなっていた。