僕は歩く。雲ひとつない空の下を。

 まあ、学校の授業が終わって帰る途中なんだけどね。

 道の周りには青々とした名前の知らない草が生えている。スマホのアプリで調べればわかるだろうけど、いつでもできると思うと面倒になって調べない。便利になりすぎると、こういう弊害もあるよね。

 わりとどうでもいい思考をしているうちに家の玄関の前に着いた。
 
 鞄から鍵を取り出し、ドアを開ける。

 ガチャッ

 外は晴れ晴れなのだけど、家の中は薄暗くシーンとしている。このギャップを感じながら、廊下をすたすた歩き、階段をトントンと上る。なんというかこの締め付けられた狭い空間にいると、ちょっと寂しい感じになるのだけど、慣れているので、そこは大丈夫だ。

 学校の制服から私服へ着替え、その場にぺたんと座る。無意識にスマホを触りだす。いつも見ているウェブサイトをチェックし、なんとなくアプリストアを覗く。

 適当にパラパラとアプリのアイコンを見ていると、ふと目に留まったものがあった。

 小さな鏡とその脇に可愛らしいキャラクターがいるアイコンだ。僕はすぐさまアプリの概要欄を読んでみた。

『これはスマホが鏡になるアプリです』

 鏡になるなら、スマホのインカメラと同じだね。スマホの画面がある側のカメラだ。顔認証したりするときに使うやつだ。もちろん、自分の顔の写真を撮ることもできる。

『その鏡の中でペットが飼えます。そのペットは人工知能により話しかけてきます。もちろんあなたからも話すことができます』

 ペットが飼えるのか。うーん。そのぐらいだとちょっとアプリ的には弱い気もするな。でも、人工知能で話ができるのはすごいかも。ちょっとダウンロードしてみるかな。

 ダウンロード中に、概要欄をもう少し読んでみると、メーカーは有名なところではないようだ。どことなく個人で作ったのではないかと思われるふしもある。今は個人でも人工知能を使ったアプリとか作ることが出来るんだよね。すごい時代になったものだよ。 

 そうこうしているうちに表示されているバーが伸び、ダウンロードが完了した。

『どのペットが良い?』

 アプリを起動するとペットを選ぶ画面が出てきた。

 全体的にファンシーな画面だ。画面の周りは草の額縁みたいな装飾がされている。どちらかと言うと、男の子向けのアプリと言うよりは、女の子向けのアプリに感じた。

 猫、犬、兎、鶏が選べるようだ。うーん、鶏はちょっと想像もつかないし、とりあえず猫にしてみよう。僕は猫のアイコンを指でタップした。


「にゃーん!」

 うん。猫の鳴き声だ。

「鏡の世界へようこそ! 私と一緒に世界を歩こう!」

 人間の言葉を話し始めた。まあ、人工知能により話しかけるとあったのだから、当然なのかもしれないね。

 もし、鶏を選んだら、いきなり「こけっこ~!」とか鳴くんだろうか。それだと外で起動すると、周りがビックリしそうだ。猫ならまだ何とかかなるが。

 ペットの背景は、自分の部屋を鏡で映したような感じになっている。そこに存在はしてないが、鏡には存在しているペットがいる。よくある不思議な物語やホラーって感じだ。

「誰かにメッセージを送ることもできるよ」

 そうは言っても、まだ起動したばかりで誰も登録してない。


「正弘! 村瀬(むらせ) 正弘(まさひろ)!」

 後ろから声がする。振り返るとそこには幼馴染の高坂(たかさか) 亜美(あみ)がいた。セミロングの髪で背の高い女の子だ。僕よりはちょっと低いけど。あと、普段から声がでかい。良いように言い換えれば、ハキハキしている。

「さっきから呼んでいるのに! どうしたの?」

 まあ、不法侵入なんだけど、いつもの事なので驚かない。それなりにこの街は平和なので、たまに鍵をかけ忘れることもある。


 とりあえず、アプリをダウンロードして、それを起動していたことを伝える。

「へ~。面白そうなアプリだね。鏡の中の世界って面白そう。私もやってみるよ」

 そう言いながらスマホを取り出し、アプリ名を調べてダウンロードをし始めた。

「あっ、そうそう。ペットが選べるよ。猫、犬、兎、鶏から。まあ、ペットといっても普通に人間の言葉をしゃべるけどね」

「そうなんだ。猫、犬、兎、鶏、どれがいいかなぁ。犬も良いけど……うーん、私は兎にしてみるかな」


 亜美と話をしているうちにダウンロードが終わったようで、アプリを起動し始めた。そして兎をペットとして選択した。

「誰かにメッセージを送ることもできるよ」

 亜美のスマホをのぞき込むと、ペットのウサギがぴょんぴょん跳ねながらしゃべりだした。

「それじゃあ、あんたのIDを登録するよ」

 ポチポチ……

「じゃあ、何かメッセージを運ばせるよ」

 ポチポチポチ……
 
 ポチポチ……


「はい。送ったよ!」

 自分のスマホを見てみると、どこからともなく兎が手紙のようなものを持ってやってきた。画面の背景は自分の部屋なのだから、実際に運んできたように感じる。


 さて、メッセージを見てみるかな。ボタンを押してみる。

『おはよう! 私の最初のメッセージだよ!』

 メッセージは来たものの、おはようとはいったい。

「おはようって、もう夕方になるよ」

 私は亜美にそう問いかけた。

「テスト送信だよ。別に何でもいいでしょ!」

 まあ、それはそうだけど。

「あんたも送ってよ!」

 というわけで、僕も適当に送ってみる。

『不法侵入は良くないぞ!』

 ポチッ

 さて、どういう反応が返ってくるだろう。

『何言っているの。私の部屋みたいなものじゃない?』

 うーん。そうだっけ。とりあえず、また返信してみよう。

『たしかにそうだけど…… いや、違うぞ』

 亜美がスマホから目をそらし、こちらを見て話しかけてきた。

「まあ、そんなことはどうでもいいじゃない。このアプリ、他の機能は無いの?」


 僕は説明をよく読んでみた。

 ペットにおもちゃを買ってあげることもできるらしい。買うにはポイントが必要で、そのポイントは日ごとに増えたり、スマホを持って歩いた距離に応じて増えるらしい。最初の起動時にもちょっとポイントが入っていたので、アプリ内のショップを覗いてみた。

 最初に目に入ったのが、ペットが遊ぶボールだ。

「このボール、私の兎ちゃんが気に入ってくれるかな。それにしても派手な色ね。虹色と言えばいいのかな」

 亜美が横から割ってきた。いや、もともと二人だし割ってきたは変かもしれない。まあ、それはどうでもいい。

 確かにこのボールは虹の7色を配色してあって、色と色の間はグラデーションがかかっている。ポイントはそんなに使わないようなので、とりあえず、それを買ってみた。

 置いてみると、ペットの猫はころころとボールを転がし始めた。

「にゃーん! にゃーん!」

 喜んでいるようだ。

「私も後でボール、買ってみよ」

 亜美も買うと言っているが、兎がボールをころころと転がして遊ぶのかな。まあ、ただのアプリだから、現実とは行動が違ってもおかしくないけど。後でウサギがボールで遊ぶことがあるのかどうか、ネットで調べてみよう。

 しかし、このアプリはよくできていて、スマホを動かすと、映っている部屋とリンクしてペットやボールも、まるでそこにあるような感じになる。そこにあるといっても、スマホの画面内のことで、実空間にはもちろんそれらはない。技術的にはGPSやジャイロセンサーを使っているのかな。

「じゃあね。私は帰るね! 家でこのアプリを色々と試してみる!」

 そう言って、亜美は帰っていった。

 さて、この鏡アプリを起動させたまま、スマホスタンドに立たせておこう。僕は充電しながらも立てられるスタンドへ置いた。

「一見すると、普通の鏡っぽく、よく見るとペットも映っていたりして、なかなか良い感じだ。知らない人から見れば、不気味かもしれないけど」


 翌日。

 朝食を食べて、部屋へ戻ると、ペットが鳴いていた。

「にゃーん。お腹が減ったにゃん!」

 おっと、ペットの猫に餌を上げるのを忘れていた。それにしても、猫が人間の言葉をしゃべるのは不気味だな。語尾に「にゃん」と付けて、不気味さというか、わざとらしさが増す。

 僕はアプリの中のストアで何かないか探した。

 画面をスクロールさせると、猫缶のようなものが出てきた。僕はそれを購入し、猫に与えた。

「にゃ~ん、むしゃむしゃ」

 とりあえず、食べているようなので安心した。時間も押しているので、僕はスマホを鞄に入れて、そして、階段を降り、家のドアを開けた。

 どうもいつもより暗く感じる。視線を上にすると、ずっしりと重たい灰色の雲が落ちてきそうだが、なんとか耐えている様子がうかがえる。雨でも降るのだろうか。一応、傘を用意して、家を出た。

 道の脇にある、草や木もこの空模様に合わせるように、なんだか色あせた感じがした。

 なんて思っているうちに、校舎の屋根が見えてきた。三階建ての校舎だ。窓を見ると生徒がおしゃべりしている姿がうかがえる。校舎の隣には旧校舎の一部が残っていて、今現在、取り壊し中だ。旧校舎と言えば、よく怖い話とかあるが、あいにくこの学校の旧校舎はそんな噂は無い。個人的にはそんな噂は無いほうが良い。僕は怖いのは嫌いなんだ。

 時間もあまりないので、スタスタと少し早歩きをして校門へ向かっていった。

 校門のそばには『生活指導』と書かれた腕章をした生徒がいた。ちょっと面倒だなぁと思っていたが、そのまま通り過ぎることができた。

 と思ったら……

「ちょっと君!」

 ん? 後ろから声がした。服装には気を付けているつもりだが、何がダメだったんだろう。髪型か。いや、髪型も普通のはずだ。別に染めたりもしていないし、長すぎたりもしない。

「なにか、問題でしょうか?」

「いや。君じゃなくて、後ろの人」

 僕じゃなかったようだ。呼び止められるだけで緊張しちゃうから、紛らわしいのはやめて欲しいな。それにしても偉そうだな。後ろの人がどんな格好をしているのか気になったけど、この場にはあまりいたくなかったので、僕はそそくさと歩いていった。

 ガラッ

 教室へ入ると、亜美が話しかけてきた。

「おはよう!」

「うん。おはよう……」


 相変わらず元気だね。今日の空模様とはまるで対称的だ。

「昨日のアプリだけど、ペットを洗ったりできるみたいだよ。兎さんを洗ったよ!」

「そうなんだ。そういう機能があるってことは、毎日洗わないと、ペットが不機嫌になりそうだね」

「うーん。そうかもね」

 まさか、ペット用のシャンプーとかもあるのかな。そうなると、ポイントが足らなすぎる。


 キーンコーンカーンコーン

 おっと、始業と言うかホームルームのチャイムが鳴ってしまった。席へ着かないと。僕は急いで自分の席へ向かった。

 ……

 …………

 席へ着いたものの、なかなか担任の先生が来ない。周りがざわつき始めた。ざわざわと周りでおしゃべりが始まる。みんな、会話が好きだなぁ。

 会話の音量がだんだん上がり、もはや自分の声も聞こえないぐらい大きくなってきたときに……

 ガラッ

 ドアが開いた。その瞬間、教室は沈黙した。うん。よくできた生徒たちだ。普通だったら、そのまま大きな音量の会話が続き、先生が怒るところだ。

 そして、担任の先生が入ってきた。その後、ちょっと間をおいて一人の生徒が教室へ入ってきた。

「えーー、今日からこのクラスに入ることになった、転校生の上石(かみいし) (さくら)さんだ」

 見た感じ、ちょっと影があるような女の子だ。髪はショートで、ちょっと小柄だ。眼鏡とかは別に掛けていない。

上石(かみいし) (さくら)です。よろしくお願いします」

 なんとなく口調も冷たいような気もした。ただ単にすごく冷静なだけの人なのかもしれないけど。

 担任の先生が僕の席の横のあたりは指を指した。

「あそこの空いている席に座ってくれ」

 そう。僕の隣の席が空いていたのだ。掃除のとき、誰もこの席を動かす者がいなくて、最終的に僕が動かしていたので、今日から楽になるであろう。それはとても嬉しいことだ。ちなみに僕は一番後ろの席だ。

 上石はスタスタと鞄を持って、僕の隣の席へ着いた。

「よろしくお願いしますね」

 そう言って、頭を軽く下げて、席に着いた。

 近くで見ると、なんとなくミステリアスな不思議な感じがした。うん? ミステリアスと不思議はだいたい同じ意味じゃない? まあ、それはいいか。


「よっよろしく」

 僕はちょっと間をおいて、返事をした。意図的に間を置いたわけではないが、なにか押されるような感じがしたのだ。

 そして、授業が始まった。