桜吹雪が舞う夜に


しばらくのあいだ、一緒に過ごす時間が重なるごとに、私は気づいてしまった。
ーーもう、彼に惹かれる自分を抑えられなくなっていたことに。

ベッドサイドの静かな時間。
理緒が眠ったあと、ふとした拍子に彼と二人きりになることがあった。
無言が怖くて、思わず口を開いた。

「日向さんの親って、牧師さんなんですか?……なんか、すごいですね」

それは理緒からこの間、聞いたことだった。
彼は一瞬驚いたように瞬き、それから小さく頷いた。
「……そう。まぁ、俺にとっては普通の家庭だったけど」

会話が途切れるのが惜しくて、次の言葉を探す。
「日向さんは、どんな本を読むんですか?」

「本?」
少し考え込んでから、彼は苦笑した。
「専門書ばっかりだよ。あとは……音楽の本とか、哲学書を少し」

なんだか意外で、胸の奥がきゅっとなる。

「じゃあ……どうして、医師になろうと思ったんですか?」

その問いには、彼はしばらく黙ってしまった。
沈黙が重く落ちる。答えてくれないのかと思った時、低く静かな声が返ってきた。
「……誰かの痛みに、手を伸ばせる人間になりたかったから」

その言葉の強さに、胸が熱くなった。

気づけば、最後にぽつりと聞いていた。
「……恋人は、いますか?」

自分でも驚くほど小さな声。
彼は一瞬だけ視線を逸らし、窓の外の景色を見つめたまま答えた。
「いないよ」

それだけの言葉なのに、心臓が跳ねるのを抑えられなかった。
その瞬間、彼が少しだけ近くなった気がした。



けれど同時に、心の奥底では分かっていた。
この想いが実ることなんて、きっとない。

彼の瞳に映る私は、どこまで行っても未熟な子供でしかない。
診察の合間に軽く頭を撫でられたときも、胸が熱くなるのと同時に、(あぁ、やっぱり子供扱いなんだ……)と、寂しさが胸を締めつけた。

だから、せめて。
恋は報われなくてもいい。
彼に振り向かれなくてもいい。

それでもいつか、彼のようになりたい。
彼のように、人の痛みに寄り添って、癒せる存在でありたい。

ーーそう願って、ここまで歩いてきたのだ。