ソファから立ち上がった日向さんの声は、今までと違って低く響いた。
私は食器を洗う手を止め、息を詰める。
「……母さんの、命日だった」
「……え?」
思わず振り返った。
日向さんの母親について、私はほとんど何も知らなかった。
牧師である父親の話はよく聞いていたのに――そういえば母親の話は一度も出たことがない。
……まさか、亡くなっていたなんて。
「白百合の花束は……母さんの墓に」
淡々とした声。けれどその瞳は、どこか遠くを見て揺れていた。
胸に、驚きと同時にチクリと痛みが走る。
(……そんな大事なこと、私、知らなかったんだ)
「どうして……黙ってたんですか?」
震える声で、ようやく絞り出す。
日向さんは小さく息を吐き、目を伏せた。
「心配をかけたくなかった。ただ、それだけだ」
言葉を継ごうとした。
――いつ? どうして? どんな風に?
本当は聞きたかった。けれど、声にならない。
――それ以上、触れるな。
彼の沈黙がそう告げていた。
もっと知りたい、近づきたい。
けれど、踏み込んではいけない領域がある。
その境界を痛いほど感じながら、私はただ、彼の横顔を見つめていた。



