新宿西口から少し歩いた路地裏。
煌々としたネオンから外れたその一角に、小さな看板が柔らかく灯っていた。
“Jazz & Bar Sakuya”ーー黒い扉の向こうからは、ベースの低音とサックスの柔らかな旋律が漏れ聞こえてくる。
桜は思わず足を止め、瞳を丸くした。
「……本当に、ジャズバーなんですね……」
「名前そのまんまだろ」
苦笑しつつ、先に扉を開ける。
「ほら、行こう」
中は照明が落ちていて、木のカウンターと数組の客が作る柔らかなざわめき。
ステージではピアノとベースのセッションが進んでおり、空気そのものが音楽に浸されていた。
「おー、日向!」
カウンターの奥から、短髪で快活な笑顔の男が手を振る。
店長の朔弥だった。
「久しぶり!で、そっちが噂の?」
「彼女の桜。バイト探してるそうなんで、良かったら」
そう言って桜の頭を撫でて紹介すると、朔弥は朗らかな笑顔を向けた。
「若い!可愛い!大歓迎!」
「……あの、よろしくお願いします」
桜は深く頭を下げ、少し頬を赤くして答える。
「日向が君を“真面目でいい子だ”って珍しく褒めてたから、どんな子かと思ったら……納得」
「……余計なこと言わなくていい」
朔弥の何気ない一言を、咳払いで遮る。
「とりあえず今日は見学がてらってことだな。カウンターでも座って雰囲気味わってくれればいいよ。桜ちゃん、飲み物は?」
「まだ20歳未満だから、アルコールは無しで」
遮るように先に答えると、朔弥は苦笑して頷いた。
「りょーかい。じゃあ、ジンジャーエールと……日向は?」
「キューバリバー」
そう注文すると、桜は不思議そうに俺を見上げた。
「……何か、格好いい名前ですね」
「ただのコーラとラムだよ」
軽口を叩き合いながらカウンターに並んで腰を下ろす。
桜は落ち着かない様子で店内を見回し、胸の奥が小さく震えているのが伝わってきた。
その横顔を盗み見ながら思った。
ーーやっぱり、ここに連れてきてよかった。
新しい世界に触れる彼女の表情が、自分にとっても新鮮で、眩しかった。


