桜吹雪が舞う夜に



玄関を開けると、温かい灯りが迎えてくれた。
コートを脱ぐ間もなくリビングに入ると、日向さんが顔を上げる。

「……寒かっただろ。風呂、良かったら沸いてるから入……」

言葉を最後まで聞く前に、堪えきれなくなった。
駆け寄り、彼の胸に顔を埋める。

「……桜……?」
驚いたように名を呼ぶ声が耳に落ちる。

しばらく沈黙のまま、彼の鼓動だけを聞いていた。
やがて小さく口を開く。

「……この間、日向さんに言われた将来のこと。診療科とか、子供とか」
声は震えていた。
「すみません。私、現時点であなたに約束できることは、何もないんです。

……ごめんなさい。子供で、あなたが欲しいと思うものを何一つ私は提供できないのかもしれない」

彼の胸元を握りしめながら、必死に言葉を続ける。

「……それでも、一緒にいてくれますか」

その問いに、日向さんの腕がほんの少し強く私を抱きしめ返した。
静かな夜の中で、彼の呼吸と心臓の音がすぐそばにあった。

「……桜」
低い声で、名前を呼ぶ。

「……子供だったのは俺の方だ。不安で、まだ若い君の将来を縛ってでも約束を欲しがった」

日向さんは苦しげに目を伏せ、それでも真っ直ぐな声で続ける。

「未来がどうなるかなんて、誰にも分からない。俺だって、自分の望む形を最後まで貫ける保証なんかない」
一瞬、言葉を区切り、ゆっくりと続ける。

「……それでも。君が“今一緒にいたい”と思ってくれるなら、俺に断る理由なんてない」

顔を上げると、彼の瞳には厳しさではなく、ただ揺るがない温かさが宿っていた。
私は唇を噛み、涙をこらえながらも小さく頷いた。

夜は静かで、時計の針の音すら遠くに消える。
二人の間には約束も不安も抱えながら、それでも確かに「今ここにいる」ことだけが真実として残っていた。