桜吹雪が舞う夜に



勉強会が終わったあと、廊下に出た瞬間だった。

「桜」

低い声に呼び止められ、思わず足が止まる。
振り返ると、日向さんがまっすぐこちらを見ていた。
その眼差しの鋭さに、胸がひやりとする。

「……はい」
笑ってごまかそうとしたけど、声がわずかに震えた。

「お前、徹夜しただろ」
即答。迷いのない断言。

(……やっぱり、気づかれてた)

慌てて首を振る。
「ちょっとだけです。……寝不足なんて、誰でもありますから」

「桜」
名前を呼ばれただけで、言い訳が喉に詰まる。
日向さんの声は、低いのに、不思議と逃げ道を塞ぐような力があった。

「顔色も、手の震えも、視線の泳ぎ方も。俺には全部わかる。……今のお前は、限界ぎりぎりだ」

図星すぎて、返す言葉が見つからない。
ただ視線を落として、強く唇を噛んだ。

「……日向さんだって、徹夜しても平気そうにしてるじゃないですか」
気づけば、拗ねた子供みたいな言葉が口を突いていた。

彼は一瞬黙ってから、深く息を吐いた。
「俺と比べるな。俺はもう何年も無理を積み重ねて、身体も心も慣れてしまってるだけだ。……それが正しいことだなんて、一度も思ったことはない」

「……」

「桜。俺はお前に、俺と同じ道を歩けなんて言った覚えはない。追いかけて潰れるくらいなら、立ち止まってくれた方がいい」

視界がじんわり滲んだ。
止めようとしても、涙がにじむ。

(……やっぱり、見透かされてる)

どうしても強がりきれなくて、小さく首を縦に振るしかなかった。

「……すみません」

「謝るな。……頑張りすぎて倒れることに、意味はない」

落ち着いた声だった。
でもその優しさが、余計に胸に刺さった。

(……そんなの、分かってるのに)