「……あの。日向さんって」
少し間を置いてから、桜が思い切るように声を出した。
「付き合ってる、こと。周りに知られたくないですか」

視線を遠くに投げていた俺は、その問いに小さく息を止め、ゆっくりと彼女のほうへ振り向いた。
「……あぁ。いや、いいよ」
声が自分でも驚くほどあっさりしていた。
「別に、話したければ話して。俺も特に親しい人には、普通に話すつもりだから」

桜は安心したように小さく頷く。けれどまだ視線は落ちたままで、何か言葉を探しているようだった。

「それとも」わざと軽く笑みを浮かべて、からかうように言った。
「秘密にしたかったか?」

「いえ……」慌てて顔を上げる。
「ただ……日向さんって、噂になったりするの、嫌なのかなって」

「……まぁ、正直」カップの縁を人差し指でなぞりながら、ゆっくり答える。
「噂話の標的になるのは、遠慮したいところだけど」

そこまで口にして、思わずふっと溜息が漏れた。
「でも、それで君と一緒にいることまで隠す気はないよ」

一瞬だけ、彼女の頬がわずかに紅潮するのが見えた。
その小さな変化に、胸の奥が温かくなる。
自分の言葉が、彼女の心に確かに届いたのだと分かる瞬間だった。

「……ありがとうございます」
桜は俯きながら髪を耳にかけ、声を震わせないように努めているのが伝わった。
その仕草を見て、胸が締め付けられるように愛しくなる。
ーー俺は、やっぱりこの人といることを誇りに思いたい。

つい先月まで、付き合うことすら想像していなかった。
名前のように純粋で潔白で。真剣に夢を追おうとする彼女を、応援できるだけでいいと思っていた。

……それなのに、こうやって隣にいることを許されるなんて、何で幸せなんだろう。

先のことはわからない。
でも、彼女を同じだけ幸せにできるよう、心に願った。