4月。あの日、桜と付き合いはじめて、1週間が経った頃だった。
「お疲れ様。大学、そろそろ慣れたか?」
待ち合わせた大学近くのカフェで、そう声をかけながら、俺は彼女の顔色をさりげなく探った。
「まだ全然。考えなきゃいけないことが多いです。履修とかサークルとか……」
カップの縁を指先でなぞりながら、ため息混じりにこぼす桜。
その何気ない仕草すら、妙に目に残った。
桜の机の上には、サークル紹介の冊子や履修要項、先輩からもらったらしいメモ用紙が山のように広がっていた。
その光景を見ただけで、胸の奥に懐かしい感覚がふっと湧き上がる。
「あぁ、大学ってこうだったな……」
自分が同じように資料と格闘していた頃を思い出し、少し遠い目をした。
「楽しみだな。これから」
気づけば声に出していた。自然と口調が柔らかくなる。
「……興味あるサークルとか、あった?」
桜は冊子をめくりながら、真剣に目を走らせていた。
「うーん……運動部はちょっと大変そうで。文化系なら合唱とか……あと、救急救命サークルっていうのがあって。ちょっと気になりました」
「救命か」思わず笑みが漏れる。
「悪くないな。実習で役に立つ知識も得られるし、先輩との繋がりも作れる。……結構おすすめだよ」
桜はぱっと顔を上げ、興味深そうに身を乗り出してくる。
「そうなんですか?」
「ただな……どこに入ったって、最初は全部手探りだ」
そう言いながら、自分が一年のとき幾つものサークルを冷やかして回ったことを思い出して苦笑した。
「無理に絞る必要はない。いくつか顔を出して、実際にやってみて楽しいと思える場所を選べばいいんだ」
桜は冊子を胸に抱き、少し安心したように笑った。
その笑顔があまりに無邪気で、胸の奥にまた別のざわめきが広がる。
守りたいと思う気持ちと同時に、こんなにも誰かの未来に目を細める自分に、少し戸惑いさえ覚えた。
「医学部って、部活とかも別ですよね。全学のじゃなくて。あれに入るメリットってなにかあるんですか?」
「基本的には医学系のサークルに入る人が多いんじゃないかな。運動部だったら医学生限定の大会があったり……」
少し考えながら答える。
「あと、現実的には試験の過去問が手に入りやすいから」
「へぇー。初めて知りました……」
目を丸くして笑う顔が、どうしようもなく幼い。
その幼さに、無防備に惹かれてしまう。
「……日向さんは?学生時代、部活とかやってましたか?」
「聖書研究会。俺は大学のサークルより、高校生とロックバンド組んでてそっちに割と集中してた。……三年間だけだったけど」
「え、高校生と?何でですか?」
「それは……まぁ、誘われたから。ボーカルの声に一目惚れしたんだ」
昔を思い出して、思わず小さく笑ってしまう。
「へぇ……ロックを聴いてる日向さんも、弾いてる日向さんも、なんか想像できないな」
目を細める仕草が、彼女なりに懸命に想像している証拠だった。
「普通に聴くのも弾くのも好きだよ」
俺は肩をすくめ、視線を逸らさずに言った。
「今度、ライブハウスとか行こうか。一緒に」
一瞬、驚いたように瞬きをして、それから小さく頷く桜。
頬がわずかに赤らんでいくのを見て、胸の奥が熱くなった。


