書くことは私の秘密です

「じゃあ、行きましょうか」
 高田くんが席を立った瞬間、私は、「あ」と声を出した。
「どうかしましたか?」
「忘れてた」
「何をですか?」
「映画のチケットのお金」
「ああ、それくらいいいですよ」
「ダメ、ダメ。こういうのはしっかりしないと」

 私はそう言い、テーブルの上に千円札一枚と五百円硬貨を一枚置いた。
 高田くんは何度も、「本当にいらないですよ」と口にした。
 が、私が決してお金を引っ込めなかったので高田くんはお金を財布にしまった。

 喫茶店での会計は高田くんが行った。
 喫茶店の出入り口を出た時、高田くんに千円札を差し出す。
 高田くんが首をかしげる。

「なんのお金ですか?」
「喫茶店のお金」
「いらないですよ」
「私、こういうのきっちりしないと気が済まないの」
「加藤さん、もしかして今日の支払いを全部、割り勘にするつもりですか?」
「割り勘というか、自分の分は自分で支払うつもりだけど」

 私は当然のようにうなずいた。

「僕、今日は加藤さんとのデートのつもりで来たんです」

 自覚はしていたが、改めて、「デート」と言われると緊張する。

「デート代は男が払うものですよね? これでも多少はお金を持ってきたんですよ?」

 私はひとと食事などをする時、必ず個別精算にする。
 おごったり、おごられたりはしない。
 自分の食べた分は自分で払う。
 学生の時からそうだ。
 そうしたほうが気持ちがいいからだ。

 今日の高田くんとのデートも別会計のつもりで来た。
 昼食のラーメンは食券機で買ったので自分の財布から支払った。
 映画館で飲食したコーラもポップコーンも自分で払った。
 映画のチケット代も手渡したのだから、喫茶店代も支払うのが当たり前だと思う。

 今日は高田くんとのデート。
 格好悪いところは見せられない。
 そう思って、私も普段より多めに紙幣を財布に入れてきた。
 前日、仕事が終わってからコンビニのATMでお金を下ろしてきたのだ。
 だから財布に余裕はある。

 高田くんが私の顔をじっと見る。
 一瞬、顔に何かついているのかと不安になるほど、凝視された。

「今日、加藤さんは綺麗です」
「え?」
「洋服も綺麗ですが、顔も綺麗です」
「何を言ってるの?」
「加藤さんは会社ではほとんど化粧をしてませんが、今日は化粧をされてますよね?」
「うん」

 そのとおりだった。
 私は会社では化粧をしない。
 リップクリームを唇に塗る程度だ。

 しかし、今日はシャワーを浴び、全身と顔を乾かした後に化粧をした。
 化粧といっても眉を整え、顔全体に薄くファンデーションを叩き、口紅を塗っただけだ。
 本格的な化粧といえない。
 デート前、同年代の女性ならもっと念入りな化粧をするだろう。

「普段の加藤さんでもじゅうぶん綺麗ですが、化粧をした加藤さんはもっと綺麗です」
「あ、ありがとう」
「化粧って時間もかかりますが、お金もかかりますよね?」
「お金?」
「はい。口紅とかチークとか」
「今日、チークは使ってないよ」
「とにかく、男が普段使わないものに、女性は多めにお金を使いますよね。だから、デートの時は男がお金を出すべきだと思うんです」

 やっと高田くんの主張したいことがわかった。
 デートをする時、女性は身だしなみにお金がかかる。
 それゆえデート代は男性が出すべきだ、と言いたいらしい。

 少々古い考え方だが嫌いではない。
 むしろ、女性を大切にする考え方で好感が持てる。

 私は高田くんがかわいく思えてきた。
 笑いがこぼれる。

「高田くん、考え方が古いよ」
「そうですか?」
「私の化粧は化粧って呼べないから大してお金がかかってないよ。それに、最近は化粧する男性もいるらしいよ」
「僕は化粧はしません」
「わかってる。でも、そんなふうに思ってくれるなんて嬉しいな」
「僕だって格好つけたいんです。だからそれは受け取れません」

 高田くんは私が手にしている千円札を拒んだ。
 私は素直に甘えることにした。

「わかった。じゃあ、ご馳走になるね。ありがとう」
「はい。それから夕飯も僕が支払いますからね」
「うーん、わかった」
「僕が払うからといって遠慮はしないでくださいよ」
「はい、はい。わかったよ」

 私が返事をすると高田くんは満足そうな笑顔を浮かべた。
 ひとにおごってもらう。
 おごってもらうと、その人に気後れするようで行ってこなかった。
 が、実際に高田くんにおごってもらうと特段に悪い気はしなかった。

 相手が高田くんだからかもしれない。

「じゃあ、駅方面へ歩きましょうか。何か食べたいお店が見つかったら教えてください」

 私は千円札を財布にしまうと、高田くんとともに駅の方角へと歩き出した。

「ここがいいな」

 映画館と駅の中間地点の交差点で私は足を止めた。

「僕がお金を出すからって遠慮してないですか?」
「まさか。本当に食べたいんだ」
「お昼に見たんですけど、駅の近くにイタリアンの店とかありましたよ?」
「私、ああいう堅苦しい店は好きじゃないんだよね」
「そういう僕もあまり入ったことはありませんね」
「じゃあ、ちょうどいいじゃない」
「わかりました」

 高田くんは苦笑いすると、交差点前にある回転寿司屋へと歩みを進めた。

 回転寿司屋に入ってから一時間半後。

「もうダメ、お腹いっぱい」

 ボックス席のテーブルの上には三十を超える皿が積み上げられていた。

「けっこう食べましたね」

 回転寿司屋に入った高田くんと私はタッチパネルで次々と商品を注文した。
 寿司は皿に載ってふたりの横を流れるレーンによって運ばれた。
 高田くんと私は交互にタッチパネルに触れ、注文し、レーンの上の皿をテーブルに運び、寿司を口に入れた。

 一時間半もするとテーブルは皿でいっぱいになった。

 高田くんがゆっくりとお茶を飲みながら満足そうにテーブルの上を見る。
 私はタッチパネルを触る。

「今、『お腹いっぱい』って言いませんでした?」
「甘いものは別腹なの」

 そう言いながら私はタッチパネルの『デザート』の項目に触れる。
 高田くんは軽くお腹をなでた。

「すごいですね。僕は水以外、入りませんよ」

 私はモンブランを注文した。
 高田くんは本当にお腹が満たされたらしく、それ以上注文しなかった。

 レーンに流されたモンブランを受け取り、茶色のクリームをスプーンですくおうとした時だった。
 高田くんがつぶやくように言う。

「今日は本当に楽しい一日でした」
「それは私もだよ」
「いえ、僕のほうが楽しんだと思います。加藤さんがこんなにも楽しい人だとは思いませんでした」
「じゃあ、どんな人だと思ってたの?」
「いつも仕事に真面目で、ちょっとミステリアスな人です」
「ミステリアスはいいふうに言いすぎじゃない? 平たく言えば何を考えてるわからない人でしょ?」
「ミステリアスですよ。まさか小説を書いてるとは思いもしませんでしたもの」

 高田くんとこうしてプライベートで会うことになったのも、自作小説がきっかけだ。
 あんなへんてこな小説でも高田くんは面白い、と言ってくれた。

 私はモンブランを一口だけ口に運ぶ。

「私は高田くんの存在に感謝だな。まさか自分のために書いた小説を他人に読まれるとは思ってなかった。だから、『面白い』と言ってくれて嬉しかったよ」
「本当に面白かったですよ。いろいろと勉強にもなりましたし」
「勉強になるような描写があったかな?」

 私が笑ったのに対して、高田くんは真剣な顔つきだった。

「ありましたよ。女性ってこんなふうに男性のことを見てるんだなって勉強になりました」
「まあ一人称視点だしね」
「それにセリフも勉強になりました」
「セリフ?」
「はい。こんなセリフを言えるとロマンチックなんだなって」
「小説だからね。実際に言葉にすると恥ずかしいことばかりだよ」
「恥ずかしくても言葉にすることが大事なんだな、と思いましたよ」
「そうかな?」

 高田くんは真っ直ぐな視線を向けてくる。
 私はなんだか恥ずかしくなって急いでモンブランを食べた。

 回転寿司屋の会計は高田くんが支払ってくれた。
 店舗から出ると私はやや大袈裟に頭を下げた。

「ごちそうさまでした」

 高田くんはレシートを一瞥すると苦笑いした。

「本当は回らないお寿司屋さんでもよかったんですけどね」
「私は回ってるほうが気楽だな。値段を気にせず注文できるから」
「加藤さんらしいですね」

 回転寿司屋から駅まで徒歩で10分と少しだ。
 もうすでに日が暮れていて暗い。
 歩いて気がついたことがある。
 歩道を歩く際、高田くんは常に車道側を歩いてくれている。

(優しい)

 優しさに気がつくと、高田くんが愛おしくなってくる。
 高田くんの一部に触れたい気持ちが込み上がってくる。

(手に触りたい)

 左隣を歩く高田くんの手を掴みたい衝動にかられる。
 が、我慢する。

(高田くんとプライベートで会うようになったのは先週の金曜日だ。しかも、あの日は小説を見せて終わった。デートというより単にふたりで会っただけだ)

 付き合いが浅いのに手を繋ぎたいと思うなんて、差し出がましい女だと自分のことを思った。

 駅に到着し、改札口の前で私たちは足を止めた。

「今日はとっても楽しかったよ。ありがとう」

 と挨拶をしようとした時だった。
 高田くんが提案をした。

「最寄り駅まで送りますよ」
「え?」
「もう暗いですし、最寄り駅まで付き添います」
「そんな悪いよ」
「大丈夫です。今日、さよならをするのは加藤さんの最寄り駅と決めていたんです」
「小さな子供じゃないんだから」
「自宅までついて行くことはしませんから。駅からバスですよね?」
「うん、そうだけど」
「じゃあ、最寄り駅まで送ります」

 私はその後も、「ひとりでも大丈夫だから」と断ったが、高田くんの意思は固かった。
 結局、高田くんに最寄り駅までついて来てもらった。
 高田くんと私は電車の箱に乗った。
 ふたりで並んで座席に腰掛ける。

 男の人に最寄り駅まで送ってもらうのは生まれて初めての経験だった。
 隣に座る高田くんを見ると、笑顔を向けてくる。
 私は何度も、
「ありがとう」
 と言った。
 高田くんは、
「大袈裟ですよ」
 と笑いながら返した。

 電車が到着した。
 高田くんと私はホームに立った。
 改札口までふたりして歩く。

 改札口から出る手前で私は歩みを止めた。
「ここまでついて来てくれてありがとう」
「バスが来るまで何分くらいありますか?」
 私はスマホで時刻を見た。
「15分くらいかな?」
「じゃあ、バス停まで送りますよ」
「いいよ。ここでじゅうぶんだよ」
「駅前とは言え暗いです。見送らせてください」

 押し問答になりそうだったので、私は折れることにした。

「じゃあ、バス停までお願い」
「わかりました」

 高田くんが笑顔でうなずいた。

 改札口を抜け、20メートルほど先にバス停がある。
 バス停の前にはすでに5人の人が並んでいた。
 高田くんと私は最後尾に並んだ。

 コンビニが近くにあり、そこから漏れる光があるのだが、バス停の周囲は改札口付近よりも暗い。

 私は月曜日から金曜日までこのバス停を利用している。
 ほぼ毎日使っているためか、暗さには慣れていた。

 それでも私のことを気遣ってここまで来てくれた高田くんに感謝した。
 高田くんは優しさを行動で示してくれたのだ。

 それに、自分がとても大切にされているようで嬉しかった。
 乙女チックに表現すればお姫様のように扱われているようで幸せだった。

 15分後。
 バスが来た。
 バス停前で並んでいた人がバスに乗り込んで行く。
 私は鞄からパスケースを出した。
「今日は本当にありがとう。こんなところまで送ってくれてありがとうね」
「いえ、当然ですよ」
「また月曜日に会社でね」
「はい!」

 私はバスのステップを踏んで、バスに乗り込む。
 席に座ると窓をのぞき込む。
 高田くんがバス停の付近で手を振っている。
 私も手を振る。
 高田くんはバスが発車しても手を振り続けてくれた。
 バスに揺られながら私は幸福な気持ちになった。

 帰宅してシャワーを浴びてテレビをぼんやりと見ているとスマホが鳴った。
 送信者は高田くんだった。

〈今日はとても楽しい一日をありがとうございました!プライベートで加藤さんと映画や食事、お話ができてとても楽しかったです。またお誘いしてもいいですか?〉

 私は夢心地でスマホを操作した。

〈こちらこそ、素敵な日をありがとう。映画、とてもよかったよ。それにお寿司もごちそうさまでした。最寄り駅まで送ってくれてありがとう。嬉しかった。高田くんってとても紳士なんだね。また誘ってね。〉

 私がメッセージを送るとすぐに既読マークが付いた。
 その後、かわいい犬のスタンプが送られてきた。
 犬の隣には、「ありがとうございました」という文字がある。
 私も数少ない手持ちのスタンプの中から、「ありがとうございました」の文字があるものを探し、送信した。

 高田くんから再びかわいい犬のスタンプが送られる。
 今度は、「おやすみなさい」の文字が入っている。
 私も、「おやすみなさい」のスタンプを押した。

 私はとてもいい気分だった。
(今日はとてもよく眠れそう)
 そう思った。