書くことは私の秘密です

 翌週の月曜日。
 私は普段通りオフィスで働いた。

 自分のデスクに座り、仕事をする。
 仕事の合間にフロア全体を見渡す。
 視線が高田くんのいる部署の方へ向かってしまう。

 高田くんが所属する部署は社外の人間と接することが多い。
 そのため、季節を問わずきっちりと背広を着ている。
 高田くんもいつもワイシャツの上にジャケットを羽織っていた。

 社内において高田くんと私の関係は以前と変わらなかった。
 すれ違った時に会釈をする程度。
 雑談などは一切しない。

 私がひとりでお昼ごはんを食べている時も、高田くんから話しかけてくることはなかった。

 業務が終わった。
 私は帰ろうと身支度をした。

 会社の建物から一歩外に出たとき。
 ひとりの背広姿の男性が近付いて来た。
 高田くんだった。

「お疲れ様です」

 高田くんが小さく会釈をした。
 私も挨拶を返す。

「お疲れ様」

 高田くんが駅とは逆の方向、喫茶『アオイ』の方へ目線を送った。

「今日は『アオイ』に行かないんですか?」
「いつも週末に行ってるの」
「ということは、週末に『アオイ』に行けば加藤さんと会えるんですね」
「……」

 私が黙ると、高田くんは誤魔化すように苦笑いをした。

「行きませんよ。きっと加藤さんはおひとりで黙々とパソコンに向かって書くのが好きなんでしょうから」
「何か用?」
「実は、先週、忘れていたことがありまして」
「なに?」
「小説が完成したら見せてくれるって約束しましたけど、いつ完成するかわからないじゃないですか。だから、連絡用にLINEを交換したいな、と思いまして」

 小説を書いていることが高田くんに発覚した日、喫茶『アオイ』を先に出たのは高田くんだった。
 『アオイ』を出る前、高田くんは何度もスマホを見てソワソワとしていた。
 何かを言いたそうにしていた。

 一方、私は、そんな高田くんに構うことなくノートパソコンに向かった。
 目の前に高田くんが座っているのに自作小説の続きを書き始めたのだ。

 本当は、目の前に人がいるのに小説を書くという行為は緊張した。
 普段はひとりでする作業だからだ。

 私がひとり黙々とキーボードを叩いていると、高田くんは、

「小説の続き、楽しみにしてます。今週もお疲れ様でした」

 と、席を立った。

 高田くんが喫茶『アオイ』を出たあとから30分後、私も会計を済ませて外に出た。
 無性にお腹が空いていた。
 駅の方へ行く前に喫茶『アオイ』の近くにあるラーメン屋に入り、大盛りのラーメンを食べた。

(そういえば『アオイ』から出る時、高田くんは何かを言いたそうだった。なるほど、LINEの交換をしたかったのか)

 と思い出しながら、私はポケットからスマホを取り出した。

「LINEの交換ね。いいよ」
「ありがとうございます!」

 こうして高田くんと私はLINEを交換したのだった。

 その日の夜。
 夕食の準備をしていると、高田くんからLINEが入った。

〈今日も一日、お疲れ様でした!小説の完成を楽しみにしてますね!〉

 文章のあとにかわいい犬のスタンプが送られてきた。

 私は、

〈お疲れ様です。素人の書くものなので、あまり期待はしないでね〉

 と返した。

 夕食を食べ終えて、私はひとりでノートパソコンの前に向かった。
 小説の続きを執筆する。

 先週の金曜日、高田くんの目の前で書いた文章は削除した。
 目の前に人、それも高田くんという会社の同僚がいることで緊張していた。
 緊張のために文章のリズムがおかしくなっていた。
 一つひとつの文章が雑になっている気もした。
 書き直すために文字の列を一気に消した。

 土日はノートパソコンに向かわなかった。
 溜まった洗濯をしたり、部屋の掃除をしたりした。
 その他の空いた時間は大好きな恋愛小説を読み返して過ごした。

 二日ぶりにノートパソコンに向かって文章を打ち込んだわけだが、なかなか思うように進まなかった。
 どうしても高田くんの顔が脳裏に浮かんでしまう。

(今まで私は漠然と文章を打ってきた。しかし、今回、高田くんという読者ができた。第三者が読んでも理解できるように文章表現を考えなくては)

 キーボードを打つスピードが今までより格段に遅くなっていた。

 私はプロではない。
 締め切りなどないのだ。
 納得いくまで、書いては消し、書いては消しを繰り返していいのだ。

 私は焦ることなく、丁寧に白い画面に文字を打ち込んでいった。