――
私は父の捜索隊に捕らえられた。
故郷の屋敷に連れ戻された私は、豪華な自室に閉じ込められた。
そして、あの人は暗い地下の牢屋に閉じ込められた。
父は貴族の娘をたぶらかしたという罪で、召使いの男を罰に処すると告げた。
永遠に牢屋の鎖に繋ぐ、という罰に。
贅を尽くした椅子のそばに立つ私に、父が言った。
「貴様のような身分違いの恋は許されぬ」
「身分など、愛の前では意味がありません!」
私は生まれて初めて父に激しく反抗した。
「父様が私との縁を切るとおっしゃるのなら、それでも構いません。私は彼のいない貴族の生活よりも、彼と生きる貧しい村の生活を選びます」
「馬鹿なことを言うな!」
父は激怒し、私を自室に閉じ込めた。
私はただひとり泣くしかなかった。
数日後。
屋敷の門前が騒がしい。
泣き腫らした目をこすりながら、私は自室の窓から門前を見た。
屋敷の門前には多くの人がいた。
見知った顔ばかりだった。
それは私と愛した男が逃げ込んだ先の村の住人たちだった。
男の幽閉をどうやって知ったのかはわからないが、男を許す嘆願のため、あの村から歩いて来たのだ。
村から屋敷までは相当の距離がある。
(あんなに遠くの村から……)
村人たちは時間をかけてここまで来てくれたのだ。
屋敷の門前で村人たちが口々に叫ぶ。
「どうか彼をお許しください!」
「先生の旦那さんを解放してください!」
「学問を教え、われわれの村を明るくしてくれたのは、あの男と娘さんです!」
村人たちの嘆願は強く、大きい。
翌日、窓から外を見ると抗議する人間の数が増えていた。
小さな村に住む人たちの人数を超えている。
さらに次の日になると門前で声を上げる人々の数が倍増していた。
その次の日はさらに倍の数の人間が屋敷の前で大声を上げていた。
中には馬に乗っている人もいた。
この国では騎乗したまま口を開くことを、平民の身分では禁止している。
(いったいあの人たちはどこから来たのだろう?)
不思議に思っていると父が部屋に入って来た。
「あやつら、この街と城下の人間を巻き込み始めた。屋敷の外にいるのは街の人間と貴族の若者だ」
そこには威厳のある父の姿はなかった。
やつれ、疲れ果てた姿があった。
父が口に手を当てて窓から門前を見る。
「あそこにいるのは公爵家のご長男だ。あそこにいるのは王様のいとこに当たる方だ」
父は震えていた。
どうやら私とあの人との恋を成就させたいのは平民だけではないらしい。
貴族にも同じ考えを持つ人がいるようだ。
父は身体を小刻みに震えさせながら部屋から出て行った。
次の朝。
私の愛する人が部屋にいた。
私の自室に。
彼の両手首には痛々しい跡があった。
それは鎖の跡だった。
私はその跡を手でさすった。
「こんなに腫れて。さぞ痛かったでしょ?」
「きみのことを想えば、こんな傷はたいしたことなかったさ」
彼は解放された。
平民のみならず、貴族の若者までもが出張った抗議に、父が折れたのだ。
「この屋敷から早く出ましょう。今なら屋敷の外の人と一緒にあの村に帰れる」
「ああ、そうしよう」
地下の牢屋にいた彼にも外の人々の声が届いたようだ。
彼に抱きかかえられて私は屋敷の大門を出た。
そこには私たちを迎える多くの人たちがいた。
「やった! 解放されたぞ!」
「貴族のお嬢様と平民のカップルの誕生だ」
「我が国はじまって以来のことだ!」
私と彼は祝福の言葉を浴びた。
国は私たちの結婚を正式に認めた。
ずっと慣習だった、貴族と平民という身分違いの婚姻禁止を撤廃したのだ。
私たちはこの国において、身分違いの恋が成就した第一号となった。
私と元召使いの男はかつて逃げ込んだ端の村で暮らすことにした。
贅を尽くした屋敷と違い、村での暮らしは困ることが多い。
が、ここには優しい村人と最も愛する人がいる。
「あなたが私の屋敷の召使いでよかった」
「今でも僕は君の従順な召使いだよ」
「あら、冗談はやめて」
「僕はいつだって本気だよ」
私たちはずっと幸せに暮らした。
ずっと、ずっと。
永遠に。
――
一段落ついたので、キーボードを打つ手を止めた。
画面を前にスクロールし、読み直しの作業に入る。
「志保、今日は何を書いてるの?」
名前を呼ばれて私はノートパソコンから顔を上げる。
目の前に座っている人物、貴之くんへと視線を移動させる。
貴之くんはSF小説の文庫本にしおりを挟んだ。
私たちがいるのは喫茶『アオイ』のふたり掛けの席。
金曜日の仕事上がり、私は喫茶『アオイ』で趣味の小説を書いている。
高田貴之くんという恋人を前にして。
私は貴之くんの質問に答える。
「以前書いたものをちょっと手直しをして変えてるの」
「以前ってどれくらい前?」
「半年くらい前」
「けっこう前の作品だね。見せてよ」
「やだ」
「なんで?」
「だって貴之くんは一度読んだ作品だから」
「手直ししてるってことは変更点があるってことでしょ? どこが変わったか気になるから見せてよ」
貴之くんが強引にノートパソコンの画面に触れた。
器用にディスプレイを自分のほうに向け、そこに映る文字を読み始めた。
「まったく、もう」
私は抗議の言葉を上げた。
が、本心では怒っていない。
いつか貴之くんに読んでもらおうと思っていたからだ。
ただ、まだまだストーリーと文章がうまく組み立てられてないので読んでもらうには早いと思っている。
ノートパソコンを取り上げられた私は貴之くんが読んでいた文庫本を手にした。
一ページ目から読み始めたが内容がさっぱりわからない。
表紙を見るとタイトルの横に「第二巻」と表記されている。
第一巻を読んでいないので理解できなくて当然だ。
私は文庫本を諦めて、ホットコーヒーのカップに口をつけた。
ホットコーヒーをすすりながら、断続的に画面を送る貴之くんをぼんやりと見た。
貴之くんがノートパソコンのディスプレイを睨み、次の文章を読むためにキーボード を叩く。
パチ、パチ、パチ。
静かにBGMが流れる喫茶『アオイ』の店内に、キーボードを打つ音が響く。
私はこの瞬間が好きだ。
貴之くんが私の小説を読むこの瞬間が大好きなのだ。
15分後、貴之くんがノートパソコンから視線を上げた。
「これは僕と志保が出会ったきっかけになった作品じゃないか」
「うん」
「結末を変えたのかい?」
「うん。やっぱりハッピーエンドがいいなと思って」
私は空になったコーヒーカップの縁を指でなぞった。
貴之くんと正式に付き合うことになって半年が過ぎた。
貴之くんの恋人になったあとも、私は小説を書き続けている。
金曜日の仕事上がりに喫茶『アオイ』に入り、小説を書くのも継続している。
私が『アオイ』で小説を書いている間、貴之くんは本を読む。
貴之くんが読むものはSF小説が多い。
しかし、私の勧めもあり、最近は恋愛小説も読んでいる。
女性視点の恋愛小説だ。
私も毛嫌いしていたSF小説を読むようになった。
ハードなものは苦手だが古典に区分けされているような作品は読んでいて面白い。
私が小説を書いていることは会社の人には秘密だ。
絶対に発覚してはならない。
なぜなら恥ずかしいからだ。
ひと月前、四作品目の恋愛小説を貴之くんに読んでもらった。
その際、貴之くんがおかしなことを言い出した。
「とてもいいものだから会社の人にも読んでもらおう」
私は必死になって止めた。
こんなものは恋人の貴之くんにしか見せられない、と強く説得した。
貴之くんは会社の人への公開を勧めた。
声を大にして勧めた。
私が、
「裸の写真を会社の人に見せることができる?」
と言って、ようやく納得して引き下がってくれた。
小説を書いていることは隠しているが、貴之くんとの関係は隠していない。
私の会社は堅いが思想は古くない。
社内恋愛禁止、などというルールはない。
会社内での私は相変わらずだ。
ひと様から見ると無愛想だろう。
素敵な恋人ができたからといって、性格が変わるわけではないらしい。
貴之くんと会社内ですれ違うときも、軽く挨拶を交わす程度だ。
貴之くんと私は所属する部署が違うので、仕事が終わる時間が一致することが少ない。
金曜日の仕事上がりに喫茶『アオイ』に入る時間もほとんどがバラバラだ。
私が先に席に座っていることもあるし、貴之くんが先に座っていることもある。
運よくふたり同時に仕事が終わり、並んで『アオイ』に向かうこともある。
駅とは反対の方角へと歩く貴之くんと私を見て、不審に思う同僚がいるかもしれない。
貴之くんとのことは内緒にしているわけでも、公表しているわけでもない。
勘のいい人ならば、私たちの関係に気づくだろう。
会社の人に、
「加藤さんと高田くんって付き合ってるの?」
と聞かれたら、
「そうです」
と素直に答えるつもりである。
この日は貴之くんが喫茶『アオイ』に到着し、席に座っていた日であった。
貴之くんがノートパソコンのディスプレイを私に向けて言う。
「僕は前の結末が好きだったけどな」
貴之くんが視線を私の顔に送った。
私は反論する。
「あれは悲しい結末じゃない」
「それがいいんじゃないか」
「ふたりの思い出の作品だから幸せな結末にしたいの」
「志保は男女のことがわかってないなあ。ハッピーエンドがすべての恋じゃないんだよ」
「なによ、知った口を利いて。貴之くん、そんなに恋愛してないクセに」
「そういう志保だって恋少なき女じゃないか」
「私はたくさん恋愛小説を読んできたの」
「それはフィクションだろ?」
「恋愛小説を読むと、恋愛経験値が溜まるの」
「なんだよ、それ」
貴之くんと私はお互いを見つめた。
相手の目をじっと見て、何も言わない。
無言の時間。
その時間は数十秒ももたなかった。
どちらからともなく笑い出す。
「ハハハ」
「ハハハ」
貴之くんが笑いを止めてドリンクを一口飲んだ。
「明日はどこに行く?」
喫茶『アオイ』では小説を書いたり、読んだりするだけではない。
翌日の土曜日の相談事をするのも恒例だ。
「ボウリング!」
私は叫んだ。
「僕、ボウリング苦手なんだよな」
「そうなの?」
「毎回、ガーターに苦しめられるんだ」
「やり方を知らないんだね。明日、私が教えてあげる」
「お手柔らかにお願いします」
ふたりの席に影が射す。
「すみません、そろそろお時間です」
店員だった。
喫茶『アオイ』は午後8時で終業だ。
毎週、店員にこのセリフを言わせてしまっている。
貴之くんと私は急いで席を立つと会計を済ませた。
喫茶『アオイ』を出ると貴之くんが叫んだ。
「腹減った! 志保、なにか食べに行こう」
「ラーメン!」
私は間髪入れずに答えた。
「本当に好きだな、ラーメン」
「私が発案したから奢るよ」
「じゃあ大盛りにするか」
「私も」
貴之くんが手を繋いできた。
私は素直に応じる。
ふたりの手が絡まる。
貴之くんと私は歩幅を一緒にして歩き出した。
貴之くんが車道側を歩くかたちで。
私は父の捜索隊に捕らえられた。
故郷の屋敷に連れ戻された私は、豪華な自室に閉じ込められた。
そして、あの人は暗い地下の牢屋に閉じ込められた。
父は貴族の娘をたぶらかしたという罪で、召使いの男を罰に処すると告げた。
永遠に牢屋の鎖に繋ぐ、という罰に。
贅を尽くした椅子のそばに立つ私に、父が言った。
「貴様のような身分違いの恋は許されぬ」
「身分など、愛の前では意味がありません!」
私は生まれて初めて父に激しく反抗した。
「父様が私との縁を切るとおっしゃるのなら、それでも構いません。私は彼のいない貴族の生活よりも、彼と生きる貧しい村の生活を選びます」
「馬鹿なことを言うな!」
父は激怒し、私を自室に閉じ込めた。
私はただひとり泣くしかなかった。
数日後。
屋敷の門前が騒がしい。
泣き腫らした目をこすりながら、私は自室の窓から門前を見た。
屋敷の門前には多くの人がいた。
見知った顔ばかりだった。
それは私と愛した男が逃げ込んだ先の村の住人たちだった。
男の幽閉をどうやって知ったのかはわからないが、男を許す嘆願のため、あの村から歩いて来たのだ。
村から屋敷までは相当の距離がある。
(あんなに遠くの村から……)
村人たちは時間をかけてここまで来てくれたのだ。
屋敷の門前で村人たちが口々に叫ぶ。
「どうか彼をお許しください!」
「先生の旦那さんを解放してください!」
「学問を教え、われわれの村を明るくしてくれたのは、あの男と娘さんです!」
村人たちの嘆願は強く、大きい。
翌日、窓から外を見ると抗議する人間の数が増えていた。
小さな村に住む人たちの人数を超えている。
さらに次の日になると門前で声を上げる人々の数が倍増していた。
その次の日はさらに倍の数の人間が屋敷の前で大声を上げていた。
中には馬に乗っている人もいた。
この国では騎乗したまま口を開くことを、平民の身分では禁止している。
(いったいあの人たちはどこから来たのだろう?)
不思議に思っていると父が部屋に入って来た。
「あやつら、この街と城下の人間を巻き込み始めた。屋敷の外にいるのは街の人間と貴族の若者だ」
そこには威厳のある父の姿はなかった。
やつれ、疲れ果てた姿があった。
父が口に手を当てて窓から門前を見る。
「あそこにいるのは公爵家のご長男だ。あそこにいるのは王様のいとこに当たる方だ」
父は震えていた。
どうやら私とあの人との恋を成就させたいのは平民だけではないらしい。
貴族にも同じ考えを持つ人がいるようだ。
父は身体を小刻みに震えさせながら部屋から出て行った。
次の朝。
私の愛する人が部屋にいた。
私の自室に。
彼の両手首には痛々しい跡があった。
それは鎖の跡だった。
私はその跡を手でさすった。
「こんなに腫れて。さぞ痛かったでしょ?」
「きみのことを想えば、こんな傷はたいしたことなかったさ」
彼は解放された。
平民のみならず、貴族の若者までもが出張った抗議に、父が折れたのだ。
「この屋敷から早く出ましょう。今なら屋敷の外の人と一緒にあの村に帰れる」
「ああ、そうしよう」
地下の牢屋にいた彼にも外の人々の声が届いたようだ。
彼に抱きかかえられて私は屋敷の大門を出た。
そこには私たちを迎える多くの人たちがいた。
「やった! 解放されたぞ!」
「貴族のお嬢様と平民のカップルの誕生だ」
「我が国はじまって以来のことだ!」
私と彼は祝福の言葉を浴びた。
国は私たちの結婚を正式に認めた。
ずっと慣習だった、貴族と平民という身分違いの婚姻禁止を撤廃したのだ。
私たちはこの国において、身分違いの恋が成就した第一号となった。
私と元召使いの男はかつて逃げ込んだ端の村で暮らすことにした。
贅を尽くした屋敷と違い、村での暮らしは困ることが多い。
が、ここには優しい村人と最も愛する人がいる。
「あなたが私の屋敷の召使いでよかった」
「今でも僕は君の従順な召使いだよ」
「あら、冗談はやめて」
「僕はいつだって本気だよ」
私たちはずっと幸せに暮らした。
ずっと、ずっと。
永遠に。
――
一段落ついたので、キーボードを打つ手を止めた。
画面を前にスクロールし、読み直しの作業に入る。
「志保、今日は何を書いてるの?」
名前を呼ばれて私はノートパソコンから顔を上げる。
目の前に座っている人物、貴之くんへと視線を移動させる。
貴之くんはSF小説の文庫本にしおりを挟んだ。
私たちがいるのは喫茶『アオイ』のふたり掛けの席。
金曜日の仕事上がり、私は喫茶『アオイ』で趣味の小説を書いている。
高田貴之くんという恋人を前にして。
私は貴之くんの質問に答える。
「以前書いたものをちょっと手直しをして変えてるの」
「以前ってどれくらい前?」
「半年くらい前」
「けっこう前の作品だね。見せてよ」
「やだ」
「なんで?」
「だって貴之くんは一度読んだ作品だから」
「手直ししてるってことは変更点があるってことでしょ? どこが変わったか気になるから見せてよ」
貴之くんが強引にノートパソコンの画面に触れた。
器用にディスプレイを自分のほうに向け、そこに映る文字を読み始めた。
「まったく、もう」
私は抗議の言葉を上げた。
が、本心では怒っていない。
いつか貴之くんに読んでもらおうと思っていたからだ。
ただ、まだまだストーリーと文章がうまく組み立てられてないので読んでもらうには早いと思っている。
ノートパソコンを取り上げられた私は貴之くんが読んでいた文庫本を手にした。
一ページ目から読み始めたが内容がさっぱりわからない。
表紙を見るとタイトルの横に「第二巻」と表記されている。
第一巻を読んでいないので理解できなくて当然だ。
私は文庫本を諦めて、ホットコーヒーのカップに口をつけた。
ホットコーヒーをすすりながら、断続的に画面を送る貴之くんをぼんやりと見た。
貴之くんがノートパソコンのディスプレイを睨み、次の文章を読むためにキーボード を叩く。
パチ、パチ、パチ。
静かにBGMが流れる喫茶『アオイ』の店内に、キーボードを打つ音が響く。
私はこの瞬間が好きだ。
貴之くんが私の小説を読むこの瞬間が大好きなのだ。
15分後、貴之くんがノートパソコンから視線を上げた。
「これは僕と志保が出会ったきっかけになった作品じゃないか」
「うん」
「結末を変えたのかい?」
「うん。やっぱりハッピーエンドがいいなと思って」
私は空になったコーヒーカップの縁を指でなぞった。
貴之くんと正式に付き合うことになって半年が過ぎた。
貴之くんの恋人になったあとも、私は小説を書き続けている。
金曜日の仕事上がりに喫茶『アオイ』に入り、小説を書くのも継続している。
私が『アオイ』で小説を書いている間、貴之くんは本を読む。
貴之くんが読むものはSF小説が多い。
しかし、私の勧めもあり、最近は恋愛小説も読んでいる。
女性視点の恋愛小説だ。
私も毛嫌いしていたSF小説を読むようになった。
ハードなものは苦手だが古典に区分けされているような作品は読んでいて面白い。
私が小説を書いていることは会社の人には秘密だ。
絶対に発覚してはならない。
なぜなら恥ずかしいからだ。
ひと月前、四作品目の恋愛小説を貴之くんに読んでもらった。
その際、貴之くんがおかしなことを言い出した。
「とてもいいものだから会社の人にも読んでもらおう」
私は必死になって止めた。
こんなものは恋人の貴之くんにしか見せられない、と強く説得した。
貴之くんは会社の人への公開を勧めた。
声を大にして勧めた。
私が、
「裸の写真を会社の人に見せることができる?」
と言って、ようやく納得して引き下がってくれた。
小説を書いていることは隠しているが、貴之くんとの関係は隠していない。
私の会社は堅いが思想は古くない。
社内恋愛禁止、などというルールはない。
会社内での私は相変わらずだ。
ひと様から見ると無愛想だろう。
素敵な恋人ができたからといって、性格が変わるわけではないらしい。
貴之くんと会社内ですれ違うときも、軽く挨拶を交わす程度だ。
貴之くんと私は所属する部署が違うので、仕事が終わる時間が一致することが少ない。
金曜日の仕事上がりに喫茶『アオイ』に入る時間もほとんどがバラバラだ。
私が先に席に座っていることもあるし、貴之くんが先に座っていることもある。
運よくふたり同時に仕事が終わり、並んで『アオイ』に向かうこともある。
駅とは反対の方角へと歩く貴之くんと私を見て、不審に思う同僚がいるかもしれない。
貴之くんとのことは内緒にしているわけでも、公表しているわけでもない。
勘のいい人ならば、私たちの関係に気づくだろう。
会社の人に、
「加藤さんと高田くんって付き合ってるの?」
と聞かれたら、
「そうです」
と素直に答えるつもりである。
この日は貴之くんが喫茶『アオイ』に到着し、席に座っていた日であった。
貴之くんがノートパソコンのディスプレイを私に向けて言う。
「僕は前の結末が好きだったけどな」
貴之くんが視線を私の顔に送った。
私は反論する。
「あれは悲しい結末じゃない」
「それがいいんじゃないか」
「ふたりの思い出の作品だから幸せな結末にしたいの」
「志保は男女のことがわかってないなあ。ハッピーエンドがすべての恋じゃないんだよ」
「なによ、知った口を利いて。貴之くん、そんなに恋愛してないクセに」
「そういう志保だって恋少なき女じゃないか」
「私はたくさん恋愛小説を読んできたの」
「それはフィクションだろ?」
「恋愛小説を読むと、恋愛経験値が溜まるの」
「なんだよ、それ」
貴之くんと私はお互いを見つめた。
相手の目をじっと見て、何も言わない。
無言の時間。
その時間は数十秒ももたなかった。
どちらからともなく笑い出す。
「ハハハ」
「ハハハ」
貴之くんが笑いを止めてドリンクを一口飲んだ。
「明日はどこに行く?」
喫茶『アオイ』では小説を書いたり、読んだりするだけではない。
翌日の土曜日の相談事をするのも恒例だ。
「ボウリング!」
私は叫んだ。
「僕、ボウリング苦手なんだよな」
「そうなの?」
「毎回、ガーターに苦しめられるんだ」
「やり方を知らないんだね。明日、私が教えてあげる」
「お手柔らかにお願いします」
ふたりの席に影が射す。
「すみません、そろそろお時間です」
店員だった。
喫茶『アオイ』は午後8時で終業だ。
毎週、店員にこのセリフを言わせてしまっている。
貴之くんと私は急いで席を立つと会計を済ませた。
喫茶『アオイ』を出ると貴之くんが叫んだ。
「腹減った! 志保、なにか食べに行こう」
「ラーメン!」
私は間髪入れずに答えた。
「本当に好きだな、ラーメン」
「私が発案したから奢るよ」
「じゃあ大盛りにするか」
「私も」
貴之くんが手を繋いできた。
私は素直に応じる。
ふたりの手が絡まる。
貴之くんと私は歩幅を一緒にして歩き出した。
貴之くんが車道側を歩くかたちで。



