書くことは私の秘密です

「美味しいお肉ですね」

 高田くんがサーロインステーキをナイフで切り、器用にフォークで口に入れながら言った。

 5時間のカラオケを終えた私たちはカラオケ店から近いステーキ屋で夕食を摂っていた。
 力を込めて歌ったせいだろうか、お腹がとても空いていた。
 私の注文したチキンステーキもとても美味しい。

 ふたりで、「美味しい」を連呼しながら食事が進む。

 私は気分がよかった。
 高田くんも私もアルコールを飲んでいないが、リラックスした心地になる。
 疑問に思ったことを素直に高田くんに聞ける。

「私の小説、いつ暗記したの?」
「昨夜です。実は一夜漬けです」
「高田くんって学生の頃、演劇部とかに入ってたの?」
「入ってませんが。どうしてそう思ったんですか?」
「小説の中のセリフを言ったとき、とても感情がこもってたから」
「あれは自分のそのままの感情です」
「そうなんだ。いつあのセリフを使おうと思ったの?」
「電話をかけた日です。あの日、小説の中の言葉を使って告白しようと思いついたんです。言葉を間違えたくなかったので文章がほしくて、メールで送ってもらうことをお願いしました」

 思い返せばあの日のLINE通話は唐突だった。
 新しい小説は書けてますか? と聞いたかと思えば、小説の文章データの送信を要求された。

 それから初めてのデートで小説の話になったときも、高田くんは私の小説のセリフについて、「勉強になりました」と言っていた。
 「こんなセリフを言えるとロマンチックなんだ」とも言っていた。

 予兆はあったのだ。

 サーロインステーキを頬張りながら高田くんがおどけた声を出す。
 
「なんならもう一度、披露しましょうか?」
「やめて、やめて。カラオケボックスと違って、ここはほかにもお客さんがいるよ」
「冗談です。僕もほかのお客さんがいるところでは恥ずかしくてできません」

 高田くんはいたずらをした少年のように笑った。

「じゃあ、私も恥ずかしい質問をしようかな」
「なんでしょう?」
「私のどこを好きになったの? プライベートはともかく会社内では無愛想だって自分でもわかってるんだ」
「笑わないで聞いてくれますか?」
「うん、笑わない」
「絶対ですよ」
「うん、絶対」
「……顔、です」
「顔?」
「はい。入社して初めて加藤さんの顔を見たときから好きでした。一目惚れに近いのかもしれません」

 私は笑わなかった。
 いや、笑えなかった。
 男の人に外見を褒められたのが初めてだったからだ。

 私は容姿がよくない。
 自分でも美人でないことはわかっている。
 平均的な顔立ちより見栄えがしないこともわかっている。

 今、目の前にいる男性はそんな私の顔に一目惚れしたと言っている。
 にわかには信じられなかった。

 私は硬直してしまった。
 ナイフとフォークを持ったまま、固まってしまう。

 高田くんが申し訳なさそうな声を出す。

「外見から入ってしまって、すみません」
「ち、違うの。男性にそんなことを言われたの初めてだから戸惑ってるの」
「加藤さんはとても素敵ですよ? 今日の服もとてもお洒落でかわいいですし」

 この日も服装選びにはとても苦戦した。
 先週、私は持っている服の中でできる限りのお洒落をした。
 そのため、先週以上の組み合わせが思いつかず、かなり妥協をした。
 上は薄紫色のシャツだが下はジーンズだ。
 本当は女の子らしくスカートを履きたかったが、ちょうどよいものが見つからなかった。

 私はフォークでチキンステーキを固定し、ナイフを動かした。

「高田くんはお世辞が上手すぎるよ」
「本当に思ったことですが」

 チキンステーキを口に入れながら高田くんを見つめる。
 高田くんの目は嘘を言っていなかった。

「本当に思ったことついでに言いますと、会社の中の加藤さんの格好も好きですよ」
「嘘。私、会社のときは白いシャツにチノパンだよ」
「それがいいんじゃないですか」
「嘘でしょ」
「本当ですよ。とても好きです。働く女性、という感じがして」
「うそ、うそ」
「ついでに言いますと、パソコンを打ってる加藤さんも好きです」
「会社の中で?」
「会社でもそうですが、『アオイ』でパソコンを打ってるときもそうです」
「『アオイ』って喫茶『アオイ』のこと?」
「そうです」
「もしかして、以前にも『アオイ』で私を見かけたの?」
「いえ、僕が『アオイ』に行ったのはあの日が初めてです」

 あの日、パソコンを見られた日、高田くんは私の後ろの席に一時間前からいたと言っていた。
 つまりは一時間、私がパソコンを打っている姿を見ていたことになる。
 後ろ姿ではあるが。

「あのとき、高田くんは私が仕事を社外に持ち出してると言い張っていたけど、違うってわかってたの?」
「ほぼ仕事ではないだろうな、とは思ってました。加藤さんがコンプライアンスを破るとは思えませんでしたから」
「じゃあ、なんで声をかけたの?」
「好きな人が何に夢中になっているか知りたかったんです」
「……」
「それと繋がりがほしかったんです。『アオイ』に入った瞬間に加藤さんがいることに気がつきました。けど、加藤さんは僕のことなどまったく気にもせずパソコンに向かっていました。たまたま入った喫茶店で好きな人と出会った。でも、相手はこちらに気がついていない。声をかけて繋がりたいが口実がない。で、思いついたのが――」
「仕事を社外に持ち出すというコンプライアンス違反疑惑ってこと?」
「我ながらあまりよくない思いつきだと思いました。でも、そうやって無理やり口実を作ってでも好きな人に近づきたかったんです。あの日は僕も必死だったんです」

 私は陶器製のカップに入った温かいスープをゆっくり飲んだ。

(確かに、あの日、喫茶『アオイ』で高田くんのほうから声をかけてくれなければ、こうしてプライベートで会うことも、まして告白されることもなかった。今、この瞬間があるのは高田くんが無理にでも声をかけてくれたおかげだ)

 その後も会話をしながらステーキを食べた。

 ステーキを食べ終えると私たちは会計に立った。
 会計の際、私はレジの前に出た。
 鞄から財布を取り出し、ふたり分の料金を払う。
 お店の外で高田くんが数枚の千円札を私に渡そうとしたが、やんわりと断った。

「カラオケは高田くんが会計をしてくれたでしょ? だからここは私に出させて」
「でも、それでは僕の気が済みません」
「じゃあ、来週デートをしてくれたときにおごってよ」
「え?」
「来週もデートしてくれるよね?」
「もちろんです!」
「ありがとう、私のわがままを聞いてくれて」
「おごってもらった上にこんな嬉しいわがままはありませんよ」
「行こうか」

 高田くんと私は駅のほうへと歩き出した。

 日は完全に暮れていた。
 道路が暗い。
 高田くんは車道側を歩いてくれる。
 その上、私に歩調をあわせてくれる。
 行動で示してくれる高田くんの気遣いが嬉しい。
 私たちは言葉少なに道を進む。

 交差点で止まったとき、私は自分の感情をこらえることができなくなった。

「高田くん、お願いがあるの」
「なんでしょう?」

 告白されたその日にそんなことを要求したら拒まれるかもしれない。
 恐れはあった。
 が、となりを歩く高田くんが愛おしくて、この感情をぶつけるよりほかになかった。

「あのね」
「はい」

 私が抱いた感情。
 それは――

「あのね、手をつなぎたい」
「はい」

 高田くんが歩調を緩めて身体を静かに寄せた。
 高田くんの肩と私の肩が少しだけ触れ合う。

 高田くんが右手で私の左手を握った。
 とてもとても温かい手だった。

 暗い道を高田くんと私は手を繋いで歩いて行く。
 言葉はなくなった。
 高田くんも私も口を開かない。

 私は緊張していた。

 手がカサカサしていないだろうか。
 手を握る強さはこれくらいでいいのだろうか。
 手汗がバレていないだろうか。
 歩くスピードが遅くないだろうか。
 体臭が匂わないだろうか。

 いろいろ不安で緊張した。
 けれど、高田くんと私は駅まで手を繋いで歩いた。
 こんなに心地よい緊張はほかにないと思った。

 駅に到着すると高田くんと私は手を離した。
 自然な動作で、ほぼ同時に私たちは手を離した。

 高田くんは先週と同じように私の駅までついて来るという。
 駅の近くのバス停まで見送るという。
 私は高田くんの好意に甘えた。
 単に一秒でも長く、高田くんのそばにいたいという気持ちもあった。

 電車の箱の中で揺られているときも夢心地だった。
 隣に座る男性が恋人だと思うと夢の中にいるようだった。

(もしかしたら、これは高田くんが仕掛けた壮大なドッキリなんじゃないかな。ある瞬間に、『全部、嘘です』なんて言われるんじゃないかな)

 そんなことを考えてしまい、車内で高田くんの横顔を見た。
 私の視線に気がつくと、高田くんは笑顔を見せてくれた。

「なにかありました?」
「ううん、なんでもない」

 駅に着くと高田くんと私はバス停へ向かった。
 スマホで時刻表を見るとバスが来るまでに15分ある。
 ふたりでバス停の前で、バスが来るまで待つ。
 私たちの前に待つお客さんはいない。

 高田くんは、「ちょっと失礼します」と言ってスマホを取り出した。
 スマホを何度かタップして画面を見るとポケットに戻した。

「今、調べたんですがバスに遅れはないそうです」
「ありがとう」

 お礼を言ってから、私は気になっていたことを話す。

「高田くん、敬語、やめない?」
「敬語、ですか」
「うん、ずっと気になってたんだ。私たち恋人になったんだよね。だったらタメ語で話そうよ」
「そう言われればそうですね。恋人なのに敬語は変ですね」
「あ、また敬語になってる」
「敬語というか丁寧語で話すのがクセになってますね、――じゃなくて、なってる」
「私が年上だからかな?」
「年上、というか頼れる先輩っていうイメージが強いんだと思います、――じゃなくて、思う」
「フフフ」
「なんですか?」
「無理にタメ語にしなくてもいいよ。ゆっくりいこう」
「そう言ってもらえると助かります」

 それから他愛もないおしゃべりをした。
 高田くんは語尾に「です」「ます」をつけたり、つけなかったりした。
 一度ついた言葉の習慣を変えるのは難しいらしい。

 あっという間に15分が経った。

 バスが来る。

 バスに乗り込む前に私は高田くんのほうを向いた。
 やや視線を上げた先に、高田くんのふたつの瞳がある。
 私は顔を上げる。
 思い切って高田くんの頬に軽く唇を寄せる。
 唇が高田くんの頬をかすめるようにに触れる。

 私の唇が高田くんの頬に触れていた時間は一秒と少し。
 一瞬と言ってもいい時間だった。

 顔を離すと、高田くんは目を見開いていた。
 高田くんは反射するように頬に左手を当てた。

「……びっくりした」

 私は思い切り笑った。

「敬語が抜けたね。じゃあね、バイバイ」

 私は手を振りながら、バスに乗り込んだ。
 バスが発車する。
 座席に腰を落とした私は窓から外を見た。
 バス停前に高田くんは立っていた。
 高田くんは左手を頬に当てたまま、右手を振っていた。
 高田くんからは見えないだろうとわかってはいたが、私も手を振った。

(高田くんのほっぺたにキスしちゃった)

 バスに揺られながら自身が大胆な女であることを認識して、我ながら驚いていた。

 帰宅すると時刻は10時になろうとしていた。

 私は自宅に着くなり、シャワーを浴びた。
 浴室から出て、タオルで髪を乾かしながらリビングに向かった。

 スマホのロック画面にLINEの通知ありと表示されている。
 タオルを頭に巻き付け、私はスマホを手にした。
 LINEのトーク画面を開く。
 メッセージは高田くんからだ。

〈今日も素敵な一日をありがとうございます!そして、僕の告白を受けてくれてありがとうございます!これまでの人生の中で最もいい一日だったかもしれません。僕は加藤さんのようにしっかりとはしていませんが、これからもよろしくお願いします!〉

 メッセージとともにかわいい犬のスタンプが送られている。
 スマホの画面の中で犬がペコリと頭を下げている。
 犬の横に吹き出しがあり、
「よろしくお願いします」
 とある。


〈今日は私にとって記念の日になりそう。こんなに素敵な男性が私を好きでいてくれるなんて、嘘みたい。しかも私の小説の中のセリフを使って告白してくれるなんて、嬉しいやら恥ずかしいやら、です。こちらこそ、よろしくお願いね。〉

 私がメッセージを送ると、即座に既読された。
 3分ほどで高田くんからの返信がくる。

〈加藤さんって意外なことをするんですね。まさかバス停前でキスされるとは思いませんでした。また敬語になってますね……。やっぱり会社のときの加藤さんとプライベートの加藤さんは全然違う。もちろん、いい意味でだよ笑〉

 その後、何通かLINEを交わしたあと、お互いに、

〈おやすみなさい〉

 を送信した。

 頭に巻いたタオルで髪に付着した最後の水気を取ると、私はノートパソコンを手にした。
 文章作成ソフトではなく、簡易に文章を残せるメモ帳機能を起動させる。
 メモ帳に文章を打ち込む。

――
次に書く恋愛小説は、主人公の女の子と想われ人の男性が結ばれるようにすること!
完全なハッピーエンドにすること!
――

 メモ帳ソフトを、今書いている小説のフォルダーに保存した。

(今のこの幸福な気持ちをそのまま小説に投影したい!)

 強くそう思った。