土曜日の14時。
高田くんと私はカラオケボックスにいた。
12時に駅で待ち合わせると、カラオケ店から近いコンビニでお弁当を買った。
12時半にカラオケ店に入り、個室でコンビニ弁当を食べた。
弁当を食べ終わると、私たちは歌った。
高田くんはずっと熱唱している。
とても上手だ。
音程を外すことなく、綺麗に歌っている。
一方の私は下手くそだった。
キーが合ってないし、歌詞がつっかえつっかえになる。
今回のデートでカラオケを指定したのは私だ。
私は遊び慣れていない。
友人といえる人が少ないのだ。
金曜日のお昼、私は高田くんをデートに誘った。
私からデートに誘ったのだから、何をしたいかを私が提案するべきだと思った。
が、遊びらしい遊びが思いつかない。
高校のときの友達と半年前にカラオケに行ったのを思い出し、私は高田くんに、
「カラオケに行きたい」
と告げた。
高田くんは即座に了承してくれた。
そして、今、
(普段からもっと外で遊んでいれば)
と悔やみながら高田くんとカラオケボックスにいる。
ため息をついていると高田くんがマイクを私に差し出した。
「次、加藤さんの番ですよ」
「ちょっと疲れちゃった。休憩がてらポテトでも食べない?」
「いいですよ」
高田くんが笑顔でうなずくと、フードを注文するためにタブレットを手にした。
私は本当は疲れてなどいなかった。
ただ歌うことから逃げただけだ。
高田くんがタブレットの画面を触りながら聞く。
「このポテトでいいですか?」
「あ、うん、いいよ」
私はタブレットをよく見ることなく、うなずいた。
高田くんは、「じゃあ、注文しますね」と言ってタブレットをタップした。
個室の中の音楽が止まった。
ほかの個室から漏れる音が聞こえる。
「高田くん、歌がうまいね」
「そうですか?」
「うん、それに最近の曲ばかり歌ってるからいいね。私、流行りの歌がわかんないんだ」
「実は、事前にちょっと予習しました」
「そうなの?」
「はい。本当は僕も流行りの曲はよくわかんないです。そろそろ覚えてきた曲が尽きそうだったので、休憩にしてもらってよかったです」
「そうなんだ」
「加藤さん、好きな曲を歌ってください。僕も好きな曲を歌うんで」
「聞いても知らない曲だと思うよ」
「加藤さんの好きな曲なら是非聴きたいですよ」
「こんな下手なのに?」
「下手じゃないですよ。感情がこもってて、とってもいい歌い方だと思います」
「褒めるのが上手なんだね」
「本当に思ったことですよ」
個室のドアがノックされると、店員が入ってきた。
店員がテーブルに山盛りになったポテトを置く。
店員が個室を出た。
山盛りポテトを見て、私は目を丸くする。
「こんなにも量の多いのを注文したの?」
「注文するときに、『これでいいですか?』って聞いたつもりだったんですが」
あの時、私は適当に返事をしてしまった。
メニューが書かれたタブレットを見なかった私が悪い。
私は曖昧に笑うと、山盛りのポテトに手をつけた。
高田くんが真似るようにポテトを手にする。
「今日は誘ってくださって、ありがとうございました」
高田くんがポテトをひとつ口に入れながら言う。
「加藤さんとカラオケデートができて嬉しいです」
私もポテトをかじりながら答える。
「高田くんから借りたハンカチを返すときに、ついでにデートに誘おうって決めてたんだ」
「じゃあ、思い通りになったわけですね」
「思い通り?」
「加藤さんがハンカチを洗って返してくれるって聞いたとき、これで口実ができたと思ったんです」
「口実?」
「加藤さんと会う口実です」
「高田くんって結構打算的なんだね」
高田くんが頭を掻いた。
「先週の土曜日、『このデートだけでは終わらせない。次に繋げるぞ』って必死だったんです」
「そんなことを考えたの?」
「はい。だからあのハンカチは僕にとって幸運のハンカチになりました」
話を聞いて不思議な気持ちになってきた。
高田くんは打算的になってまで私に会いたかったのだ。
そこまで私と過ごす時間は魅力的だろうか。
私は思い切って尋ねてみる。
「なんで高田くんはそこまで私をひいきにしてくれるの?」
「加藤さんといると楽しいからです。会社ではなく、こうしてプライベートで会う加藤さんとお話をしていると、とても楽しいです」
「そんなに会社にいるときと違うかな?」
「はい」
高田くんが断言した。
そういえば先週も言っていた。
私のことを、
『ちょっとミステリアスな人です』
と。
それから会社にいるときの私は、『クール』だとも評した。
私のことをミステリアスやクールと言うのは褒めすぎだと思う。
会社内で愛想がないのは自分でもわかっている。
が、こうして高田くんとプライベートで顔を合わせていると、おのずとおしゃべりになる自分がいる。
そして、自然と笑顔になる自分に気がつく。
(自然と笑顔になる?)
思ったことを自分に投げ返す。
(知らず知らずのうちに高田くんに心を許しているのか)
私は横目で高田くんを見た。
耳の上で刈り揃えられた真っ黒な髪。
凛々しい眉。
一重だが大きな目。
筋の通った鼻。
上唇は薄く、下唇は厚い。
薄っすらとひげの剃り跡が残る顎。
高田くんは整った顔立ちをしている。
私にとっては充分すぎるほどイケメンだ。
そんなイケメンな人が私といて、「楽しい」と言ってくれる。
私は頬が紅潮するのを感じた。
もう一度、高田くんを見る。
高田くんも私を見ていた。
ふたりの視線が空中で交差する。
胸がドキドキする。
心臓が耳元にあるかのようで、自分の鼓動がはっきりと聞こえる。
口の中に唾液がたまる。
たまった唾液を飲み込む。
飲み込んだ音がやけに耳に響く。
高田くんが言う。
「僕の気持ちを聞いてくれますか?」
私は静かにうなずいた。
高田くんがマイクを握った。
マイクのスイッチをそっと入れる。
音楽は流れていない。
ほかの個室で歌っている歌声がわずかに聞こえる。
わずかに聞こえる程度なのでなんの曲を歌っているかまではわからない。
高田くんは私の目を見つめながらマイクに声を吹きかける。
「いつからかあなたを好きになったの。はじめは意識してなかった。でも、あなたの優しい微笑みや優しい言葉を聞くと心が温かくなるの」
告白だ。
高田くんからの告白だ。
しかし、なぜか言葉が女性っぽい。
高田くんは語尾に「の」をつける習慣はなかったはずだ。
それに、なぜ私のことを「加藤さん」と呼ばずに「あなた」と呼ぶ?
「あなたはとても魅力的よ。少なくとも私にとっては充分すぎるほど魅力的」
高田くんの言葉に力が入る。
私は嬉しくなる。
私を好きと言ってくれ、同時に「魅力的」と言ってくれる人はほかにいないだろう。
しかし、言い方がおかしい。
なぜ女性の言葉遣いのように「よ」をつける。
なぜ一人称に「私」を使う。
高田くんはずっと、自身のことを「僕」と呼んできたではないか。
これではまるで舞台劇のセリフではないか。
待てよ。
セリフ?
どこかで聞いたことがないか、このセリフ。
いや、読んだことがないか。
とても身近なところで読んだことがある気がする。
違う。
読んだのではない。
書いたのだ。
自分自身で書き、それをまた読んだのだ。
そう、書いた。
私はこのセリフを書いた。
高田くんが今、発しているセリフを私は書いた。
高田くんが私から目をそらすことなく言葉を続ける。
「ねぇ、お願い。私のたったひとつのお願い。私と一緒になって」
私の中に確信が生まれる。
間違いない。
高田くんが口にしている言葉は、私が書いたものだ。
私が小説の中で主人公に言わせた愛の告白そのままだ。
二週間前、喫茶『アオイ』で高田くんに読んでもらった私の小説。
その小説の中で主人公が語った愛の言葉。
その言葉を高田くんは丸暗記してきたのだ。
小説の主人公は女だ。
だから一人称が「私」になり、語尾に「の」や「よ」がつく。
高田くんがマイクを両手で掴んだ。
言葉をしぼるように、感情をこめて言う。
「そう。私は本気。あなたを愛してる。あなただけを愛してる」
完璧だった。
高田くんは完璧に私の書いた小説内のセリフを言い切った。
自分の気持ちの代弁として。
高田くんがマイクのスイッチを切ると、テーブルに置いた。
にっこりと笑う。
「これが僕の気持ちです」
全身の血が頭にのぼるのを感じる。
頭のすべての毛穴が開き、そこから湯気が出ているような心持ちになる。
(恥ずかしい)
ふたつの恥ずかしいという気持ちがあった。
告白された恥ずかしさ。
自作の小説をそらんじられた恥ずかしさ。
(でも、嬉しい気持ちのほうが大きい!)
こちらもふたつの嬉しさだ。
告白された嬉しさ。
自作の小説をそらんじてくれた嬉しさ。
恥ずかしい気持ちと嬉しい気持ちがごちゃごちゃになり、私は何も言えなくなってしまった。
私はテーブルの上にあったコップを掴んだ。
コップの中に入っていた液体を急いで口に入れた。
飲みかけのコーラが入っていたはずだが、炭酸の刺激も甘みも感じなかった。
黙っている私を前にして、高田くんは不安そうな声を出した。
「やはり自分の言葉で伝えるべきだったでしょうか。小説の中にあった言葉を借りるのではなく……」
私はコップをテーブルの上に乱雑に置くと、首を大きく左右に振った。
「違うの。すごく恥ずかしいのと嬉しいのとで声が出ないの」
「恥ずかしいと嬉しい、ですか?」
「うん。自分の書いた小説の中のセリフで告白されて恥ずかしい。でも、嬉しい気持ちが大きいんだ」
「ならば、今度は僕の言葉で言わせてください」
高田くんが真っ直ぐに私を見た。
マイクを持たずに声を出す。
やや大きめの声だ。
「加藤さん、好きです。ずっと前から好きでした。付き合ってください」
短い言葉だが、高田くんの思いは充分に伝わった。
高田くんは優しい。
歩道を歩くとき、車道側を歩いてくれる。
ラーメンを食べるとき、スープが跳ねて服につかないようにとハンカチを貸してくれる。
私が別会計でよいと言ってるのに、率先してお金を出してくれる。
私の最寄り駅に来て、バス停まで送ってくれる。
高田くんは身長が高くない。
私よりは高いが、男性としては低いほうだ。
が、それがよい。
私は身長の高い男性に威圧感を覚えてしまう。
男性としてはやや小柄といえる高田くんの身長は、私にとっては心地よい。
高田くんは顔がいい。
ほかの人の評価はどうかはわからないが、私はイケメンだと思う。
私好みのとてもいい顔をしている。
そして何より私の小説を評価してくれる唯一の人間だ。
自作の小説をさらすこと。
それは恥部をさらすことに似ている。
私はそれを高田くんにさらした。
高田くんは私の小説を「面白い」と言ってくれた。
全面的に評価してくれた。
すべての条件が揃っていた。
告白を受け、OKをする条件が揃っていた。
が、私の中でひとつだけどうしても引っかかることがあった。
私はその引っかかることを高田くんにぶつけてみることにした。
「高田くん、あのね。私、今年で28になるの」
「それがどうかしましたか?」
「高田くんは今年で何歳だったかな?」
「25ですね」
「私、高田くんよりも年上だよ」
「それがどうかしましたか?」
「三つも年上なんだよ」
「それがどうかしましたか?」
「気にならない?」
「まったく気になりませんね」
高田くんは断言した。
私の目を真っ直ぐ見て、はっきりと言った。
口調も目も真実を語っていた。
私の中で引っかかっていたものが溶ける気がした。
高田くんは私が年上であることに関して、「まったく気になりませんね」と断言してくれた。
ならば私も年齢のことは気にしないことにする。
私は背筋を伸ばした。
視線は高田くんに向けたまま言う。
「告白を受け入れます。こんな私ですが、付き合ってください」
その瞬間、
ガタン!
という大きな音がした。
高田くんが椅子から立ち上がったのだ。
高田くんが大声を出す。
「本当ですか!?」
「うん」
立ち上がった高田くんを見上げたまま、うなずく。
「ヤッター! ありがとうございます!」
高田くんが座り直した。
私に密着するように腰をかける。
高田くんが私の両手を取った。
高田くんが私の両手を持ったまま、上下に振った。
ふたりの両手が上に下にと揺れる。
「高田くん、痛いって」
私は笑って言った。
が、言うほど痛くはなかった。
むしろ、高田くんの手に触れていることに喜びを感じていた。
それから高田くんと私はカラオケを堪能した。
高田くんは宣言どおり好きな曲を歌った。
私の知らない楽曲が次々と流れた。
知らない曲だが、高田くんの歌がうまいことに変わりはなかった。
私もメジャーでない曲を選んだ。
伴奏のときに、
「この曲、知ってる?」
と聞くと、高田くんは、
「わかりません」
と首を左右に振った。
それでも高田くんは手拍子をし、歌が終わると拍手をしてくれた。
お互いに知らない曲を次々に歌った。
高田くんは綺麗に歌う。
私は下手くそでもいいから感情を込めて歌った。
相手が知らない曲でも、まったく嫌な雰囲気にならなかった。
カラオケボックスの個室にふたりの歌声が響いた。
高田くんと私はカラオケボックスにいた。
12時に駅で待ち合わせると、カラオケ店から近いコンビニでお弁当を買った。
12時半にカラオケ店に入り、個室でコンビニ弁当を食べた。
弁当を食べ終わると、私たちは歌った。
高田くんはずっと熱唱している。
とても上手だ。
音程を外すことなく、綺麗に歌っている。
一方の私は下手くそだった。
キーが合ってないし、歌詞がつっかえつっかえになる。
今回のデートでカラオケを指定したのは私だ。
私は遊び慣れていない。
友人といえる人が少ないのだ。
金曜日のお昼、私は高田くんをデートに誘った。
私からデートに誘ったのだから、何をしたいかを私が提案するべきだと思った。
が、遊びらしい遊びが思いつかない。
高校のときの友達と半年前にカラオケに行ったのを思い出し、私は高田くんに、
「カラオケに行きたい」
と告げた。
高田くんは即座に了承してくれた。
そして、今、
(普段からもっと外で遊んでいれば)
と悔やみながら高田くんとカラオケボックスにいる。
ため息をついていると高田くんがマイクを私に差し出した。
「次、加藤さんの番ですよ」
「ちょっと疲れちゃった。休憩がてらポテトでも食べない?」
「いいですよ」
高田くんが笑顔でうなずくと、フードを注文するためにタブレットを手にした。
私は本当は疲れてなどいなかった。
ただ歌うことから逃げただけだ。
高田くんがタブレットの画面を触りながら聞く。
「このポテトでいいですか?」
「あ、うん、いいよ」
私はタブレットをよく見ることなく、うなずいた。
高田くんは、「じゃあ、注文しますね」と言ってタブレットをタップした。
個室の中の音楽が止まった。
ほかの個室から漏れる音が聞こえる。
「高田くん、歌がうまいね」
「そうですか?」
「うん、それに最近の曲ばかり歌ってるからいいね。私、流行りの歌がわかんないんだ」
「実は、事前にちょっと予習しました」
「そうなの?」
「はい。本当は僕も流行りの曲はよくわかんないです。そろそろ覚えてきた曲が尽きそうだったので、休憩にしてもらってよかったです」
「そうなんだ」
「加藤さん、好きな曲を歌ってください。僕も好きな曲を歌うんで」
「聞いても知らない曲だと思うよ」
「加藤さんの好きな曲なら是非聴きたいですよ」
「こんな下手なのに?」
「下手じゃないですよ。感情がこもってて、とってもいい歌い方だと思います」
「褒めるのが上手なんだね」
「本当に思ったことですよ」
個室のドアがノックされると、店員が入ってきた。
店員がテーブルに山盛りになったポテトを置く。
店員が個室を出た。
山盛りポテトを見て、私は目を丸くする。
「こんなにも量の多いのを注文したの?」
「注文するときに、『これでいいですか?』って聞いたつもりだったんですが」
あの時、私は適当に返事をしてしまった。
メニューが書かれたタブレットを見なかった私が悪い。
私は曖昧に笑うと、山盛りのポテトに手をつけた。
高田くんが真似るようにポテトを手にする。
「今日は誘ってくださって、ありがとうございました」
高田くんがポテトをひとつ口に入れながら言う。
「加藤さんとカラオケデートができて嬉しいです」
私もポテトをかじりながら答える。
「高田くんから借りたハンカチを返すときに、ついでにデートに誘おうって決めてたんだ」
「じゃあ、思い通りになったわけですね」
「思い通り?」
「加藤さんがハンカチを洗って返してくれるって聞いたとき、これで口実ができたと思ったんです」
「口実?」
「加藤さんと会う口実です」
「高田くんって結構打算的なんだね」
高田くんが頭を掻いた。
「先週の土曜日、『このデートだけでは終わらせない。次に繋げるぞ』って必死だったんです」
「そんなことを考えたの?」
「はい。だからあのハンカチは僕にとって幸運のハンカチになりました」
話を聞いて不思議な気持ちになってきた。
高田くんは打算的になってまで私に会いたかったのだ。
そこまで私と過ごす時間は魅力的だろうか。
私は思い切って尋ねてみる。
「なんで高田くんはそこまで私をひいきにしてくれるの?」
「加藤さんといると楽しいからです。会社ではなく、こうしてプライベートで会う加藤さんとお話をしていると、とても楽しいです」
「そんなに会社にいるときと違うかな?」
「はい」
高田くんが断言した。
そういえば先週も言っていた。
私のことを、
『ちょっとミステリアスな人です』
と。
それから会社にいるときの私は、『クール』だとも評した。
私のことをミステリアスやクールと言うのは褒めすぎだと思う。
会社内で愛想がないのは自分でもわかっている。
が、こうして高田くんとプライベートで顔を合わせていると、おのずとおしゃべりになる自分がいる。
そして、自然と笑顔になる自分に気がつく。
(自然と笑顔になる?)
思ったことを自分に投げ返す。
(知らず知らずのうちに高田くんに心を許しているのか)
私は横目で高田くんを見た。
耳の上で刈り揃えられた真っ黒な髪。
凛々しい眉。
一重だが大きな目。
筋の通った鼻。
上唇は薄く、下唇は厚い。
薄っすらとひげの剃り跡が残る顎。
高田くんは整った顔立ちをしている。
私にとっては充分すぎるほどイケメンだ。
そんなイケメンな人が私といて、「楽しい」と言ってくれる。
私は頬が紅潮するのを感じた。
もう一度、高田くんを見る。
高田くんも私を見ていた。
ふたりの視線が空中で交差する。
胸がドキドキする。
心臓が耳元にあるかのようで、自分の鼓動がはっきりと聞こえる。
口の中に唾液がたまる。
たまった唾液を飲み込む。
飲み込んだ音がやけに耳に響く。
高田くんが言う。
「僕の気持ちを聞いてくれますか?」
私は静かにうなずいた。
高田くんがマイクを握った。
マイクのスイッチをそっと入れる。
音楽は流れていない。
ほかの個室で歌っている歌声がわずかに聞こえる。
わずかに聞こえる程度なのでなんの曲を歌っているかまではわからない。
高田くんは私の目を見つめながらマイクに声を吹きかける。
「いつからかあなたを好きになったの。はじめは意識してなかった。でも、あなたの優しい微笑みや優しい言葉を聞くと心が温かくなるの」
告白だ。
高田くんからの告白だ。
しかし、なぜか言葉が女性っぽい。
高田くんは語尾に「の」をつける習慣はなかったはずだ。
それに、なぜ私のことを「加藤さん」と呼ばずに「あなた」と呼ぶ?
「あなたはとても魅力的よ。少なくとも私にとっては充分すぎるほど魅力的」
高田くんの言葉に力が入る。
私は嬉しくなる。
私を好きと言ってくれ、同時に「魅力的」と言ってくれる人はほかにいないだろう。
しかし、言い方がおかしい。
なぜ女性の言葉遣いのように「よ」をつける。
なぜ一人称に「私」を使う。
高田くんはずっと、自身のことを「僕」と呼んできたではないか。
これではまるで舞台劇のセリフではないか。
待てよ。
セリフ?
どこかで聞いたことがないか、このセリフ。
いや、読んだことがないか。
とても身近なところで読んだことがある気がする。
違う。
読んだのではない。
書いたのだ。
自分自身で書き、それをまた読んだのだ。
そう、書いた。
私はこのセリフを書いた。
高田くんが今、発しているセリフを私は書いた。
高田くんが私から目をそらすことなく言葉を続ける。
「ねぇ、お願い。私のたったひとつのお願い。私と一緒になって」
私の中に確信が生まれる。
間違いない。
高田くんが口にしている言葉は、私が書いたものだ。
私が小説の中で主人公に言わせた愛の告白そのままだ。
二週間前、喫茶『アオイ』で高田くんに読んでもらった私の小説。
その小説の中で主人公が語った愛の言葉。
その言葉を高田くんは丸暗記してきたのだ。
小説の主人公は女だ。
だから一人称が「私」になり、語尾に「の」や「よ」がつく。
高田くんがマイクを両手で掴んだ。
言葉をしぼるように、感情をこめて言う。
「そう。私は本気。あなたを愛してる。あなただけを愛してる」
完璧だった。
高田くんは完璧に私の書いた小説内のセリフを言い切った。
自分の気持ちの代弁として。
高田くんがマイクのスイッチを切ると、テーブルに置いた。
にっこりと笑う。
「これが僕の気持ちです」
全身の血が頭にのぼるのを感じる。
頭のすべての毛穴が開き、そこから湯気が出ているような心持ちになる。
(恥ずかしい)
ふたつの恥ずかしいという気持ちがあった。
告白された恥ずかしさ。
自作の小説をそらんじられた恥ずかしさ。
(でも、嬉しい気持ちのほうが大きい!)
こちらもふたつの嬉しさだ。
告白された嬉しさ。
自作の小説をそらんじてくれた嬉しさ。
恥ずかしい気持ちと嬉しい気持ちがごちゃごちゃになり、私は何も言えなくなってしまった。
私はテーブルの上にあったコップを掴んだ。
コップの中に入っていた液体を急いで口に入れた。
飲みかけのコーラが入っていたはずだが、炭酸の刺激も甘みも感じなかった。
黙っている私を前にして、高田くんは不安そうな声を出した。
「やはり自分の言葉で伝えるべきだったでしょうか。小説の中にあった言葉を借りるのではなく……」
私はコップをテーブルの上に乱雑に置くと、首を大きく左右に振った。
「違うの。すごく恥ずかしいのと嬉しいのとで声が出ないの」
「恥ずかしいと嬉しい、ですか?」
「うん。自分の書いた小説の中のセリフで告白されて恥ずかしい。でも、嬉しい気持ちが大きいんだ」
「ならば、今度は僕の言葉で言わせてください」
高田くんが真っ直ぐに私を見た。
マイクを持たずに声を出す。
やや大きめの声だ。
「加藤さん、好きです。ずっと前から好きでした。付き合ってください」
短い言葉だが、高田くんの思いは充分に伝わった。
高田くんは優しい。
歩道を歩くとき、車道側を歩いてくれる。
ラーメンを食べるとき、スープが跳ねて服につかないようにとハンカチを貸してくれる。
私が別会計でよいと言ってるのに、率先してお金を出してくれる。
私の最寄り駅に来て、バス停まで送ってくれる。
高田くんは身長が高くない。
私よりは高いが、男性としては低いほうだ。
が、それがよい。
私は身長の高い男性に威圧感を覚えてしまう。
男性としてはやや小柄といえる高田くんの身長は、私にとっては心地よい。
高田くんは顔がいい。
ほかの人の評価はどうかはわからないが、私はイケメンだと思う。
私好みのとてもいい顔をしている。
そして何より私の小説を評価してくれる唯一の人間だ。
自作の小説をさらすこと。
それは恥部をさらすことに似ている。
私はそれを高田くんにさらした。
高田くんは私の小説を「面白い」と言ってくれた。
全面的に評価してくれた。
すべての条件が揃っていた。
告白を受け、OKをする条件が揃っていた。
が、私の中でひとつだけどうしても引っかかることがあった。
私はその引っかかることを高田くんにぶつけてみることにした。
「高田くん、あのね。私、今年で28になるの」
「それがどうかしましたか?」
「高田くんは今年で何歳だったかな?」
「25ですね」
「私、高田くんよりも年上だよ」
「それがどうかしましたか?」
「三つも年上なんだよ」
「それがどうかしましたか?」
「気にならない?」
「まったく気になりませんね」
高田くんは断言した。
私の目を真っ直ぐ見て、はっきりと言った。
口調も目も真実を語っていた。
私の中で引っかかっていたものが溶ける気がした。
高田くんは私が年上であることに関して、「まったく気になりませんね」と断言してくれた。
ならば私も年齢のことは気にしないことにする。
私は背筋を伸ばした。
視線は高田くんに向けたまま言う。
「告白を受け入れます。こんな私ですが、付き合ってください」
その瞬間、
ガタン!
という大きな音がした。
高田くんが椅子から立ち上がったのだ。
高田くんが大声を出す。
「本当ですか!?」
「うん」
立ち上がった高田くんを見上げたまま、うなずく。
「ヤッター! ありがとうございます!」
高田くんが座り直した。
私に密着するように腰をかける。
高田くんが私の両手を取った。
高田くんが私の両手を持ったまま、上下に振った。
ふたりの両手が上に下にと揺れる。
「高田くん、痛いって」
私は笑って言った。
が、言うほど痛くはなかった。
むしろ、高田くんの手に触れていることに喜びを感じていた。
それから高田くんと私はカラオケを堪能した。
高田くんは宣言どおり好きな曲を歌った。
私の知らない楽曲が次々と流れた。
知らない曲だが、高田くんの歌がうまいことに変わりはなかった。
私もメジャーでない曲を選んだ。
伴奏のときに、
「この曲、知ってる?」
と聞くと、高田くんは、
「わかりません」
と首を左右に振った。
それでも高田くんは手拍子をし、歌が終わると拍手をしてくれた。
お互いに知らない曲を次々に歌った。
高田くんは綺麗に歌う。
私は下手くそでもいいから感情を込めて歌った。
相手が知らない曲でも、まったく嫌な雰囲気にならなかった。
カラオケボックスの個室にふたりの歌声が響いた。



