水曜日の夜。
自宅で洗濯をしているとスマホが鳴った。
私は音を立てる洗濯機から離れるとスマホの画面をタップした。
高田くんからのLINE通話だった。
「もしもし」
『もしもし、加藤さんですか? 高田です』
「うん」
『今、よろしいですか?』
「大丈夫だよ」
振り返ってみれば高田くんと音声のやり取りをするのはこれが初めてだった。
『あの突然ですが、新しい小説は書けてますか?』
「日曜日からまた新たに書き出したよ」
『すごいですね。どんなお話ですか?』
「中学生の女の子が年上の男の子に恋する話」
『刺激的で面白そうな話ですね』
「まだ書き始めたばかりで、いつ完成するかもわからないけどね」
『是非、完成したら見せてくださいね』
「高田くんだったらいいかな」
『僕だったら、って……。そういえば会社の人には小説を書いていることを言ってないんですか?』
私は近くにあったゴミ箱を蹴っ飛ばしそうになった。
「言えるわけないでしょ!」
『どうしてですか?』
「恥ずかしいじゃない」
『小説を書くことが、恥ずかしいことですか?』
「恥ずかしいよ」
「わからないですね。全然、恥じることではないと思いますけど』
「あのね――」
私はスマホを持つ手を持ち替えた。
声に力が入る。
「たとえば自作の詩を作っていたとして、それを公にできる?」
『シ? ですか?』
「ポエムのこと」
『ああ、そっちの詩ですか』
「そうポエムのほうの詩。ひとりコツコツと自己満足でポエムを作っていて、それを会社の人に言える?」
『うーん……』
高田くんの唸り声がスマホから聞こえる。
『自作のポエムを会社の人に発表ですか。それはかなりハードルが高いですね』
「そうでしょ?」
『はい。自作ポエムを人に見せるのは勇気がいります。しかも、会社の人となると普段の自分のことを知ってるわけですからね』
「その恥ずかしいポエムを小説に置き換えて考えてくれればわかりやすいかな」
『なるほど』
高田くんは納得してくれたようだ。
『でも、ひとには言えない小説を、僕にだけは読ませてもらえるのは嬉しいです』
「高田くんは特別だよ」
『特別なんですか』
高田くんが声のトーンを一オクターブ上げた。
特別、と言われて喜んでいるらしい。
「あんな小説でもちゃんと評価してくれたじゃない」
『本当に面白かったですよ』
「でも、私が小説を書いていることはほかの人には言わないでね。特に会社の人には」
『わかりました』
ポエムのたとえが効果を表したのか、高田くんの元気な声が返ってきた。
「で、用事はなんだったっけ?」
『そうそう。あの小説をもう一度読みたいと思いまして。僕のパソコンにデータとして送ってくれませんか?』
「いいよ。メールでいい?」
『はい。アドレスを言いますね――』
私はスマホをハンズフリーにした。
リビングに入り、ノートパソコンを開く。
文章作成ソフトに表示された小説を全選択すると、メールソフトの本文にコピーアンドペーストした。
件名に今日の日付と小説のタイトルを書き込むと送信する。
スマホの向こうで高田くんもパソコンを触っているらしく、すぐに
『送られてきました。ありがとうございます』
と言った。
パソコンを操作しているあいだ、私はずっと鞄の中に入っているもののことを考えていた。
返そう、返そうと思っていたもの。
初めてのデートで高田くんから借りた白と黒の格子模様のハンカチ。
私は勇気を出してスマホに話しかけた。
「あのね、高田くん。明日、渡したいものがあるからお昼に時間を空けて」
『加藤さんとランチですか? いいですね』
「ランチはしないよ。すぐに終わるものだから」
『なんでしょうね?』
「うーん、内緒。ごめん、もう切るね」
『わかりました。明日の楽しみってことですね。それでは、おやすみなさい』
「おやすみ」
私は終話のボタンをタップした。
心臓が早鐘を打っている。
(ハンカチを返す約束をしただけなのに、こんなにも胸がドキドキしてる)
ハンカチを返すときは、高田くんにある提案をすることもセットに入れていた。
その提案内容を考えると、どうしてもひどく緊張してしまうのだった。
木曜日。
12時になると高田くんが私のデスクに近づいて来た。
高田くんの所属する部署と私の所属する部署の人間が会話をすることはほぼない。
あちらの部署から人が来ることも滅多にない。
私は自分の部署に入る前に、高田くんに人差し指で指示を出す。
指で、「外に行け」と命令する。
ほかの人に知られたくないので声は出さない。
高田くんはフロアから階段へ向かった。
私は高田くんから数メートルほど距離を取って、階段を使った。
会社の建物から外に出て、フロアの同僚がいないことを確認すると、私は高田くんに近寄った。
「はい、返すね」
私は高田くんにあるものを差し出していた。
白と黒の格子模様のハンカチ。
土曜日のデートで高田くんから借りたハンカチだ。
ラーメンのスープが服につくといけないから、と貸してくれたハンカチ。
「遅くなったけど、ハンカチ、ありがとう」
「ああ、そんなものいつでも大丈夫でしたのに」
高田くんが右手を出す。
笑顔でハンカチを受け取ろうとする。
が、私はハンカチを持った左手を離さなかった。
ハンカチの一片を私が掴み、もう一片を高田くんが掴む。
ふたりが両端を持っているので、ハンカチは空中に浮いたようであった。
ハンカチを掴んだまま、私は声を出した。
「あのね、高田くんにお願いがあるの」
私がハンカチから手を離さないので、高田くんは不思議な顔をした。
「なんでしょうか?」
「言いにくいんだけど、高田くん、土曜日って暇かな?」
「暇ですね。何も予定はないですし」
「予定を入れてくれないかな?」
「なんのですか?」
「……私と会う予定」
「加藤さん、もしかして僕をデートに誘ってます?」
「……うん」
私がうなずいた瞬間、高田くんがハンカチごと私の手を取った。
私の左手はハンカチとともに、高田くんの左右の手でくるまれた。
高田くんは私の左手とハンカチを大きく上下に揺らした。
「是非、デートしましょう!」
左手が激しく揺さぶられるのを感じながら、私はあたりを見渡した。
幸い、同じフロアで働く人はいない。
が、通りかかった幾人かの人がこちらに視線を送っている。
「高田くん、痛いよ」
「すみません。嬉しかったものですから、つい」
高田くんは慌てて両手を引っ込めた。
「高田くんって子供みたいなところがあるよね。会社のフロアにいる時はすごく大人びて見えるのに」
「男はいつだって子供なんですよ」
高田くんはこれ以上ないほど笑った。
私は改めて白と黒の格子模様のハンカチを差し出した。
「土曜日、私に付き合ってくれる?」
「是非、喜んで」
高田くんは左右の手を揃えて、うやうやしくハンカチを受け取った。
自宅で洗濯をしているとスマホが鳴った。
私は音を立てる洗濯機から離れるとスマホの画面をタップした。
高田くんからのLINE通話だった。
「もしもし」
『もしもし、加藤さんですか? 高田です』
「うん」
『今、よろしいですか?』
「大丈夫だよ」
振り返ってみれば高田くんと音声のやり取りをするのはこれが初めてだった。
『あの突然ですが、新しい小説は書けてますか?』
「日曜日からまた新たに書き出したよ」
『すごいですね。どんなお話ですか?』
「中学生の女の子が年上の男の子に恋する話」
『刺激的で面白そうな話ですね』
「まだ書き始めたばかりで、いつ完成するかもわからないけどね」
『是非、完成したら見せてくださいね』
「高田くんだったらいいかな」
『僕だったら、って……。そういえば会社の人には小説を書いていることを言ってないんですか?』
私は近くにあったゴミ箱を蹴っ飛ばしそうになった。
「言えるわけないでしょ!」
『どうしてですか?』
「恥ずかしいじゃない」
『小説を書くことが、恥ずかしいことですか?』
「恥ずかしいよ」
「わからないですね。全然、恥じることではないと思いますけど』
「あのね――」
私はスマホを持つ手を持ち替えた。
声に力が入る。
「たとえば自作の詩を作っていたとして、それを公にできる?」
『シ? ですか?』
「ポエムのこと」
『ああ、そっちの詩ですか』
「そうポエムのほうの詩。ひとりコツコツと自己満足でポエムを作っていて、それを会社の人に言える?」
『うーん……』
高田くんの唸り声がスマホから聞こえる。
『自作のポエムを会社の人に発表ですか。それはかなりハードルが高いですね』
「そうでしょ?」
『はい。自作ポエムを人に見せるのは勇気がいります。しかも、会社の人となると普段の自分のことを知ってるわけですからね』
「その恥ずかしいポエムを小説に置き換えて考えてくれればわかりやすいかな」
『なるほど』
高田くんは納得してくれたようだ。
『でも、ひとには言えない小説を、僕にだけは読ませてもらえるのは嬉しいです』
「高田くんは特別だよ」
『特別なんですか』
高田くんが声のトーンを一オクターブ上げた。
特別、と言われて喜んでいるらしい。
「あんな小説でもちゃんと評価してくれたじゃない」
『本当に面白かったですよ』
「でも、私が小説を書いていることはほかの人には言わないでね。特に会社の人には」
『わかりました』
ポエムのたとえが効果を表したのか、高田くんの元気な声が返ってきた。
「で、用事はなんだったっけ?」
『そうそう。あの小説をもう一度読みたいと思いまして。僕のパソコンにデータとして送ってくれませんか?』
「いいよ。メールでいい?」
『はい。アドレスを言いますね――』
私はスマホをハンズフリーにした。
リビングに入り、ノートパソコンを開く。
文章作成ソフトに表示された小説を全選択すると、メールソフトの本文にコピーアンドペーストした。
件名に今日の日付と小説のタイトルを書き込むと送信する。
スマホの向こうで高田くんもパソコンを触っているらしく、すぐに
『送られてきました。ありがとうございます』
と言った。
パソコンを操作しているあいだ、私はずっと鞄の中に入っているもののことを考えていた。
返そう、返そうと思っていたもの。
初めてのデートで高田くんから借りた白と黒の格子模様のハンカチ。
私は勇気を出してスマホに話しかけた。
「あのね、高田くん。明日、渡したいものがあるからお昼に時間を空けて」
『加藤さんとランチですか? いいですね』
「ランチはしないよ。すぐに終わるものだから」
『なんでしょうね?』
「うーん、内緒。ごめん、もう切るね」
『わかりました。明日の楽しみってことですね。それでは、おやすみなさい』
「おやすみ」
私は終話のボタンをタップした。
心臓が早鐘を打っている。
(ハンカチを返す約束をしただけなのに、こんなにも胸がドキドキしてる)
ハンカチを返すときは、高田くんにある提案をすることもセットに入れていた。
その提案内容を考えると、どうしてもひどく緊張してしまうのだった。
木曜日。
12時になると高田くんが私のデスクに近づいて来た。
高田くんの所属する部署と私の所属する部署の人間が会話をすることはほぼない。
あちらの部署から人が来ることも滅多にない。
私は自分の部署に入る前に、高田くんに人差し指で指示を出す。
指で、「外に行け」と命令する。
ほかの人に知られたくないので声は出さない。
高田くんはフロアから階段へ向かった。
私は高田くんから数メートルほど距離を取って、階段を使った。
会社の建物から外に出て、フロアの同僚がいないことを確認すると、私は高田くんに近寄った。
「はい、返すね」
私は高田くんにあるものを差し出していた。
白と黒の格子模様のハンカチ。
土曜日のデートで高田くんから借りたハンカチだ。
ラーメンのスープが服につくといけないから、と貸してくれたハンカチ。
「遅くなったけど、ハンカチ、ありがとう」
「ああ、そんなものいつでも大丈夫でしたのに」
高田くんが右手を出す。
笑顔でハンカチを受け取ろうとする。
が、私はハンカチを持った左手を離さなかった。
ハンカチの一片を私が掴み、もう一片を高田くんが掴む。
ふたりが両端を持っているので、ハンカチは空中に浮いたようであった。
ハンカチを掴んだまま、私は声を出した。
「あのね、高田くんにお願いがあるの」
私がハンカチから手を離さないので、高田くんは不思議な顔をした。
「なんでしょうか?」
「言いにくいんだけど、高田くん、土曜日って暇かな?」
「暇ですね。何も予定はないですし」
「予定を入れてくれないかな?」
「なんのですか?」
「……私と会う予定」
「加藤さん、もしかして僕をデートに誘ってます?」
「……うん」
私がうなずいた瞬間、高田くんがハンカチごと私の手を取った。
私の左手はハンカチとともに、高田くんの左右の手でくるまれた。
高田くんは私の左手とハンカチを大きく上下に揺らした。
「是非、デートしましょう!」
左手が激しく揺さぶられるのを感じながら、私はあたりを見渡した。
幸い、同じフロアで働く人はいない。
が、通りかかった幾人かの人がこちらに視線を送っている。
「高田くん、痛いよ」
「すみません。嬉しかったものですから、つい」
高田くんは慌てて両手を引っ込めた。
「高田くんって子供みたいなところがあるよね。会社のフロアにいる時はすごく大人びて見えるのに」
「男はいつだって子供なんですよ」
高田くんはこれ以上ないほど笑った。
私は改めて白と黒の格子模様のハンカチを差し出した。
「土曜日、私に付き合ってくれる?」
「是非、喜んで」
高田くんは左右の手を揃えて、うやうやしくハンカチを受け取った。



