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「俺が伊織さんの家に住みたいと言ったら、どうする?」と、伊織さんにメッセージを送ったのは、書店に行ったのに彼女と会えずにいた日の事だった。
仁田さんは相変わらず俺に絡んできて、「香坂さんは今、事務所の方で社長とお取り込み中だ」なんて言うから、俺はとんでもない事を想像してしまった。そのせいで嫌な気分になり、書店を出た俺は、スマホを取り出すと、すぐさまさっきのメッセージを打ったのだ。
書店の社長さんの名前を、後で調べてみようかと思ったけれど、もしその名前が「カラスジュウゾウジ キョウイチ」という変てこりんな名前だったら嫌だから、やめにした。
梓に聞いてみようか。自虐めいたアイデアに、苦笑する。俺のメッセージを心待ちにしている梓なら、大急ぎで調べてくれるかもしれない。
「夏だっていうのに、よく食べるわねえ。私にその食欲、分けてほしいくらいだわ」
目の前で母さんにぼやかれながら、夕食の筑前煮を口に入れていると、ポケットに入れていたスマホが震えた。
今すぐ見たいけれど、「食事中にはしたない」などと怒られるのは嫌だから、おかずの残りを急いで流し込んで、部屋に戻った。
リビングでアプリを開くと、母さんに横から覗かれるかもしれないし、もしメッセージが伊織さんからのものだったら尚更困るから、自分の部屋に行ったのだ。
案の定、メッセージは伊織さんからのものだった。
「同棲したいって事かしら」
画面に浮かび上がったその文字を見て、俺は思わず噴き出してしまった。伊織さんはどんな気持ちでこの文字を打ったのだろう。そう考えると、顔がかあっと熱くなってきた。
伊織さんには、この際はっきり言った方がいいのかもしれない。
俺は同棲をしたいのではなく、伊織さんと結婚したいんだと。
「言えるかな」ではない。言うのだ。もたもたしていたら、それこそカラスジュウゾウジ キョウイチに伊織さんを奪われてしまうかもしれない。
俺は、伊織さんのマンションの名義人であるカラスジュウゾウジ キョウイチを勝手にライバルに仕立てあげて、近いうちに伊織さんにプロポーズをしようと決意した。
いや、その男は、わざわざ伊織さんのマンションを買ったのだから、彼女とは、それなりの関係のはずだ。ライバルにするには、充分すぎるくらいのものだろう。
聞いてみようか。無邪気な子供のふりをして。カラスジュウゾウジ キョウイチって誰、と。俺は、スマホを机に置いて、梓が時折見せるような笑みを浮かべた。
眠い。そう感じたのは、部活の疲れからだろうか。
むかし、空手をやっている同級生から、「どうして疲れるのわかってて、バスケなんかやってるんだよ」と尋ねられた事がある。
俺は、わからないと答えた。練習なんて、同じ事の繰り返しだし、嫌な事も多い。夏場など、嘔吐してしまう人もいるくらいに激しい運動なのに、休まず続けられている。そんな事が出来るのはどうしてだと聞かれても、理由は思い浮かばなかった。
何気なくやっているわけではない。バスケが上手くなりたいんだと答えると、彼は「ふうん」と答えた。
俺は逆に尋ねてみた。どうして数あるスポーツの中から、君は空手を選んだのかと。
格闘技なんて怖いし、痛いのに、と付け加えると、彼は笑った。
「大切な人を守るために、強くなりたいんだ」
あいつは、笑顔でそう言っていた。
きっかけなんて、そんなものだ。バスケが上手くなりたい。大切な人を守りたい。些細な思いがどんどん膨れ上がって、襲い掛かる苦行をものともしない人間に成長していくのだろう。
その後、あいつは空手の大会で、全国の舞台へと駒を進めた途端、急にモテはじめたとはにかんで俺に報告してくれた。
「大切な人」は出来たのかと問うと、「まだ早いだろ。俺、まだ中学生だぜ」と苦笑していた。
あいつが、今何処で何をしているのかを、俺は知らない。そんなに親しいわけじゃなかったし、高校も別々になって、関係がより疎遠になってしまったからだ。
だけどきっと、この世界のどこかで頑張っているだろう。ほんの少し、お互いの健闘を讃え合っただけのあいつに触発されて、俺も頑張らなきゃなと思ったのだった。
「俺が伊織さんの家に住みたいと言ったら、どうする?」と、伊織さんにメッセージを送ったのは、書店に行ったのに彼女と会えずにいた日の事だった。
仁田さんは相変わらず俺に絡んできて、「香坂さんは今、事務所の方で社長とお取り込み中だ」なんて言うから、俺はとんでもない事を想像してしまった。そのせいで嫌な気分になり、書店を出た俺は、スマホを取り出すと、すぐさまさっきのメッセージを打ったのだ。
書店の社長さんの名前を、後で調べてみようかと思ったけれど、もしその名前が「カラスジュウゾウジ キョウイチ」という変てこりんな名前だったら嫌だから、やめにした。
梓に聞いてみようか。自虐めいたアイデアに、苦笑する。俺のメッセージを心待ちにしている梓なら、大急ぎで調べてくれるかもしれない。
「夏だっていうのに、よく食べるわねえ。私にその食欲、分けてほしいくらいだわ」
目の前で母さんにぼやかれながら、夕食の筑前煮を口に入れていると、ポケットに入れていたスマホが震えた。
今すぐ見たいけれど、「食事中にはしたない」などと怒られるのは嫌だから、おかずの残りを急いで流し込んで、部屋に戻った。
リビングでアプリを開くと、母さんに横から覗かれるかもしれないし、もしメッセージが伊織さんからのものだったら尚更困るから、自分の部屋に行ったのだ。
案の定、メッセージは伊織さんからのものだった。
「同棲したいって事かしら」
画面に浮かび上がったその文字を見て、俺は思わず噴き出してしまった。伊織さんはどんな気持ちでこの文字を打ったのだろう。そう考えると、顔がかあっと熱くなってきた。
伊織さんには、この際はっきり言った方がいいのかもしれない。
俺は同棲をしたいのではなく、伊織さんと結婚したいんだと。
「言えるかな」ではない。言うのだ。もたもたしていたら、それこそカラスジュウゾウジ キョウイチに伊織さんを奪われてしまうかもしれない。
俺は、伊織さんのマンションの名義人であるカラスジュウゾウジ キョウイチを勝手にライバルに仕立てあげて、近いうちに伊織さんにプロポーズをしようと決意した。
いや、その男は、わざわざ伊織さんのマンションを買ったのだから、彼女とは、それなりの関係のはずだ。ライバルにするには、充分すぎるくらいのものだろう。
聞いてみようか。無邪気な子供のふりをして。カラスジュウゾウジ キョウイチって誰、と。俺は、スマホを机に置いて、梓が時折見せるような笑みを浮かべた。
眠い。そう感じたのは、部活の疲れからだろうか。
むかし、空手をやっている同級生から、「どうして疲れるのわかってて、バスケなんかやってるんだよ」と尋ねられた事がある。
俺は、わからないと答えた。練習なんて、同じ事の繰り返しだし、嫌な事も多い。夏場など、嘔吐してしまう人もいるくらいに激しい運動なのに、休まず続けられている。そんな事が出来るのはどうしてだと聞かれても、理由は思い浮かばなかった。
何気なくやっているわけではない。バスケが上手くなりたいんだと答えると、彼は「ふうん」と答えた。
俺は逆に尋ねてみた。どうして数あるスポーツの中から、君は空手を選んだのかと。
格闘技なんて怖いし、痛いのに、と付け加えると、彼は笑った。
「大切な人を守るために、強くなりたいんだ」
あいつは、笑顔でそう言っていた。
きっかけなんて、そんなものだ。バスケが上手くなりたい。大切な人を守りたい。些細な思いがどんどん膨れ上がって、襲い掛かる苦行をものともしない人間に成長していくのだろう。
その後、あいつは空手の大会で、全国の舞台へと駒を進めた途端、急にモテはじめたとはにかんで俺に報告してくれた。
「大切な人」は出来たのかと問うと、「まだ早いだろ。俺、まだ中学生だぜ」と苦笑していた。
あいつが、今何処で何をしているのかを、俺は知らない。そんなに親しいわけじゃなかったし、高校も別々になって、関係がより疎遠になってしまったからだ。
だけどきっと、この世界のどこかで頑張っているだろう。ほんの少し、お互いの健闘を讃え合っただけのあいつに触発されて、俺も頑張らなきゃなと思ったのだった。
