今日、修君は実家に帰っていた。
私の家に引っ越しをするため、自分の荷物をまとめて運び出すそうだ。
「ようやくあの子も決心がついたようね。
それにしても長かったわね、さすが『晴信さんの子ども』といったところかしら?」
「奥手なのはお義父様譲りってこと?」
「ふふっ、そうかもしれないわね。」
母さんは少しいたずらっぽく笑っていた。
昔を思い出していたかもしれない。
「ねぇ、お父さんはどうだったの?」
「そうね、私たちは職場の恋愛だったから、お仕事を通じて仲良くなったかしらね。
当時の女の子は『クリスマスケーキ』なんて言って、24歳ごろには結婚と言うのが当たり前で、みんなそう思っていたころなのよ。
25歳までは売れるけど、そのあとは安売りして、31歳で年越しね。
『オールドミス』なんて言われていたからね。」
「へぇ、そうなんだ。
じゃあ私は『売れ残り』もいいとこだったのね。」
「私たちの時代ではね。
だからみんなで『寿退社』にあこがれていたものよ。」
私は給湯室のひよこどもを思い出して、急におかしくなった。
「職場で出会いって、なかなか難しいものよね。
仕事も大変だから、そんな風に相手を見れないよ。」
「私たちもそうだったのよ、でもね、その時のお父さんの上司が世話を焼いて、お父さんに私を紹介してくれたのよ。
だから今でも私たちの仲人さんなのよ。」
「え~っ、そんなの信じられないよ。
今職場でそんなことしたら、セクハラものでしょ?」
「あはは、そうね。
昔は職場で出会って結婚という人が多くてね。
そこには世話焼きのおばちゃんとか、職場内で結婚の話が出ると上司が仲人になったりしてね。
そういう人たちの働きもあって、女の子たちはお嫁に行っていたのよ。」
「お母さんもそのうちの一人だったのね。
それで、お父さんとはどうだったの。」
「母親からノロケ話を聞きたいの? 変な娘ね。」
そう言いながら少し照れていた。
「お父さんは営業で、会社の中にはあまりいなかったな。
私たちが言葉を交わしたのは、交通費や接待費の精算とか、出張の宿泊先に手配とか、本当に仕事の話よ。
それにお父さんも忙しかったから、あまり話をする機会もなかったの。」
「それで、どうして仲良くなったのよ?」
「お父さんが新幹線で出張に行ったときに、取引先の社長から、もっと詳しく話を聞きたいって言われて、追加の資料を持って来てほしいって、会社に連絡があったの。」
「その時に営業の課長から、人手がいないから、先方に資料を届けてほしいって依頼があって、たまたま手が空いていたのが私だったのよ。」
ふふっ、なんかラブコメの王道みたいな話ね。
「その時は、その街に新しい新幹線の駅ができたことで、規模を大きくする会社が多くてね、工場に工作機械を入れるからって、営業に行っていたのよ。
取引先にはあいさつ程度で行く予定だったのが、急に商談がまとまりそうになって。」
「へぇ、お父さんは仕事で飛び回っていたんだね。」
「そうよ、数千万円の取引だから、逃したくないって。」
「結構会社も熱心だったのね。」
「私は言われた通り、資料を持って新幹線でお父さんが泊まった旅館に行ったのよ。
いつも社員の出張でお世話になっているところだったから、私も知っているところだったのね。」
「それで、二人で泊まったの?」
「……それがね、お父さんたら、その後私を会社まで送ってくれたのよ。」
「どうして?」
「独身の娘さんと一緒に泊まったら、親御さんに申し訳ないって。」
「え、だってチャンスだったじゃない?」
「……そういう人なのよ。
結局私たちは東京へとんぼ返りして、お父さんは翌朝の始発で仕事に戻って行ったわ。
でもそれがご縁でね、営業の課長と私の上司、総務の課長が一緒になって私たちをくっつけようとしたのね。」
「……はぁ、おせっかいな人たちなのね。」
「お父さんは企業戦士で、わき目もふらず仕事一筋だったから、『多忙な独身貴族』だったのよ。
でも、いざ恋愛になると急にスイッチが入ってね、
『今日は代休を取ります、デートに行ってきます。』って宣言して、堂々と平日に休みを取ったのよ。」
「え? 平日? 仕事はどうしたのよ。」
「だから私も慌てて有休をとるでしょ?
その時の課長がニコニコして『行ってらっしゃい』って送り出していたのよ。
もう恥ずかしくて……。」
その時の母さんの困った顔を思い浮かべて、クスッと笑ってしまった。
うれしはずかしって、そういう時に使うのね。
「私たちは、それから半年くらい付き合って結婚したのよ。
だって会社にはお父さんがそうやって宣言しているでしょう?
仕事もできたけど、こっちも短期で片を付けたって感じ。」
「お父さんの仲人さんと私の仲人さんは、結局それぞれの上司になって、おかげで私たちの結婚式は、会社を挙げた宴会になったのよ。
社長が祝辞をしてくれてね、衣装も3回着替えたのよ。
もちろん今では考えられないことだけどね。」
「そうよね、まるで芸能人の結婚式じゃない。」
母さんは当時を思い出したように、遠くを見ているような気がした。
「お父さんね、私の両親を送ってから、急にこの家がさみしくなったでしょ?
いつかさおりが旦那さんをもらって、孫たちと一緒ににぎやかに暮らせるといいなって、言っていたのよ。」
お父さんらしいな。
忙しくても私たち家族を大事にしてくれていたから。
「だからね、この家が急ににぎやかになったでしょ?
修ちゃんが来てくれて、きっとお父さんも喜んでいるんじゃないかしら。」
「そうよね、猫のキミも小夜ちゃんもいるし。」
そう言って母さんは笑っていた。
こんな顔は久しぶりに見たような気がした。
「さおりはね、お父さんは『沙織』って名前にしたかったみたいだけど、私がひらがなの方が可愛らしいって言ったのよ。
織物の糸のようにたくさんの人との交わりの中で、美しい人生を送ってほしいって。」
「え、そうだったの?」
「さおり、幸せになりなさい。
それが私たちのたった一つの願いなのよ。」
「うん。」
私はそれしか言えなかった。
いつもそばで見守ってくれて、私のことを大切に思ってくれた父。
いつも自分のことは後回しにして、私を応援してくれている母。
そして、幸せを願って私につけられた名前……。
今、私は修君と結婚して家庭を持つことが、とても幸せなことに思えた。
私も修君との間に子供が出来たら、ちゃんと子育てができるのかな。
「お母さんみたいになれるかな。」
母さんは黙ってうなずいてくれた。
織り交ぜる 糸のごとくに 紡がれし 愛し命よ 幸を歩めよ
我にはこの時ほど、父母の愛に心を動かされたことはなかった。
その名に込められた願い。
そばに侍る者としては、是非もない。
我こそがその願いを引き継ぐのだ。
女房の紡ぐ未来に幸あらん。
夢のある道へと続くのだ。



