猫のキミと暮らせば


 「さお先輩、いつ結婚するのかな?
 結婚したら辞めちゃうのかな?」

 給湯室のさえずりは今日も遠慮なく聞こえてくる。
 まったく少しはボリュームを抑えなさいって。
 結構聞こえているものよ。
 
 まぁ、ご心配には及びませんけど、今でも二人は仲良しなので、結婚はできると思うけど、二人とも忙しくてゆっくり話していないというか、修君ってば、そういう話は照れちゃってダメなんだよね。

 「ほら、もう新居の話とかしてるのかな、さお先輩仕事ができるし、このまま残ってもらえないかなぁ。」

 いつまで私をあてにしているのよ。
 そろそろ自分たちで何とか考えなさいって。
 
 そう、私も考えなきゃだよね、指輪以来……話に進展がないよ。

 「よお、さおりさん、久しぶりだね。
 在宅ワークでうまくやって、出社は週三日だって?」

 「ええ、おかげさまで。
 でも、あの子たちがもっと仕事ができるようになれば、寿退社でもいいんですけどね。」

 「そりゃ、みんなの倉庫番のさおりさんにやめられては、困る人も多いだろうけどね。」

 「あら、リモートでも困るなんて話は聞きませんでしたけど。」

 佐々木君と私の化かし合いのような会話も、もうできなくなるのかな?

 「ところで、あなたは新居を構えて結婚も秒読みだとか?」

 「ああ、お先になるかな。
 僕の場合は早くしろと周りがせっつくからね、どうしても。」

 そう言いながら、にやにやしている。

 「幸せになるのには、特に順番とかないから、はやいもの勝ちでいいんじゃないでしょうか?。」

 なんか言葉尻がとげとげしくなってきた。
 なにイライラしてるのよ。

 「では、具体的に決まりましたら、休暇の申請もありますので、その時は相談させてくださいね。」

 「そうだね、日程調整が必要だから、早めに教えてね。」

 佐々木君のところはどうやら順調らしい。

 結婚って、具体的に何か考えていたわけじゃないけど、そろそろしたいかな。
 毎日のように会っているわけだし、もう同居だっていいのだけれども……
 キミのことだって、今では仕事のパートナーぽいから、今更それは理由にはならないし。

 「じゃ、どうして進められないのよ、修君のヘタレ。」

 ……って、給湯室の前で独り言はちょっと危険だった。
 あぶない、あぶない。

 帰りの電車の中で、一人物思いに更けていた。
 
 「まさか佐々木君に先越されそうなんて、正直焦ったわよ。」

 本当に修君、私との結婚をちゃんと考えてくれているのかな……?

 三浦海岸の駅には、いつも修君が迎えに来ている。
 午後七時を過ぎるとやはり暗いので、お迎えは心強いかな。

 「ねぇ修君、私たちもそろそろ結婚に向けて考えない?」

 え、なにその急にびっくりした反応は?
 まさか全く意識していなかったのかな?

 「うん、さおちゃん。
 実はどうしていいかわからなかったんだよ。」

 「だったら聞けばいいじゃない。
 ずっと一緒にいたよね。」

 「うん、だからそうなんだ。
 それだけで幸せで、このままこんな日がつづくのかなって。」

 ああ、そうだった。
 今一つ現実味がないのは、修君がほのぼのしていて人畜無害だからだったのよね。

 「そう、わかったわ。
 いい? よく聞いてね。」

 修君はきょとんとしていた。

 「私は、あなたと結婚したい。
 それが、今の私の、たった一つの願いなの。」

 修君の顔が赤くなって湯気でも出そうな勢いだ。
 ホントに「ぷしゅ~」と音がしそう。
 
 家に帰ってから、修君がキミと二人で並んでこう言った。

 「僕、生活相談員になる。
 国家試験も受ける。
 給料も上げる。……だってさおちゃんと暮らしたいから。」
 
 ぷっ、すごくまっすぐで、ちょっと嬉しかったけど、私への愛の言葉はどこに行ったのよ。
 せめて「好き」って言ってよね。

 「六十点、いや七十点くらいかしら。」

 「猫君様~」とキミに縋り付いている。

 「キミたちはいつからそんなに仲良くなったの?」

 「今回の昇進の話も、猫君様のおかげなんだよ。
 アニマルセラピーの考察って、レポート書いたら評価されて、実績も作ったから。
 招き猫様々なんだよ。」

 「それで? 猫缶三つだけ?
 ちょっと安くない? ねぇ、キミ。」

 ……って話しかけたけのに、知らんぷりされた。

 「ほらね、まだ猫のキミ様は、不満なんだよ。」

 「なにそれ、そっぽ向いてただけじゃないか。」

 「ほら、こう、何かあるでしょ、ほら?」

 「……わかりました、今度の週末は三崎のマグロ、猫メニュー付きで。」

 「それでよろしいでしょうか?猫君様。」

 タイミングよくキミが「にゃぁ」と応えて、それがおかしくて、二人で笑っていたの。

 不器用だけど、修君なりに真剣に考えてくれていた。それがちゃんと伝わってきた。

 キミも修君に協力してくれていたんだね。

 「招き猫様々。」

 待ちわびて ようやく聞けた プロポーズ 恋には早し 賞味期限か


 修氏よ、女の願いは深いものであると知れ。
 ほのぼのとした毎日だけでよいならば、ただ一緒にいるだけであろうが。
 それにしても、愛すべきバカっぷりは見事である。
 
 修氏は鈍いから、女房の手引きが必要なのだな。
 こりゃ、先は姉さん女房の天下であるな。