クールなバリキャリなのに甘く蕩かされています

空調が程よく効いたカフェの店内は静かで、コーヒーカップを置く小さな音がするだけだった。バックミュージックもなく、人の気配がするだけの空間は、冴子にとって居心地が良かった。珈琲豆を挽く匂いに癒される。ホッと心がほぐれてゆくのを感じた。いつもなら鉄仮面を貼り付けて冷静でいられるのに、隣にいる浅葱柊生の存在が、冴子の心をざわつかせる。窓から差し込む柔らかな光が、テーブルの木目を優しく照らしていた。

「本当、素敵だわ」と冴子がつぶやくと、柊生は「でしょう? 営業で回ってる時、見掛けたんですよ」と少し得意げに答えた。「..........素敵ね」と、冴子は小さく繰り返す。声に出すのがやっとだった。

案内されたのは一番奥の席。ガラス越しの光の中で微笑む柊生に、冴子の心臓は跳ね、思わず頬が色付いた。「お待たせしました」と店員が運んできた白いコーヒーカップから上がる湯気が、穏やかな時間を作る。しばらく二人は無言でコーヒーを飲んだ。けれど、冴子の心の中は緊張の嵐が吹き荒れ、喉を滑り落ちるコーヒーの味がまるでしなかった。

「..........お、美味しいですね」

なんとか絞り出した言葉。声が少し震えた気がして、冴子は内心で自分を叱る。「パウンドケーキもおすすめだそうですよ」と、柊生はメニューを片手に穏やかに言う。その自然な仕草、指先で軽くメニューを叩く癖が、なぜか冴子の目に焼き付く。「そう.......じゃあ、頼んでみようかな」と、クールに装うけれど、心の中では「なんでこんな普通の会話でドキドキするの!?」と大混乱。柊生が店員を呼ぶために軽く手を上げる姿にさえ、胸がキュッとなる。

窓の外では、駅前の通りを人が行き交い、夏の陽射しがアスファルトをキラキラさせていた。冴子はカップを手に持ち、湯気を眺めながら考える。「こんな静かな時間、いつぶりだろう。柊生くんとこうやってるなんて、夢みたい」。ふと、柊生が「戸田さん、いつもそんな真剣な顔してるけど、なんか考え事?」と笑いながら聞く。冴子は「別に」と短く返すけど、鉄仮面がまたしても剥がれそうになる。カップの縁に唇を寄せ、熱いコーヒーで気持ちを落ち着けようとしたけど、柊生の視線が柔らかく絡むたび、心はますます揺れていた。

「しゅ.........浅葱くん、こんなことして怒られない?」冴子の声は少し震えていた。「え、休憩時間だから大丈夫ですよ?」と柊生が軽やかに返す。「いや、そうじゃなくて」と、冴子が話を切り出そうとした瞬間、パウンドケーキがテーブルにそっと置かれた。

白い生クリームが添えられたパウンドケーキには木の実やドライフルーツがふんだんに使われ、ブランデーの芳醇な香りが立ち上った。その匂いを嗅いだ柊生は、「飲酒運転で捕まっちゃうかもしれませんね」と朗らかに笑った。銀のカトラリーに光が弾く。冴子の心の中は穏やかではなかった。鉄仮面がまたしても剥がれそうで、必死に貼り直す。

「彼女に怒られない?」と、冴子はつい口を滑らせた。「彼女? 誰のことですか?」と柊生が不思議そうに首を傾げる。「分からないけれど.........なんとなく」と、言葉を濁す。

冴子の脳裏には、事務所で柊生と仲睦まじく話すパート職員の西条由香里(さいじょう ゆかり)の姿が浮かんでは消えた。彼女の笑顔や、柊生と楽しげに話す様子が、なぜか胸をチクチク刺す。その突然の言葉に目を見開いた柊生は、口元をふっと綻ばせ、「いませんよ」とパウンドケーキにフォークを刺した。

「彼女は現在、募集中です」

柊生がいたずらっぽく笑う。「そう........なの」と、冴子はカップを手に持つ指に力を入れる。今、告白するタイミングなんだろうか? でも断られたら...........毎日、隣のデスクで顔を合わせるなんて耐えられない。冴子はゴクリと息を呑み、首を横に振った。

「私も彼氏、募集中なの。二十九歳にもなるのに、のんびりしてるよね」

軽く笑って誤魔化す。心臓はバクバクで、鉄仮面が今にも崩れそうだった。柊生はフォークを止めて、じっと冴子を見つめた。「戸田さん、のんびりしてるなんて意外。なんか、いつもバリバリ仕事してるイメージだったから」と、柔らかい声で言う。その視線に、冴子の頬がまた熱くなる。「そ、そんなことないよ。普通に……ね」と、言葉が詰まる。窓の外では、夏の陽射しがキラキラと反射し、カフェの静かな空気と相まって、時間がゆっくり流れる。冴子はパウンドケーキを一口食べ、甘さとブランデーの香りに少しだけ心を落ち着けた。でも、柊生の隣にいるだけで、胸のざわめきは止まらない。「このままじゃ、私、ほんと自分じゃなくなる」と、内心でつぶやきながら、冴子はコーヒーをそっとすすった。