クールなバリキャリなのに甘く蕩かされています

鉄仮面を貼り付けた、無表情でクールな戸田冴子は、隣のデスクの浅葱柊生の前では思わず仮面を外しそうになる。彼の穏やかで爽やかな微笑みと、仕事に一途なところがそうさせた。「二歳も年下なのに、こんな気持ちになるなんて..........!」冴子は、自分らしくない自分に驚いている。

その彼から「お茶飲みませんか」と誘われ、足が地に着いていない。気もそぞろで、コピー機から吐き出される大量の書類をぼんやり眺め、「あっ!」と、気付いた冴子は慌ててストップボタンを押した。心臓がドキドキして、まるで中学生の初恋みたいだ。冴子はコピー機のガラス面に映る自分の顔をチラリと見て、頬がほんのり赤いことに気付いてさらに焦った。

「落ち着け、戸田冴子、こんなことで動揺するなんてありえない!」

自分を叱咤するけど、頭の中は浅葱柊生の笑顔でいっぱいだ。彼の声、ちょっと低めで優しいトーンが、さっきの「お茶飲みませんか」の一言を何度もリピートさせる。普段なら完璧に仕分けている書類の束が、今日はなぜか揃わず、トレイの上でぐちゃっと崩れている。オフィスの喧騒の中で、柊生はいつものようにデスクで資料を整理している。時折、ペンをくるっと回す癖が、妙にチャームポイントに見えてしまう。冴子はそんな自分にイラっとしつつも、視線が彼に吸い寄せられるのを止められない。

(お茶、どこで飲むんだろう? いつものカフェ? それとも、ちょっとオシャレなところ?)

そんな考えが頭をぐるぐる巡り、仕事の手が止まる。ふと、彼がこちらを見ているのに気付き、冴子は慌てて書類を手に取って忙しそうなふりをした。「戸田さん、大丈夫? なんか、今日、ぼーっとしてません?」柊生の声に、冴子は一瞬固まる。いつもならクールに「問題ない」と切り返すのに、今日は「え、うそ、気づかれてた!?」と心の中で叫びながら、なんとか「いや、別に」とそっけなく答えた。でも、彼の少し心配そうな目を見たら、胸がまたキュッとなる。

「じゃ、12時でいいですか? 駅前のカフェ、好きそうかなって、僕、送っていきますよ」

彼が続ける。冴子は頷くだけで精一杯で、鉄仮面が今にも剥がれ落ちそうだった。浅葱柊生のそんな何気ない一言が、冴子の心をぐらぐら揺さぶる。普段なら「了解、分かりました」と一言で済ませるのに、今日は喉が詰まって言葉にならない。デスクに戻っても、頭の中はカフェのメニューや「どんな服着てくかな、制服から着替える!?イヤイヤ、気合い入りすぎでしょ!」なんてくだらないことでいっぱいだ。

やがて曇天は青空になり、夏の日差しが容赦なく照り付ける。アスファルトにカゲロウが揺れた。

昼休憩の時間になり、柊生は「営業行ってきます!」と社用車の鍵を握り、冴子に手招きをした。冴子は給湯室で柊生に「何かありましたか?」と不思議そうな顔で尋ねた。内心では「まさか、今すぐカフェ!?」とパニック状態。クールな仮面を必死に貼り直そうとするけど、柊生の笑顔がその努力を軽々と崩していく。

「忘れたんですか? お昼にお茶しましょうって約束したじゃない...........んぐっ」

柊生の言葉が途中で止まる。冴子は顔を赤らめ、その口を両手で塞いだ。ああ、まただ。柊生の前では鉄仮面がポロリと剥がれてしまう。給湯室の静寂に、二人分のドキドキが響いている気がした。「しっ、声大きい!」と小声で叱るけど、柊生の目がちょっと笑ってるのが見えて、余計に恥ずかしくなる。冴子はショルダーバッグを肩に掛け、「お昼、行って来ます」とクールな表情でドアを閉めた。

外に出ると、夏の熱風が頬を撫でる。柊生が「戸田さん、いつもそんなシャキッとしてるけど、なんか今日、顔赤くない?」とニヤニヤしながら言うものだから、冴子は「気のせいです」と一蹴。でも、心の中では「バレてる、バレてる!」と大騒ぎだ。

「お邪魔します」

炎天下に停まっていた社用車の中はムワッとした空気で押し潰されそうだった。助手席に乗り込んだ冴子は、暑さと緊張から額に玉のような汗をかいた。「お待たせしました、暑いですね」と、なんとかクールな声を絞り出す。だが、運転席に滑り込んで来た柊生のシダーウッドの香りに、ドキドキが止まらなかった。いつもなら鉄仮面で平然としていられるのに、この狭い車内では心臓の音がバレそうで怖い。「あ、暑いですね」と柊生が笑う。

「ちょっとクーラーの効きが悪いですから、窓開けましょうか?」
「お願いします」

冴子は短く答えた。窓ガラスが開くと、時速60キロメートルの風が冴子の前髪を揺らした。思わず「気持ち良い……」と笑みが溢れる。普段なら絶対に見せない、ふわっとした表情だ。軽やかにハンドルを握った柊生は、チラリと冴子を見て、「戸田さんもそんな顔、するんですね」と呟いた。我に帰った冴子の胸は、緊張と恥じらいでさざめいた。「そんな変な顔でしたか!?」と、つい声を荒げてしまう。鉄仮面がまたしてもポロリと剥がれそうになる瞬間だ。「いえ」と柊生は穏やかに笑い、冴子の慌てぶりを楽しむように目を細める。その視線に、冴子はさらに顔が熱くなるのを感じた。

フェンダーミラーに映る自分を見ながら、思う。「こんな気持ち、いつぶりだろう。柊生くんのせいで、私、ほんと自分らしくないや」。車は駅前のカフェに向かって走る。ラジオから流れる軽快な音楽が、車内の微妙な沈黙を埋める。柊生が「戸田さん、普段どんなカフェ行くんですか?」と気軽に聞いてくるけど、冴子は「別に、どこでも」とそっけなく返すのが精一杯。内心では「なんでこんな普通の会話で緊張するの!?」と自分にツッコミを入れていた。信号待ちで止まった瞬間、柊生が「戸田さんの笑顔、さっきの、なんか新鮮だったな」とポツリ。冴子は「は!?」と声を上げそうになり、慌てて窓の外に目をやった。

風が前髪を揺らし、心も一緒に揺れている。カフェに着くまでの数分が、まるで永遠のように長く、そして短く感じられた。

金沢駅西の駐車場に車を停め、石畳の路地を進むと明治創業のカフェが建っていた。蔦が生い茂るレトロな雰囲気、木枠の窓には懐かしいすりガラスが嵌められていた。ペンダントライトの灯りが漏れる。

「このカフェ、戸田さんに似合うな.........と思って」
「こんなに渋い?」
「可愛いじゃないですか」

鉄仮面がポロリと剥がれ落ちた。胸のときめきが止まらない。冴子は耳まで真っ赤にし、柊生の一歩後を歩いた。彼の軽快な足音に、なぜか心が弾む。カフェのドアが開く瞬間、冴子は鉄仮面をもう一度貼り直そうと、深呼吸した。