クールなバリキャリなのに甘く蕩かされています

冴子は事務所を出ると、急いで駅前の雑貨屋へと走った。柊生は「お疲れ様でした!」と、いつも通りの無邪気な笑顔でドアを閉めたが、冴子にはその笑顔が胸に突き刺さる。

あのコーヒーカップの欠片一つ一つが、まるで彼への思いの欠片のようで、じっとしていられなかった。ショルダーバッグの肩紐を握りしめ、夕暮れの街を小走りで進む。鉄仮面の女がこんな焦りを覚えるなんて、自分でも信じられない。

雑貨屋の扉を押し開けると、色とりどりのマグカップが棚に並ぶ。冴子は一つ一つ手に取り、柊生が持っていたカップを思い出す。あのシンプルな白地に、控えめなブルーのラインが入ったデザイン。社員一同からの贈り物だったそのカップを、冴子はうっかり割ってしまった罪悪感でいっぱいだ。

「これ、近いかな?」

呟きながら、似たデザインのカップを見つけるが、どこか違う気がする。柊生の笑顔や、シダーウッドの香りが頭をよぎり、彼女の頬はまた熱くなる。結局、ぴったりのものは見つからず、冴子は似た雰囲気の白いマグカップを手にレジへ。「これでいいよね」と自分に言い聞かせるが、心は落ち着かない。店を出ると、夕陽がビルの隙間を染めていた。バッグの中でカップがカタンと鳴るたび、柊生の手首の感触や「危ないからいいよ」と言った低音が蘇る。冴子は小さく息を吐き、鉄仮面を被り直す。

(明日、ちゃんと謝ろう)

そう決意しながら、彼女は夜の街に足を踏み出した。


翌日は雨だった。朝のオフィスはしっとりと静かで、窓の外は灰色の曇天が広がる。「おはようございます」と冴子はいつものクールな声で朝礼に応じるが、柊生の姿はどこにもない。ショルダーバッグの中には、昨日雑貨屋で買った白いコーヒーカップが大事に包まれている。いつ渡そうか、どんな顔で謝ろうかと悩んだせいで、寝不足の目はクマで縁取られている。

(最悪だ)

ホワイトボードを確認すると、柊生は契約先へ直行と書かれていた。

(なんだ.........緊張して損した)

冴子はほっとしつつ、どこか拍子抜けする。鉄仮面を被り直し、冴子はいつものようにコピー機に向かい、顧客ファイルを手際よくまとめ、パソコンにデータを打ち込む。キーボードの音がオフィスに響くが、窓の外の雨音がそれを掻き消す。ふと、指先が止まる。

(なんだか、寂しい)

隣のデスクに柊生の笑顔がないだけで、こんなにも物足りなさを感じるなんて。鉄仮面の女が、こんな感情に揺れるなんて。冴子は思う。こんな気持ち、何年振りだろう。いや、初めてかもしれない。柊生の無邪気な瞳や、シダーウッドの香りが脳裏をよぎる。モニターに映る自分の顔は、相変わらず冷ややかな鉄仮面だ。振り返ると、男性社員と楽しげに会話する後輩の女性社員たちが目に入る。彼女たちの無邪気な笑顔、可愛らしい仕草。冴子はふと、鉄仮面を外して柊生と自然に笑い合えたら、どんな気分だろうと想像する。バッグの中でカップがカタンと鳴る。冴子は小さく息を吐き、キーボードに手を戻す。

(今日、会えたら渡そう)

雨模様の心に、決意した。

しばらくすると、自動ドアが開き、ザーザーという雨音が事務所に響いた。そこに立っていたのは柊生だった。スーツの肩は雨でずぶ濡れ、色が濃く変わっている。

「どうしたの!? 傘は!?」

冴子は思わず椅子から立ち上がり、声を上げる。柊生は「小学生が困ってたから貸してあげました」と、はにかんだ笑顔で髪の水滴を手で払う。その無邪気な笑みに、冴子の胸がまたドキリとする。

彼女は慌ててロッカーからハンドタオルを取り出し、気がつけば柊生の肩を一生懸命拭いていた。

「え!? 戸田さんが!?」

事務所の社員たちが目を見開き、驚きの視線が一斉に集まる。鉄仮面が剥がれ落ちた瞬間、周囲はまるで時間が止まったように静まり返る。冴子自身、自分の行動に驚き、柊生の顔を見上げた。

「ありがとうございます」

柊生は目を細めてハンドタオルを受け取る。その柄を見て、彼は小さく笑う。

「可愛いの、好きなんですね」
「.........え?」

冴子が渡したのは、うっかり選んだキャラクターがプリントされたピンクのハンドタオルだった。彼女の頬がカッと熱くなる。

(やばい、なんでこれ持ってきたの!?)

鉄仮面の女が、こんな可愛らしいタオルを持つなんて誰も想像しない。柊生は「洗って返しますね」と穏やかに微笑み、デスクに向かう。冴子は呆然と立ち尽くし、タオルの柄が頭に焼き付く。事務所の視線を感じながら、彼女はバッグの中の白いコーヒーカップを思い出す。

(今、渡すべき?)

雨音の中、心臓がまた高鳴り始める。

(ええい!)

冴子は勢いに任せてショルダーバッグから白い小箱を取り出した。

「あの..........これ、昨日のお詫びに」と、声を震わせながら差し出す。柊生は目を丸くして「え!? 良いんですか!? ありがとうございます!」と驚きと喜びの混ざった笑顔で受け取る。早速、蓋を開けると、彼の瞳がキラキラと輝く。白いマグカップを手に取り、持ち手を握ったり、机に置いて眺めたり。

「いい感じですね、これ!」と楽しげに言う彼の姿に、冴子はホッと胸を撫で下ろす。
「それじゃ、そういうことで……本当に、ごめんなさい」と、彼女は剥がれ落ちた鉄仮面を急いで付け直し、パソコンに向かいキーボードに指を添えた。

「戸田さん」

柊生の低く穏やかな声が響く。「はい、なんでしょうか?」冴子はクールに答えつつ、心臓がまたドキドキと高鳴る。

「お昼休みにコーヒーでも飲みませんか?」

彼が無邪気な笑顔で言う。冴子の指がキーボードの上でピタリと止まる。(え、コーヒー!? 二人で!?)頭の中で鉄仮面がガラガラと崩れ落ちそうになるが、彼女は必死に平静を装う。「.........いいですよ、時間があったら」と、そっけなく返すが、声が微かに上ずる。柊生は「やった! じゃあ、12時に」と笑顔でデスクに座る。

雨音が響くオフィスで、冴子の心は曇天とは裏腹に、どこか明るくざわめいていた。

(落ち着け、鉄仮面!)

自分に言い聞かせ、彼女はキーボードを叩き始めた。