午後七時、事務所の給湯室を片付けるのは、暗黙の了解で女性社員の仕事だ。だが、三人の後輩社員たちはリップグロスを塗り直し、「お先に失礼します」と軽やかにドアを閉める。その様子に冴子は内心呆れるが、何も言わない。小言を言うほど無駄な時間はない。一人で黙々と湯呑み茶碗を洗う方がよっぽどマシだ。スポンジを手に、泡が弾ける音に合わせて、冴子は今日を振り返る。
「あぁ、今日も充実した一日だった!」
思わず声が漏れる。顧客との商談をまとめ、書類を完璧に仕上げた達成感。仕事に必要とされる自分が、冴子は心から好きだ。
(それに、柊生くんの笑顔を見ることもできたし!)
頬が緩み、ご機嫌で鼻歌を歌う。「♪ララ~」と軽快なメロディが給湯室に響く。だが、「……あの」と不意に後ろから声が。冴子はハッと我に返り、湯呑みを洗う手を止める。鉄仮面の女が鼻歌だなんて、ありえない!咄嗟に大きく息を吸い、冷ややかな仮面を貼り付けて振り向く。そこには、銀縁眼鏡の柊生が立っていた。飲みかけのコーヒーカップを手に、照れくさそうに微笑んでいる。冴子の心臓は跳ね、息を呑む。
(き...........聞かれてた!?)
「洗おうかと思って」と柊生が言う。「そ、そうなの? 洗うから、貸して」と、冴子は普段通りのクールな声で返す。カップを受け取ろうと手を伸ばす瞬間、小指が彼の指に触れ、電気が走ったような感覚が全身を駆け巡る。次の瞬間、ガシャン! コーヒーカップが床に落ち、砕ける音が給湯室に響く。冴子は凍りつき、柊生は「うわっ、大丈夫ですか?」と慌ててしゃがむ。鉄仮面の下で、冴子の頬は真っ赤に染まっていた。
「ご、ごめんなさい!」
冴子は慌てて床にしゃがみ、コーヒーカップの欠片に指を伸ばす。すると、柊生が素早く彼女の手首をギュッと掴んだ。「危ないからいいよ」と、低く落ち着いた声が冴子の耳元を撫でるように通り過ぎる。彼の大きな手のひらの温もりに、胸の高鳴りが伝わりそうで、冴子は思わずギュッと目を瞑った。心臓がドクドクと暴れる。鉄仮面の女が、こんな動揺を見せるなんてありえないのに。柊生が顔を上げ、至近距離で視線が絡み合う。
「いつも一人で片付けているんですか?」
彼が聞く。「え、ええ」と冴子は短く答え、目線を宙に逃す。「お疲れ様です」と柊生が軽く笑うが、冴子はまともに彼の顔を見られない。「じゃあ、片付けますね」と、柊生は何事もなかったかのように箒とちりとりを持ち出し、手際よく欠片を掃除し始めた。冴子は「ごめんなさい! 明日、新しいカップ買ってくるから!」と必死に言うが、「いいですよ、景品でもらった物ですから」と柊生は満面の笑みで答える。その笑顔に、冴子の胸はまた締め付けられる。彼は軽い足取りで事務所に戻っていった。
(...........はあー失敗した)
冴子は一人、給湯室に残り、深いため息をつく。彼女は知っていた。あのコーヒーカップは、柊生が営業所に異動してきた際、社員一同から贈られた大切なものだった。浮かれていた自分を反省しながら、冴子は排水口に流れる泡をぼんやり眺める。鉄仮面の仮面は、こんなときでも彼女を守ってくれる。でも、心の奥では、柊生の笑顔と手の感触が、静かに波紋を広げていた。
「あぁ、今日も充実した一日だった!」
思わず声が漏れる。顧客との商談をまとめ、書類を完璧に仕上げた達成感。仕事に必要とされる自分が、冴子は心から好きだ。
(それに、柊生くんの笑顔を見ることもできたし!)
頬が緩み、ご機嫌で鼻歌を歌う。「♪ララ~」と軽快なメロディが給湯室に響く。だが、「……あの」と不意に後ろから声が。冴子はハッと我に返り、湯呑みを洗う手を止める。鉄仮面の女が鼻歌だなんて、ありえない!咄嗟に大きく息を吸い、冷ややかな仮面を貼り付けて振り向く。そこには、銀縁眼鏡の柊生が立っていた。飲みかけのコーヒーカップを手に、照れくさそうに微笑んでいる。冴子の心臓は跳ね、息を呑む。
(き...........聞かれてた!?)
「洗おうかと思って」と柊生が言う。「そ、そうなの? 洗うから、貸して」と、冴子は普段通りのクールな声で返す。カップを受け取ろうと手を伸ばす瞬間、小指が彼の指に触れ、電気が走ったような感覚が全身を駆け巡る。次の瞬間、ガシャン! コーヒーカップが床に落ち、砕ける音が給湯室に響く。冴子は凍りつき、柊生は「うわっ、大丈夫ですか?」と慌ててしゃがむ。鉄仮面の下で、冴子の頬は真っ赤に染まっていた。
「ご、ごめんなさい!」
冴子は慌てて床にしゃがみ、コーヒーカップの欠片に指を伸ばす。すると、柊生が素早く彼女の手首をギュッと掴んだ。「危ないからいいよ」と、低く落ち着いた声が冴子の耳元を撫でるように通り過ぎる。彼の大きな手のひらの温もりに、胸の高鳴りが伝わりそうで、冴子は思わずギュッと目を瞑った。心臓がドクドクと暴れる。鉄仮面の女が、こんな動揺を見せるなんてありえないのに。柊生が顔を上げ、至近距離で視線が絡み合う。
「いつも一人で片付けているんですか?」
彼が聞く。「え、ええ」と冴子は短く答え、目線を宙に逃す。「お疲れ様です」と柊生が軽く笑うが、冴子はまともに彼の顔を見られない。「じゃあ、片付けますね」と、柊生は何事もなかったかのように箒とちりとりを持ち出し、手際よく欠片を掃除し始めた。冴子は「ごめんなさい! 明日、新しいカップ買ってくるから!」と必死に言うが、「いいですよ、景品でもらった物ですから」と柊生は満面の笑みで答える。その笑顔に、冴子の胸はまた締め付けられる。彼は軽い足取りで事務所に戻っていった。
(...........はあー失敗した)
冴子は一人、給湯室に残り、深いため息をつく。彼女は知っていた。あのコーヒーカップは、柊生が営業所に異動してきた際、社員一同から贈られた大切なものだった。浮かれていた自分を反省しながら、冴子は排水口に流れる泡をぼんやり眺める。鉄仮面の仮面は、こんなときでも彼女を守ってくれる。でも、心の奥では、柊生の笑顔と手の感触が、静かに波紋を広げていた。
